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徒歩の旅で得たもの
徒歩の旅を通して得られた精神面での学びは、「慣れる」ことへの見方が変わったことにあるかもしれない。
ひと言で言えば、人間の「慣れ」ってすごいな、ということだ。
旅の初日、大阪から神戸まで36kmを歩いた。2日目以降も34km、31km、33kmと続いた。ハッキリ言って、しんどかった。家族にもLINEで「メチャクチャしんどい」と漏らしていた。
まだ始まって間もないのに、この疲労と脚の痛みを考えたら、1ヶ月弱も歩くなんて無理なのではないか、とも思った。
でも、一週間くらい粘っていると、状況が変わった。決して疲労や痛みが消えたわけではないけれど、「慣れた」のだ。キツいけど、耐えられる。そしてそのキツさの程度も、日に日に薄まっていった。
旅の終盤では、「雨で嫌だな」とか、「風邪引いてるのに辛いな」とか、そういう感情はあったけど、20〜30km歩くことに対して、脚や体力面での不安はほとんどなくなっていた。20km歩いても全然疲れなかったし、30km歩いてようやく「今日はまあまあ歩いたな」くらいの感覚になっていた。これから歩く距離に対して、キツそうかどうかではなく、ただ冷静に「5時間で行けるな」とか「7時間はかかるな」とか、そういう見方をするようになっていた。
それほどまでに、ぼくは、というかぼくの身体は、長く歩くことに適応した。そのことを強く実感したのは、旅の最終日に、テレビ局のディレクターさんと一緒に歩いたときである。
最終日は宗像市から約30kmを歩いて博多駅にゴールする予定になっていた。そして前日にディレクターさんから電話があり、「密着取材したいので30km一緒に歩きます」とのことだった。
ぼくは割と楽観的に、「普段長い距離を歩いていない人でも、一日だけなら30kmくらい歩けるだろう」と見ていた。
しかし現実は違った。
「こんなに速いんですか?」
「いつもはもう少し速いです」
ホテルを出発してすぐの頃から、ディレクターさんは歩くペースの速さに驚いていた。
5kmほど歩いてコンビニに立ち寄ったとき、もうディレクターさんの様子がおかしい。頻繁にふくらはぎをさすっていた。
「痛みますか?」
「少し」
まだ5kmなのに、異変が起きるには早過ぎる。そしてコンビニに寄るたびに、状況は悪化していた。
昼食後、しばらく歩いていると、ディレクターさんは「あそこにバス停があるんで、先回りして、またご連絡します!」と横断歩道を渡っていった。
ディレクターさんのバスに抜かれ、ひとりになったぼくは、ペースを一段上げて歩きながら、しみじみと感じていた。
ずっとひとりだったから成長を感じづらかったけど、いつの間にか、苦もなく長く歩ける身体になっていたのだ、と。旅を通して、ふくらはぎの筋肉もかなり立派なものになっていた。
そういえばこの感じ、昨秋、自転車で東北一周したときにもあったなと思い出した。
あのときも、最初は自転車を漕ぐのがしんどくてたまらなかった。初日に大したことのない登り坂で足がつってしまい、先が思いやられた。しかし、東北の山々を越えるうち、いつの間にかぼくの太ももの筋肉は強靭なものになっていた。30歳を過ぎてからは体力や筋肉は衰える一方だったのに、「まだこんなに成長できるのか」と感動した。
それと同じことが徒歩の旅でも起きた。そして「ぼくはまだこんなに歩けるのか」という自信は、ただ「歩くこと」だけに留まらないと感じる。
自転車旅でも徒歩の旅でも同じことを感じたのだから、きっと何をやっても、ぼくはまだまだ「思った以上に成長できるはず」なのだ。これからも「できないと思っていたことができるようになるはず」なのだ。
水風呂でもピアノでもそうだった。
ぼくは30歳を過ぎてから初めて水風呂に入ることができた。それまでは何度トライしても足先しか入ることができず、「水風呂は入れる人と入れない人がいるんだ」と信じていた。自分には無理だと思っていた。でもあるとき、意を決してチャレンジして、全身浸かることができた。それ以降はいつでも入れるようになった。
2年前に始めたピアノも、3ヶ月間ずっと同じバッハの曲を練習し続けたら、1曲通して弾けるようになった。始める前には考えられないような奇跡だった。自分がバッハを弾けるようになるなんて。
これらと同じ感激だった。最初は無理だと思っていても、続けていると案外すぐに慣れるし、身体が環境に適応する。そして「キツかったこと」が、当たり前にできるようになる。
「慣れ」には、ネガティブな慣れとポジティブな慣れがあると思う。
「最初は新鮮で楽しかった仕事なのに、今ではもう惰性でやるようになってしまった」というのがネガティブな慣れ。
「最初はこんなキツいことできないと思っていたけど、続けるうちに慣れてきて、キツくなくなってきた。自分の成長を感じた」というのがポジティブな慣れ。
ネガティブな慣れに陥らないためには、常に自分自身と向き合い、ハードルの設定をし直す必要があるのだろう。多少無理しないとできないくらいがちょうどいいのかもしれない。
ぼくに関して言えば、日常の自分というのは、基本的に「なまっている」と言って差し支えないと思う。日頃、何か具体的なハードルを課しているわけではなかったから。とすれば、能力の限界値からは程遠いところにあるはずだ。本来秘めている能力のほんの数%しか使えていないのではないか。だって「歩く」という行為ひとつとってもこうだったのだから。
たとえば読書に関しても、もっと何かできるような気がした。ハードルを設けなかったら、ダラダラと何日もかけて読むことになる一冊の本。これを、「3日で読むぞ」と決めてしまう。そしたら最初は無理だと思っていたけど、やってみたら意外とできてしまった、ということになるかもしれない。そして続けるうちに読書スピードが上がり、同じ分量を2日で読めるようになるかもしれない。
このような日常の心がけはきっととても大切なことだろうなと、ぼくは徒歩の旅という非日常から学んだのである。
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