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【レポ】目を離したらすぐインドに行っちゃう友達のヨガクラスに参加した話

ちょうど青空がうっとおしい日だった。バカみたいに青々しく敷きやがって、こっちの気持ちも考えろってんだ。
群青色に親近感も忘れるくらい心ががらんどうなのは、脳に酸素を使いすぎてるからだ。自動思考のせいで酸欠になった頭は本当にろくな事を考えない。
禍福は糾える縄の如しなんて言うけれど、禍10に対して福が10くる訳じゃない。獲物を逃がした釣り糸のようなめちゃくちゃに絡まりあって、もう切るしかないのに切れないような毎日を、半ば強引に諦める最近だった。


「BIKAS YOGA-ヨーガとインドの土産話-」


午前中は部屋の内見に行っていた。どう考えても経費削減のくせに「新型コロナウイルスの影響で、今はセルフ内見という形をとっておりますのでお客様ご自身でご覧になってください」と、紺色のスリーピースにボタンダウンシャツなんか着ている若者に告げられる。

24歳にもなって年齢など関係なしにフラフラと生きたい自分と、実際はそうであれないブレブレの自分のファイトを調停する気にもなれない。

内見を済ませて入ったカレー屋で激辛を頼んでやった。


嫌味な空の下を抜けたと思ったら都営新宿線の改札は遥か彼方。今度は都会の土中で人の海に溺れながら仕方なく足を進めた。

差し入れのどら焼きを買ってBIKAS COFFEEに着いたのは開始10分前。なんてったって照れくさい。今日は親友のヨガクラスに参加しに来たのだ。何を隠そう、僕の友達はプロのヨガ講師なのだ(僕の何よりの自慢と言ってもいい)。

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何年もの付き合いになるのに僕が彼女のクラスに行けなかったのは、タイミングが合わなかったからではなく、ただただ恥ずかしかっただけだ。僕の身体の関節が昭和の超合金くらいしか可動域がないことがバレてしまうという、つまらない強がりだった。

受付でコーヒーを受け取り(参加費はコーヒー代含)、ちびちびと口に入れながらクラスを受ける。今日は「インドの土産話」と銘打って、彼女が今年の夏訪れたインドのアシュラムの経験と、ヨガのイズム、在り方を教えてくれる話から始まる。どれもこれも、簡単には手にいれることは出来ない、ネットでパッと調べただけでは手に入らない、初心者には到底咀嚼出来ないような内容ばかりなのに、軽やかな語り口。彼女が沢山のものを費やして手に入れた知識の泉にしばし溺れる。学ぶって楽しいと純粋に思える(その話の内容はここに記したいことばかりだが、それはあなたが参加して直接聞いて欲しい。絶対に彼女の口から聞いた方がいいからだ)。

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ヨーガの哲学の片鱗を見せてもらったところで、今度は身体の番だ。さて、お手並み拝見といきますかね、と言わんばかりに僕の肩がなる。両親ともに持っていない腰痛と肩こりを同時に付与され、O脚、背骨歪み、顎関節症を備えた「奇跡の子」である僕に叶うかな?高3にして「こりとかじゃなくて病気ですね普通に」と整体師に言われたこの背中、曲げられるかね?

ヨガマットを並べて、レッスンの始まりだ。みんなで彼女と向かい合う。
ガラスの外にはどこかからコピペしてきたかと思うほど繰り返される東京の車道が映されていた。


クラスが始まった。

「よろしくお願いします」

さっきまで談笑していた時とは全然違う。


声、低い。



彼女の口から聞いたことのないような声が出ている。
言葉の一つ一つにビブラートがかかっているような、何万年もかけてできた鍾乳洞の中で雫が落ちた時のような音の波紋。


手を合わせて胸に当て、心臓の鼓動を聴く。
トク、トク、トクと脈打つ音が親指が教える。

シャバーサナ。屍のポーズ。
ただ横になって、呼吸。

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心臓のポンプだって、呼吸だって、一度だってやめたことは無い。
生まれた時から毎日している。
いつもいつも、何よりも慣れたはずなのに。

どうしてこんなに、鮮明に感じることができるのだろう。
鼓動のリズムが、息の通り道が見える。

「気持ちよーく腕を持ってきて、ぐーんと伸ばします」


太陽礼拝。長時間椅子に座った時にする伸びとは違う。
関節にまとわりついたコンクリートを、ひとつずつ外していくような感じ。
順番に、順番に、パキパキと気持ちよく落ちてゆく。
今までどんなに重いかも知らずに運んでいたブロックが外れてようやく、自分の身体の輪郭が見えてくる。


丁寧に、丁寧に進んでいく。
動画サイトで見ながらヨガをする時とは違う。

なぜやりやすいのだろう?と疑問に思うほど、僕は気持ちよく手足を運んだ。
どう動けばいいのかと考えるよりも、伸びを感じることに集中した。


それはきっと、彼女がよく見てるから。
人のことをよく見て、まるで自分のことかのように考える彼女のヨガだから。
時に悩みの種にさえなる観察眼と思考が、優しさのために使える場所だから。


横に寝た状態から足を上げて、背中を両手で支えて足を伸ばす。
サルヴァンガーサナ。肩立ちのポーズ。

そこから足をゆっくり頭の方に倒し、つま先をつける。
ハラーサナ。鋤(すき)のポーズ。

中国拳法のある派では、人間の身体を「水の入った皮袋」と考える。
僕の中にある水が、ようやく流れを思い出してきた。頭の先に、足の先に届く。


足を開いて状態から前足を曲げて両手を開き、骨盤を前に向けたまま右を向く。
ウォーリア・ツー。戦士のポーズ。

うつ伏せの状態から顔を挟んだ両手で地面を押して頭を上げる。
ブジャンガーサナ。コブラのポーズ。


使うのは、身体ただひとつ。
右手、左手、右足、左足、胴体、首、頭、それだけ。
そこから何通りものポーズが生まれる。
身体は拡張しない。
ただ「そこにあるもの」の可能性を求める者達の、探求の形。

緊張と緩和のうちに、僕は戦士になったり鋤になったりコブラになったり死んだりしていた。

開いた足から両手を伸ばしたまま傾いて、上にある手をぐーんと伸ばす。
三角のポーズ。ウッティタ・トリコーナ・アーサナ。

「ほそーい隙間に、手を入れるイメージです」


仰向けの状態から足を上げる。
足上げ腹筋のようなポーズ。

「かかとを遠くに〜」


彼女は、僕よりも身体のことを知っている。
僕よりもずっと、その声を聴いてきたから。

隙間をイメージすれば、自然に腕が伸びるように。
かかとに意識を向ければ、自然に膝が伸びるように。

上手な言葉と身体のカラクリが気持ち良い。


あっという間に、最後のシャバーサナ。
最初よりも背中が床に張り付く。呼吸も深い。
コンクリートの天井から瞼を下ろす。
彼女は深く息を吸い、マントラを唱える。

それは低く、緩やかな声の連なり。
牧場の丘の上から飛ばした紙飛行機のように飛んでゆく音。
内臓に溶けてゆくマントラ。


「満ちている あれが 満ちている これが 
 満ち足りたものから みちたりたものが 現れる
 平穏あれ 平穏あれ 平穏あれ」


ああ、ここか。

僕は思い出していた。

ネパール、カトマンズの空。旗をなびかせるヒマラヤの風。

インド、ヴァラナシの空。ガンジスの水面をなぞる気取らない風。

タイ、バンコクの空。雨と雨の間に駆け抜ける、よそ行きの風。

真っ赤なタワーから飛び出した、浜松町の夜風。


空の下、たくさんの美しい追憶。

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どうやって目を覚ましたのか、覚えていない。

彼女のヨーガで僕は何か新しくなった?
いや、どこまでも、既にあるものだった。
なくてもよかったものをたくさん手放して、手放して、残ったものに出会う。

ぐちゃぐちゃに絡まった糸をほぐして、ようやく細さを思い出す。


いつからだろうか。自分の糸を、棒に、パイプに、丸太に見せたくなったのは。
変わらぬ糸の細さを悔やんで、大きなものであるかのように誤魔化すようになったのは。
太いものの殻を被るごとに、自分の細さが目立つだけなのに。


彼女のヨーガは、あなたがあなたに出会う時間。
絡まり合った糸をほどく呼吸。
思い出したいものを呼び起こす鼓動。

勇気を持って、足を運んで欲しい。
お気に入りのコーヒーを水筒に注いで会いにいこう。

出会いはきっとあなたを呼んでいる。

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【レポ】
目を離したらすぐインドに行っちゃう友達のヨガクラスに参加した話
〜完〜

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極悪
どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。