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「いったりきたり。変化することは自然の摂理。」: ほぼ日日(にちにち)コラム4

おはようございます。
よたろーです。

ほぼ日日と銘打ってから気がゆるんだのか、そんなわけはないと思いつつあきらかにプレッシャーは減っていると思います。

少し言い訳すると、前回の「コラム3」が自分でいうのもなんですが、かなり力を入れて書いたのでエネルギーをだいぶ奪われたというのは正直あります。

それに今はまだ書けないのですが(というかここで書くことがあるかどうかもわからない)大変なことが身のまわりで起こったこともあって、それどころではない、というのもありまして。

でもやっぱり手をゆるめると人間ゆるむものだ、というのを痛感しています。

自分はけっして意思が強いわけでもない。
自由を与えられると楽なほうに逃げるタイプなんだなと感じております。

このコラムのタイトルもそのうち反動で引きしめ方向に変わるかもしれません(笑)。

と、ここまで書いたのが2〜3日前。
ゆるみまくってますね。

ヘタすれば存在すら忘れかねない。

なんでそうなるのかなぁと自問自答してみました。
理由としてはこの一点につきる。

だれも困ってないから。

つまり私としては書かなくてもなにも困ることはない。
現に前回記事を書いてから数日経っているわけですが、だれからも

「早く次の記事を」

とか

「さっさと書け」

とか

「よたろーさんの記事が読めなくて夜も眠れません」

とかとか

「1000万円払ったんだから今月はあと15本は書いてもらわないと契約不履行で訴えます」

とかとか、そんなものなにもない。

あくまで自分のために書くところからスタートしているので自分に定着していない。
つまり自分にとっての意味づけが弱い。

さらに、もちろんどなたかに読んでいただくことを考えて書いてはいるものの、読んでいただいてるかたにとっても必要性が薄い。

というのことになるのでしょうね。
薄いのは私の髪だけでけっこう。
というか無い、けど。

よくよく自分をふりかえって考えると、読みたいものってどんな記事だろう。
この点をあらためてつきつめて考えないといけないのかなと感じております。

ただ、ただですよ。
この点を厳密にとらえてしまうと、そもそもこのnoteを更新しはじめた、

「とにかく書く。書くことに慣れる」

という目的が見失われてしまうことにもなりかねない。

その一方で、

「そんなものは日記として自分だけのものにしとけ。タレ流すな、バカ

というお声も聞こえてくるような気もしています。

なんだか悩ましいですね。

ゆるめたり引き締めたり、というのは世の中の常な気がします。

金利を上げたり下げたり。

規制を強化したりゆるめたり。

短期的に見るとめまぐるしい変動があって、ふりまわされるだけのような気がします。
ただ長期的に見るとゆるやかに右肩上がり。

なにかを続ける、ということはこういうことにつながることなのかも。

そう思ってゆるゆる続けてみようと思います。

といいつつ、正月明けいろんなことがありすぎたのを言い訳にゆるみすぎなので、いったん締めようかなと。

本日もおつきあいありがとうございました。
(といいつつのべ3日以上かけて書いている…)

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