人間と音楽の可能性。34歳から始めたピアノがもたらしたもの
ふと調べてみたら、メルカリでの取引回数が、530回を超えていた。何気にヘビーユーザーである。
旅先でお世話になったアニメファンの方にプレゼントするために購入した、「DEATH NOTE」のTシャツや「NARUTO」のトートバッグ(ともに新品)。
あるいは、広大な歴史への興味の扉を開いてくれた、横山光輝の漫画『三国志』全巻セット(文庫全30巻)。
いずれも良い買い物ばかりだったが、なかでも「メルカリでいちばん良かった買い物」は何だろうか?
それは、2022年5月に中古で購入した「ヤマハの電子キーボード」である。この買い物は、ぼくに大きな影響を与えてくれた。
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ほとんどピアノを弾けないのに、どうして電子キーボードなんて買ったのか?
それは、兄の影響だった。ぼくには2人の兄がいるが、今回は12歳離れた、ベルリンで暮らす長兄の方だ。
兄は2020年頃、当時5歳の息子と一緒に、ピアノを習い始めた。なんと、45歳からである。
小さい頃からクラシック音楽が大好きで、学生時代はフルートを吹いていた兄だったが、ピアノの経験は一切なかった。だから最初はもちろん、下手だった。ときどき家族のLINEグループに練習する様子の動画が送られてきて、ぼくはさほど関心も寄せず、「よくやるなあ」と思っていた。
だけどそれから1年以上経って、久しぶりにシェアされた動画でモーツァルトのピアノソナタを練習する兄の様子を眺めたとき、少なからずショックを受けた。というか、我が兄のことながら、かなり感動した。
「45歳から初心者でピアノを始めて、わずか1年半でここまで弾けるようになるものなのか・・・」
1年前とは、見違えるようにうまくなっていた。大袈裟かもしれないが、それは「人間の可能性」を感じさせるものだった。以前、「90歳から英語の勉強を始めたおばあちゃん」に取材したことがあるが、そのときと同様の感動を覚えた。
たどたどしさはあっても、左手が滑らかに動いているのがまずすごかったし、何よりちゃんと両手で弾けている。兄は「どんなに忙しくても毎日30分は練習している」とのことだった。その日々の努力や習慣も含めて、素晴らしかった。
人は何歳になっても、新しい挑戦を始めることができるのだ。
ぼくは小さい頃に、数年間ピアノを習っていたが、先生が厳しかったことと、練習が嫌いだったこともあって、苦行のような習い事だった。まったく楽しめない。そして小学4年生のとき、ついに耐え切れなくなり、大した上達もないまま辞めてしまった。
それから24年の歳月が流れ、34歳のぼくにできたことは、少しだけ楽譜が読めたことと、少しだけ指が動かせたこと。それくらいのものだった。
しかし、兄の映像が、ひと筋の希望となった。
「ぼくも頑張れば、今からでも弾けるようになるだろうか」
45歳から始めた兄にできたのである。ひと回り若いぼくには、さらに可能性があるのではないか。
本能的に、「ピアノをやりたい」と感じた。そしてその日のうちに、近くのピアノ教室をいくつか調べ、良さそうな教室の先生にメールを送った。
すると、翌日の朝に教室から返信があった。
ぼくは何も準備せずに体験レッスンに行けるものだと思っていたので、「何かピアノの楽譜をお持ちで、少しでもお弾きになれる曲はありますか?」と聞かれたのは誤算だった。「体験レッスンのために練習する」なんて変な話だけど、でも逆の立場で考えたら、先生がそうおっしゃるのも理解できる。体験レッスンは無料だし、やる気のない人、続く見込みのない人に気軽に来られても困るだろう。楽譜を用意して、少しでも練習して臨むくらいの意気込みがないと、大人になってからのピアノ教室通いなんてきっと続かない。
すぐに楽譜を買った。今は「ぷりんと楽譜」という便利なサービスがあって、サイト上で欲しい楽譜を検索し、控えた番号をコンビニのマルチコピー機で打てば、数百円で楽譜が印刷できてしまうのである。ぼくは高校生の頃に趣味で練習していたラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』と坂本龍一の『Put your hands up』の楽譜を手に入れ、予約した川崎のピアノスタジオへ向かった。
ピアノスタジオは無人で、30分500円で借りられた。ぼくは朝、仕事前に1時間練習した。ピアノに触るのは、何年ぶりだったろうか? 幸い、昔よく弾いた2曲だったので、感覚は多少残っていた。和音の喜びに浸り、気付けばあっという間に1時間が経った。ピアノ、楽しい!
ぼくは我慢できず、午後に再び1時間予約し、また細かなところを何度も練習した。これで一応、体験レッスンで冒頭の30秒間を弾くくらいの準備はできた。
しかし、再度ピアノ教室に連絡するのには、まだ踏ん切りがつかなかった。それは、「ピアノを持っていない」という致命的な問題があったからだ。
必ずしもピアノを所有しなくても、こうしてピアノスタジオに通えば練習はできる。だけど、2時間で2000円かかって、おまけに「まだまだ練習したい」という気持ちになっている。これは、思い切って買ってしまった方が安上がりなのではないか。
そこで次は、どんなピアノであれば、狭いアパートの部屋でも置けそうか、という検討に移った。体積の大きい電子ピアノはスペース的に無理だが、平板な電子キーボードなら良さそうだ。
ただ、本物のピアノと同じ「88鍵盤」だと横に長過ぎてテーブルに収まらない。かといって「61鍵盤」だと弾けない曲も出てきて、物足りなさを感じるだろう。だから中間の「76鍵盤」に目星をつけた。76鍵盤あれば、大抵の曲はカバーできるはずだ。
いくつか楽器店も訪ねて検討したが、あれこれ迷ううちに数日が経ち、もどかしくなってきた。早く練習がしたいのだ。
すると、欲しかったヤマハの電子キーボードを、メルカリで見つけた。
1万9000円。新品を買うよりかは遥かにお得だが、メルカリで買うものとしては、過去最高に高い買い物だった。
一瞬悩んだが、チャンスを逃すまいと、思い切って購入した。そして数日後に無事届いた。テーブルにセッティングして、早速練習した。最高に楽しい。さっさと買って良かった。
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高校生や大学生の頃はクラシック音楽に夢中になり、ピアノ協奏曲や交響曲、室内楽と様々なジャンルを好んだが、今でもよく聴いているのはバッハの鍵盤曲である。平均律クラヴィーア曲集や6つのパルティータ、フランス組曲、ゴルドベルク変奏曲、インヴェンションとシンフォニア、などなど。なんだかんだ、バッハを聴いているときが、いちばん落ち着くのである。
だから少しでもいいから、バッハの曲を弾けたらいいなと思った。
ぼくはまたメルカリで、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』の楽譜を買った。今は中古でいろんな楽譜が手に入る。便利な時代だ。
ただ、いきなりインベンションは難しかったので、一段レベルを下げて、『プレ・インベンション』という楽譜を購入した。ぼくのレベルでも練習すればギリギリ弾けそうな、比較的簡単な曲が並んでいて、それらを地道に繰り返していけば、着実に『インベンション』への道が道が拓けてきそうな予感があったからだ。
そして電子キーボードが届いてから約3週間、毎晩1時間ほど練習した。その生活に豊かさを感じた。
ベルリンの甥っ子がバッハのメヌエットを弾けるようになり、ちょうど『プレ・インベンション』の中にもその楽譜があったので、ぼくも同じ曲を練習することにした。誰もが一度は耳にしたことがある、ピアノ練習の定番の曲だ。だが、これがいざやってみると意外と難しい。運指と、両手で合わせることがなかなかスムーズにいかない。それでも数小節ずつ、毎日練習するうちに、5日目にして暗譜で弾けるようになった。そして日に日にミスが減っていった。こういう小さな成長を実感できることって大人になると極端に減るから、とても嬉しいことだった。
実際に取り組んでいるのはピアノだが、ピアノ以外でも「自分はまだまだ成長できるんだ」という前向きな気持ちになってきた。
ピアノ教室に通わなくても、ひとりで十分楽しめることがわかり、結局教室に通うのは辞めた。もし自力でやることに限界を感じたら、また教室を検討することにした。
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その頃、ぼくは村上春樹の『ノルウェイの森』を再読していて、思わずハッとする台詞に遭遇した。
初めて読んだときは、そこまで刺さる台詞ではなかったと思う。それが今は、レイコの言葉が、まるで自分のことのように理解できた。
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電子キーボードを買ってから5ヶ月が経った2022年10月、ぼくは自分の力量を考えたら遥かにレベルの高い曲に、挑むことにした。
バッハの「シンフォニア 第14番」という曲である。ゆっくり演奏して、約2分間の曲だ。
本来であれば、もっと段階を経てからチャレンジするべき曲。だけど、何度も聴いているうちに大好きになり、今すぐ練習したい気持ちを抑え切れなくなってきた。「何がなんでも弾けるようになりたい」という一心で、毎日2時間前後の練習を繰り返した。
先生は、YouTubeだった。見知らぬ外国人が弾いているのを、0.5倍速で何度も再生し直して、譜面上のすべての音符に指番号を振るところから始まった。
弾くのも、1小節ずつの地道な闘いだった。新しい小節に移るたびに「こんなの弾けん……」と挫折しかけた。
でも、何度も何度も同じフレーズを繰り返すうちに、指が自然と反応してくれるようになってきた。不思議な感覚だった。
そして、練習開始から丸3ヶ月が経った2022年の大晦日。ついに、「シンフォニア 第14番」を一曲を通して弾けるようになった。楽譜を読みながら弾くことはできないから、すべて暗譜である。何百回と繰り返すうちに、勝手に指が動くようになった。
このとき味わった達成感は、計り知れない。もちろん、ぎこちない部分は山ほどあるけれども、下手なりにも自分がバッハの曲を弾けるようになっただなんて、信じられないことだった。奇跡のようで、涙が出るくらい嬉しかった。
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2023年1月末、母と一緒に、小さい頃からお世話になっていたおじさんの家を訪れた。そのおじさんも、クラシックが大好きな人だった。
しかし数年前に大病を患い、満足に指を動かせなくなっていた。それでも、幼稚園児向けの教本で、指を振るわせながらピアノを練習していた。
おじさんに会ったのは数年ぶりだった。うちの母からぼくがピアノを始めたことを聞いて驚いたらしく、「うちで弾いてくれ」ということで家を訪問したのだ。
おじさんの家にも電子キーボードがあったので、それで習得したばかりのバッハの「シンフォニア 第14番」を弾いた。雰囲気を出すため、そして祈りも込めて、音色をパイプオルガンにした。
すると、想像以上に感激してくれた。おじさんは身体を揺すり、全身で、音楽を感じているようだった。
家にあがったときは、病気のため随分具合が悪そうだったけど、帰るときは、少し元気になっていた。
人間の可能性と、音楽の可能性。
プロのピアニストの演奏だけが、人に感動を与えるわけではないのだ。
大人になってから始めたこんなに下手なピアノでも、誰かの力になれることはあるのだと、ぼくはそのときに学んだ。