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大学を休学し、モロッコでサーフィン三昧。


2018年12月末。3ヶ月間ロシアからポルトガルまで旅をして、ヨーロッパ調の街並みにもの新しさを感じなくなった頃。
当時、クリスマスムードのヨーロッパから一転、イスラム教国家のアフリカ大陸はモロッコへ。

空港からローカルバスに乗り込み、直接向かったのはモロッコの代表的な観光都市、マラケシュ。
毎日何万人もの観光客が押し寄せ、モロッコ商人たちの腕が鳴るフナ広場にいた。昼はお土産の屋台が立ち並び、夜のなると広場一帯にこの街全ての屋台が集結し、仕事終わりの地元民や旅人の胃袋を満たす大衆食堂へと変わる。
その中で連日大道芸人たちがパフォーマンスをし、毎日フェスのような異様な光景は、ここにモロッコのエネルギーの源があると思わせ、否が応でもあの空気は僕の心を興奮させた。

だがすぐに、日本で聞いていた、モロッコは世界三大うざい国と言われる理由がわかった。
タクシーの客引きは「Hey my freind! オフィシャルタクシー!ドントウォーリー!」を連呼。明らかにオフィシャルではなく、タクシードライバーも屋台のスタッフも日本人の僕の顔を見る彼らの目は完全に¥¥。
どこまで歩いても横で「ジャパン、キレイ、ほとんどタダ。」などとしつこくついてくる。時には腕を掴まれたりしたのだが、なぜか憎めない可愛さが彼らにはあった。
しかし、長距離移動がかさみ、少しばかり旅すること自体に飽きを感じていた当時の僕は、正直彼らの相手をするのはしんどく、かなり冷たくあしらっていた。そして、そんな余裕のない自分に対して少しばかり嫌悪感を覚えていた。


まだヨーロッパにいた時にどこからか、モロッコの波はいいと聞いた。
当時、サーフィンの場所=バリ、カリフォルニア、湘南くらいしかイメージになく、砂漠しか浮かばなかったモロッコで、サーフィンができると知らなかった僕の心が、この言葉にがっちり掴まれた感触があった。

こうして僕がモロッコに来た理由は代表的観光地や砂漠に行くため、から、モロッコでサーフィンをする、へと変わった。
長期の旅で少し心が疲れてしまったのもあるし、もっと1日1日を噛み締めれるような、純粋にサーフィンに明け暮れる生活がしたいと思っていた。

実際、日本ではなかなか接点が無いイスラム教のアフリカ大陸国でのサーフカルチャーは、のちに僕の大きなインスピレーションになった。


マラケシュで数泊して、この街からバスで5〜6時間ほど離れた、タガズートという小さな港町へと向かった。
ヨーロッパ中のサーファーが冬場の冷たい北大西洋を離れ、常夏の海と良質な波を求めてくるモロッコ随一のサーフタウンである。

30分歩けば大体の地理がわかるほどの大きさで、上の写真の右と左に歩いていけるサーフポイントがある。

イスラム教を崇拝するこの国では、たとえ田舎の町でも旅人であろうが様々な制限がついてくる。特に食事への制限が厳しく、豚肉はおろかお酒も手に入らず、日々タジン鍋とクスクス、そして至る所で売られている搾りたてのオレンジジュースでお腹を満たしていた。

この街ではマラケシュのフナ広場のような観光名所や世界遺産、名物にもなっているあの客引きは存在しない。砂漠はもちろん、とびきり美味しいレストラン、屋台があるわけでは無い。
することは一つ。サーフィンだけ。

全長数十キロのロングビーチには毎日どこかしらのポイントで、大西洋から生まれるエクセレントウェイブが届いていて、下の写真の彼はそんな波を求めてヨーロッパとモロッコ中をバンで旅していた。


↓この旅で1番だったゲストハウス、「Salt Surf Taghazout」。
ここタガズート出身のナイスサーフガイと、彼のドイツ人の奥さんが仲間と一緒に作り上げた小さな宿。



朝は搾りたてのフレッシュオレンジジュースを飲み、早速近くのポイントでモーニングサーフ。ビーチで休憩中はモロッコ独特の甘〜いミントティーで一息をつき、帰ってきてからはパソコンで仕事をするもの、読書をするもの、ヨガをするもの、観光に向かうもの、モロッコ料理に舌鼓を打つもの、午睡をするもの。
夕食はみんなで囲み、話題はもっぱら今日はどんな波だったか、明日はどこでサーフィンをしようか、お前の板かっこいいな、などのサーフィン談義から、お互いの人生観といった深い会話が自然と生まれていた。
そして、明日もいい波であることを願いながら寝床についていた。


この場所では、誰しもがそれぞれのペースで、誰かに強要されることなく、その土地での、それぞれのライフスタイルを作っていた。

また、そんなライフスタイルを求めた多くの人がここに集まっていた。


僕の場合はサーフィンがツールであっただけだが、来る日も来る日も波を求めたあの時間を共に過ごした彼らは、4ヶ月間の旅の中で出会った誰よりも深く、あたたかく、楽しく、かつ自然やお互いへのリスペクトを忘れず、たとえ次に会うのが10年後でもこの時と変わらずに手をつなげると感じた。
なんなら、みんなで一緒に会社やろうぜ!って言っていた。


言語や文化、職業が違ってもサーファーのマインドは同じ。

みんな自然や、海や、人を愛している。

そして、日々深刻化する環境問題をなんとかしたいと考えている。


この宿を去る時、僕が感じたのは寂しさなどでは無かった。むしろその反対の、強く前向きな気持ちだった。


日本で自分の宿を作る。
自然の偉大さ、共存の大切さを感じれる宿。
消費社会の終わりと、グローバルグリーンな社会の起点となる宿。
日本だけでなく、世界に影響を与えれる宿。

あの時の気持ちを忘れないために、ここに記しておきます。

モロッコの海と、共に波を追いかけた彼らに、ありがとう。



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