怖さをちゃんと知る子だから

贔屓の子

アニメの感想をブログなどに書くときには、登場人物の中でも、贔屓のコについては取り上げる頻度や表現を控えめにするよう意識しています。

思ったことや感じたことをそのままに垂れ流すと、触れるのが特定の子ばかりになってしまいそうで。それが悪いってわけじゃないのですけど、「お話」の感想ではなくなっちゃうんですよね。

そのため、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1 年生、かすみんこと 中須かすみちゃん については、私、そこまで多くは述べておりません。

……と自分では思ってますが、実際どうですかね? アニメ 1 期第 2 話がお当番回で、その感想ブログで一通りさらったくらい かな。あとは最低限に留めて、おとなしくしていたはず。ウン。

つい先日 1 月 23 日は彼女のお誕生日でした。Twitter でタイムラインに流れてくるお祝いのツイートや、誕生日に合わせて書かれた他所様のブログ記事なんかを拝読していて、少しばかり気が向きましてですね。たまには何か一言述べたいなあと思い立って、遅ればせながらキーボードを叩いています。

ネタはなんでも構わないのですが、最近見たエピソードの中から、ちょっとイイなと思ったところをピックアップしてみますね。

図に乗る子

『にじよん あにめーしょん』 第 2 話「ランジュと愛と可愛い」からです。サブタイにある二人が「かわいさ対決」をしているところからお話は始まっていました。

嵐珠がかすみんに「かわいい」を教わったことが発端の様子ですね。かすみんはエピソードに直に登場するわけではなく、みんなの話に上がったイメージでの出演でした。

嵐珠「かすみ師匠に教わったのよ」
 「嵐珠もまだまだね。かすみのようにもっと高みを目指さなくちゃ」

出典|『にじよん あにめーしょん』第2話

かすみに師事するという嵐珠は、当然のように彼女を褒めます。

ここが嵐珠の素敵なところで、他人の長所を見つけたら本当ストレートに褒めますよね。嵐珠自身もいろんな強みを持っていて、それを自覚している、かなり「力のある」部類の人間だと思うのですが、他人の評価すべきところはきちんと評価します。そして、認めた点が自分に足りていないものだと感じたら、素直に教えを請おうともします。この持ち上げて下手に出る姿勢は、かすみんとの相性がとてもいいんじゃないでしょうか。

はたして、褒められたかすみんは図にのります。

      __
    ヽ|・∀・|ノ
    |__|
     | |
       図

劇中に出てきていたのはイメージでも、実際彼女はそのような反応を示すんだろうなあ。目に浮かびますよね。

褒めてあげたい子

果林さんと歩夢には半ば呆れられている様子でしたが(そして私も茶化してますけど。笑)、称賛を素直に受け取って自信に変えていくところは、私が彼女を好いているポイントの一つです。褒められることに貪欲で、好意を与えられたら余さず吸収していくって素敵です。

私は称賛を上手に受け取ることができないので、そんな彼女を羨ましく思います。(私、ついつい「そんなことありません」と否定してしまうんですよねえ。せっかくのお褒めの言葉が台無しです。モッタイナイ)

評価をそのままに自分のものにするとは、裏を返せば、かすみんはヒトの言葉を気にしすぎるキライがあるとも言えます。実際、チヤホヤされれば力付く一方で、反応が芳しくないとよく不安がっていますよね。フラフラとして、自分が定まりきってないように見えます。

常に褒めてほしがるのも、ある種、自信がないことの表れじゃないかと思うのです。たとえば「無敵級*ビリーバー」ではその葛藤が歌われていたんじゃないかな。

しかしまあ、こういった自分に対する不安なんてものは大なり小なり誰だって持っているものです。いたって普通のこと。それに自分を固めるためには、外からの評価だって有効で、大切なものです。プラス評価は不安を拭い去ってくれるし、自信の糧になってくれます。

かすみんは、それをはたらかせるのがとても上手なのでしょう。いいところを認めてあげれば、力を得てよりいっそう輝きを増す子なんですよねえ。だから、これを応援しない手はない! と私などはは思うのです。

この『にじよん』のエピソードでは讃えられて良かったね。私も嬉しいよっ。

怖がる子

しかしそれで終わらないのが、かすみんクオリティなのでしょう。勢いづいた彼女はさらなる「高み」に登っていき、気がつけば一人では降りられない高さになっていました。

一人で降りられなくて怖がる中須かすみ
出典|『にじよん あにめーしょん』第2話

泣き言をいうかすみん。最後の最後にやっぱり締まらない様子がかわいらしいなあ。

上げて落とせるから(ここでは上げっぱなしかな?)かすみんは動かしやすいなんて言われるんでしょうか。当エピソードでもちょっとしたオチ担当ですね。

これもこれで好きなポイントではあるのですが、私がイイなと思ったのは少々違う点です。

彼女、この高さに怖がってるんですよね。もっと早く気付けよとは当然のツッコミでしょうけど(笑)、それでも これが自分では扱えない高さだと自覚できているのがエライ。危険だとちゃんとわかってるんですよ。

持ち上げられて、自分を大きく感じるところまではいいんです。問題は度を超えたときに気づけるかどうか。気づかないのは危険です。大きく高くなった虚像を本当の自分だと錯覚して、中身も伴わないのにそう振る舞えば、待っているのは大怪我をする未来だけですから。

この画では、ちょっとバランスを崩しただけで真っ逆さまに落ちる羽目になるわけですよね。かすみんはその落差が危険だと気づける子なんです。

チヤホヤされていい気になった結果、取り返しがつかないほどの痛い目をみるのは一般によくある話でしょう。けれど、かすみんはその手前でちゃんと立ち止まれる。少なくとも大怪我するような振る舞いまではしない子なんだよなあって。

自分がわかる子

かすみんがここまで登ってきたのは、嵐珠の褒め言葉があったからです。確かに足元には立つだけの土台が伸びてきてますね。しかし動き回るにはあまりにも狭すぎる。一歩間違えれば凄惨な結果につながりかねません。

その高さで自由に動きたければ、たった一本の柱だけで登ってきていけないんですよね。ごく少数からのホメソヤシだけでは足場とするには心細すぎる。他にも裏付けとなるものがたくさん要ります。たとえば自分を研鑽する努力だとか、客観的に見られる指標だとか、もっと大多数からの支持だとかが。それら多くの柱が揃って、やっと地続きかつ十分な広さの足場が得られる。初めてその「高み」に立脚できたと言える。

登ってしまった後からではありますけれど、かすみんは自分が足りていないことに気づけるんですよ。

自己の評価において、かすみんはヒトの言葉に振り回される傾向があり、一見自分の基準が薄弱なように思えます。しかし、こうして無謀な高さに立ったときにはちゃんと知覚できます。(はっきりとじゃなくても)自分が立つべき場所を理解しているってことなのでしょう。なんだかんだ言って、自分を正しく評価できてるんですよね。大事な素質だと思います。

そしてまた、その「高み」と「地面」との落差が認識できるのならば、彼女はそのギャップを埋めるための研鑽に励むのだろうと、私はそう信じます。

"そこ" から見えた景色って、きっと素敵なはず。なら、やっぱり自分のモノにしたくなりますよね。好きなことには努力を惜しまないのがかすみんですもの。たった一本の細い柱などではない、しっかりした足場でもって、掛け値なしの高みにきっとたどり着いてくれると期待するんです。

応援したい子

「応援し甲斐のある」と言っていいのかわかりませんが、彼女はこちらが投げかけたエールを素直に、そのまま輝きに変えて、美しく羽ばたく姿を見せてくれます。応援していて嬉しい存在です。

最終的に自分を見失わないでいてくれるのなら、ときには舞い上がりすぎるのだってご愛嬌でしょう。もちろん、むやみに褒めるわけにもいきませんけれど、本人がちゃんとブレーキを掛けるのだから安心ではありますよね。思う存分(!?)愛でられるってものです。

と、そんなことを彼女の誕生日に改めて考えたのでした。

一言書くだけのつもりが、だらだらと結構な分量になっちゃった。でもお誕生日祝いのつもりだからいいよね。

かすみちゃん、Happy Birthday! 생일 축하해! これからも素敵なあなたを応援させてくださいなっ。

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