歌詞における漢字の閉じ開き
『この街でいまキミと』(歌:Liella! 作詞:宮嶋淳子)、いい歌ですよね。と、雑にフリだけ入れておきまして。
漢字でも書ける場合において、ひらがな書きにすることを「(漢字を)開く」、そうではなく漢字で書くことを「閉じる」といいます。この漢字の閉じ開きって、あまり意識されないものなのでしょうか。
えーと、私の怪しい英語は無視してください。日本語ノンネイティヴの方の疑問を拾ったときのものです。
一般には読みやすさを求めて閉じ開きを考慮することが多いのですが、この例では別の理由でひらがなに開いたり、カタカナを使ったりしてあるのでしょう。標準的な字を外すところに作詞者の意図があるように思います。
漢字を想定して読んでいるところにひらがなやカタカナが来ると、まずちょっとした違和感、異物感を覚えます。カタカナの場合には特に。ですが開くための(カタカナ書きにするための)明確なルールはありませんから、見て分かるのは何かが違うということだけ。読み取れるのは、そこに他の意味も込めたのだろうという書き手の意思のみです。どう解釈するかは読み手次第になりますね。
ただ、想像をふくらませるための多少の手がかりはあります。漢字・ひらがな・カタカナには、それぞれが持つイメージがあるんですよね。
ひらがなは曲線が多く使われているため柔らかい印象を与え、カタカナは直線で構成されているので少し堅い感じに。本来カタカナは外来語(と擬音語)に使われる文字ですから、エキゾチックな雰囲気を醸す場合もあります。漢字は標準的な選択ですけれど、画数が多いため、開いた場合に比べると整然としたイメージになるでしょうか。
当該ツイートは歌に関してでした。歌詞を読み解くのが苦手な私が頑張って考えてみたのですが――。
まずわかりやすい「キミ」から。よく使われる表現ですね。ただの二人称ではなく、自分にとって特別な意味を持つ君・あなたでしょう。「キミ」がいるから、なんでもない時間だって特別なものになるし、大切な「いま」を一緒に過ごせるからこそ、あなたは特別な存在なのです。
そして「いま」。「今」は普通に開く場合もありますが、ここではその包み込む柔らかさがいいなと思います。「キミ」と過ごせる今この時は、「いま」しかない。この先にはまた違ったものに変わってしまうのだろう。それがおぼろげながら分かっているから、壊れないように両手のひらで優しく包んでいる。そんなふうに感じられて。
でも歌詞を読んでいくと、大事に大事にしまい込んじゃってるわけじゃないのが分かるんですよね。うーん、私にはちょっと眩しすぎる歌かもしれません。笑
歌は短い言葉の中にさまざまな意味を込めて情景や心情を綴るのものです。漢字の閉じ開き(+カタカナ書き)も、こうして大きなはたらきを担うように思うんですよ。
そこで最初の疑問に戻るのですが、ネイティヴはあまりに自然に使い分けるから、逆に意識しなくなるんでしょうか。というのも、歌詞の解釈をしているブログなどを拝読していても、漢字の閉じ開きに言及しているものをあまり見かけないもので。
私は歌詞を読めないので考察なんて高尚なことはできないのですが、同じ宮嶋淳子さんの作詞で『Tiny stars』(歌:澁谷かのん(伊達さゆり)、唐可可(Liyuu))なんてのも面白そうなんですけどね。
「ちいさくても」「よろこび」「かなしみ」「ひかり」「ものがたり」これらは意図的に開いてありそうな一方で、「叶う」「絆」くらいならともかく、「煌めけ」は一般的でもない字なのに閉じてあるあたり、何か見えそうじゃありませんか?
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