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当たり前を失った人にしか当たり前の価値が分からない

ここのところ体のこと・命のことでいろいろと考えている。

自身が失神で転倒し前歯を折るという経験をしたことでガラリと世界が変わった。

それでも、昨日の記事で味噌汁の味が薄いだのなんだの、ふりかけ最高!なんて言ってたけど、そのふりかけすら当たり前にかけられない人もいる。

病院のベッドで動けなくなるまで、当たり前になんでもできることがどんなに羨ましいことなのか分からないでいるのである。


でも先に分かりすぎたとしても、生きてられないのかもしれない。

先のことを考えないでいるから、今を楽しめるのかもしれない。


思いっきり笑顔で遊んでいる子供は、そんなこと考えもしないだろう。


何が正解で、何が間違っているのか。


ご飯を好きに食べたり、お酒を飲んだり、お菓子を食べたりだとか

自由にできることは素晴らしい。

でもそれが当たり前だと、そんな価値に気づかないでいる。


そして失う時は突然にやってくる。


人は関わりあって生きている。

だから自分が持ってないものを持っている人のことを羨んだりする。


自分は不幸だなって思っている人もいるかもしれない。

でもそんな人のことを羨ましいと思う人もいる。


なんだろうなあ


病院のベッドの上で絶望を味わうまで

自分が持っている物の価値を
本当の価値を気づけない。


今、そういうことが少し理解できるようになったことが、今回倒れたことでよかったことだ。


どんな事象もどう捉えるかで、いいことにも悪いことにもなる。

今がどんな状況だとしても、今持っているものを見つめることができれば、人は救われるのかもしれない。


他人が癌になったという告白を聞いても

かわいそうだと思うがしょせん他人事

自分のことではない。

だから心配にはなっても、その人の本当の苦しみは理解できない。

それを突きつけられて、何かを失うことが、目の前に来るまで、その本当の苦しみは理解できない。


みんな、誰もがいずれ体験すること。

人生なんて長いようであっという間。


どんなことでも、最後まで楽しめる人が勝ちなのかもしれない。


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テル@星詠み
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