独裁者スイッチに腰掛けて
何を信じていいのかはわからない。
ねむれない。今日は仕上げなければいけない仕事がある。今日こそはやらなければならない。休むことはできない。それどころか日が昇るより前に出社してやらないと無理かもしれない。私の出来が悪いからだ。土日結局何も手につかなかったし、後へ後へと回したツケを自分で払うことに苦しんでいるだけである。
あの人は言った。障害が子供に遺伝するかもしれないから、と。だから…───その続きまでは言わなかった。でも言わんとしていることはわかった。それはあの人の決めることだ。でも、以前は子供を迎える話をしていたこともあった。
出生前診断について考えていたことがある。私のごく身近に、身体的に、ある特徴を持って産まれてきた人がいた。私を産んだ人は、相手方にそうした遺伝の可能性があることを知り、また、私が恐らく産まれても歩けない子供だろうと診断されても、そんなことには構わずに私を産んだのだが、それでも産まれてきた時には思わず私の身体をくまなく“チェック”してしまい、そして所謂一般的なそれだとわかってひどく安堵したとも語っていた。そして私は異様に早く言葉を喋り、誰も捕まえられないくらい奔放に歩き回る子供となった。
身体的な特徴を確かめたのも、歩けることを喜んだのも。差別意識とは別レーンの、子供が辛い目に遭うのは御免だという親の心に他ならないが、その話を聞いた私は少しだけモヤモヤするものを感じもした。私は遺伝的繋がりのある、人が言うところの「障害」を持つ人のことを思っていた。絶対にあの人を憐れんだりはしない。そう思う私の心もまた高慢に思えて嫌ではあった。どこまでも、キリのないことだった。
私が現代の胎児であったなら、歩けないと診断された時に堕胎を選ばれていたかもしれない。そもそも、障害が遺伝することを恐れて胎児にすらならなかったかもしれない。その方が私としては幸福だったかもしれないと、生きることが苦痛なので思いはするが、しかしそうした命を選別するかのような振る舞いが不愉快で相容れないのも確かである。
とはいえ、決定権は産む人間にこそある。その人が決めることである。誰に裁けるというのか。誰が正しい間違っていると言えるのか。
疲れている。疲れている。疲れている。
向いていないのかもしれない。仕事。でもどうにか働いている。
障害者を雇用する枠が決まってるとかどうとかそんな話が聞こえてくる。それだけならいいが、色々といらない話まで耳に入って来て、ぐったりしてしまう。声が大きいだけの人が何か話している。ひとつも面白くない。集中力が散り、いらない話の影が頭に焼き付く。いつも一人になりたくて仕方がない。イライラしてしまい、正直運転もしたくない。部屋の外に出たくないし、しかし隣の部屋のイヤに大きな生活音を聞かされるのもとにかく不快で逃げたかった。
仕事から逃げたい。人から逃げたい。音から逃げたい。光から逃げたい。誰とも決まって顔を合わせる必要などないところに行って、暗くて静かなところであたたかくしていたい。会ったら何か話さなきゃとか、何が好きそうかとか、そんなこと考えるのも疲れる。会いたくない。私と話しても面白いわけもない。無言も白けた空気も地獄でしかない。かと言って気遣い合う上辺だけの円満な会話は虚しくて堪らない。何も要らない。とにかく休みたい。いつまで休みとか、お金がないとか、あの人達をどうしようとか、考えたくない。ぜんぶ、ぜんぶ、手放して、時間も、私というものも忘れたい。それだけだ。それだけだった。
病院にいた。
どうして病院ってこういう材質の天井で、こういう落ち着かないパステルカラーのカーテンで、白ばかりなんだろう。どうして蛍光灯なんだろう。落ち着かなかった。胸に電極をいくつかつけられている。私の胸に清潔な平坦さはない。なだらかな脂肪の丸みに沿っていくつかのパッドを貼り付けられている。きもちがわるい。何もかもが嫌だった。
私のような人間を社会は必要としていない。
薄っぺらいSDGs、薄っぺらい肯定、薄っぺらい社内環境の改善策。ぜんぶ嘘に見えた。本音はなんにも変わっていないと思った。24時間働いてほしいんだろう。サービス残業で。
「昔だったら…」「今は時代的に…」チラチラと見え隠れする本音の尻尾。働いて、効率化して、生産性あげて。そういう期待圧で喉の奥が詰まる感じがした。社会無理。社会無理。週3日・1日6時間労働で月給25万くらいの生活ができなきゃ人間的な暮らしなんて無理でしょと思う。早く全部捨てて山奥で横になりたかった。
深夜2時に何かの落ちる音で心臓が跳ねる。壁がドン!と言い、また心臓が跳ねる。見知らぬ低い咳払いが響いて心臓が跳ねる。私のような神経の過敏な小さい生き物にはこの壁が薄い家はとても無理だとつくづく思いつつ、暮らすしかない。神経過敏な自分が悪い。何もかも無理じゃん、どうやったら生きれんの?と自分に呆れた。
今日は仕上げなければならない仕事がある。この仕事を任された時から無茶だと思っていたが案の定かなり首が絞まっている。正面から受け止めないで適当に手を抜くとか、そんな器用さはない。なんて馬鹿なんだろうと悲しくなる。天国でも私が私のままであなたのままのあなたと再会するしかないのなら、そんなの地獄でしかないじゃないかとずっと思っている。私は今からでも徳を積んで、折角唯一のチャンスステージである現世にいるのだから、「解脱」して二度と生まれ変わらなくていいようにならなくてはならない。その他に救いはないように思われたが、そもそも、無宗教なので、死にさえすれば終われるのだった。
だから、私にとって生は呪い、死は祝である。はやくハッピーエンドをくれ。休みたいんだ。忘れたいんだ。