シドニー&メルボルンの旅(4)
いったい村上春樹さんはどうなっているんだろう。この旅が始まってから、ぼくは毎晩3000〜4500字程度の文章を書いている。観光して、文章を書く。睡眠時間は削られるし、体力的にかなり限界に近い。
それなのに、エッセイ集『シドニー!』における村上さんは約3週間のシドニー滞在中、毎日1万字以上を書いていた。そんなハードな作業をこなしながら、行動も文体も軽やかだ。シドニー五輪の取材の隙間時間に、動物園や水族館に行ったり、ランニングをしたりと、きちっと楽しんでいた。
昨日、日記を書き終えて部屋に戻ると、もう全員が眠っていた。消灯中の作業はシドニーのゲストハウスよりもハードな状況で、ぼくはもうシャワーを浴びるのも諦め、そのまま寝ることにした。
「これからいろんな場所を訪れたいので、そのためならできる限り宿泊費を削りたい」
昨日はそう書いたが、早速前言撤回したくなった。普通にホテルの一人部屋に泊まりたい。ドミトリーは金額面で大きなメリットがあるけど、「自分のタイミングで行動ができない」というデメリットもある。シャワーは限られた数しかないから、入りたいと思ったときに埋まっている。洗濯機もそうだ。また、23時過ぎには消灯しているため、何かをスーツケースから取り出そうとすると、iPhoneの懐中電灯をつけながらでものすごく時間がかかるし、なるべく音が立たないよう慎重に作業しなければいけない。気を遣うことにる小さなダメージが、じわじわと積み重なってくる。
元気に観光を楽しんで、きちんと文章を書いて、睡眠で疲れを取る。そのサイクルを日々回していくことが重要だから、そのためのお金は惜しんではいけないのかもしれない。そういうことを学んだ4日間だった。そういえば村上さんも、シドニー滞在中はルームサービスで朝食を頼んでいた。最も大切なのは文章のクオリティを下げないことで、彼はプロの作家として、そのためにできることを惜しみなくやっていた。今回はゲストハウスでやり切ろうと思うが、今後の旅ではどこに泊まるべきか、金額面の問題はあるものの、少し再考することにしよう。
さて、今日の話。
まだ誰もが寝ている朝6時半に起き出し、シャワーを浴び、バナナケーキを食べ、水筒に宿のリンゴジュースを入れて、7時半に出かけていった。今日は結構寒い。シドニー初日は「冬服なんていらなかったじゃないか!」と叫びたくなるほど暑かったが、メルボルンに来て「やっぱり持ってきて良かった」となっている。
待ち合わせ場所として指定されたホテル「トレジャリー オン コリンズ」までは宿から徒歩8分ほど。ここでジョーさん(Joe)と落ち合い、ワゴン車に乗った。
今日はメルボルン観光で有名な「グレートオーシャンロード」を巡るツアーに参加する。最大の名所「12使徒」まではメルボルン市街地から約225kmあり、片道3時間かかる。鉄道も通ってないから、レンタカーして自力で行くのでなければ、現地ツアーに参加するしかない。当初は、費用も結構するしどうしようかなと思っていたのだが、行かないと後悔する気がしたので、申し込むことに。
はじめ、HISやベルトラで見ていたら、日本語ガイドのツアーは170〜190ドルくらいした。これは1万6000〜1万8000円くらいだ。
だけどその後、Expediaで遥かに安い日本語ガイドのツアーを見つけ、123ドルで済んだ。どこで申し込んでもツアーの内容に大差はないから、検索力というのは力になる。今後現地ツアーを調べる際は、英語で検索すると良さそうだ。
ぼくが申し込んだのは、「Mr John Tours」が運営するツアー。集合場所の取り決めなどは代表のジョンさんとメールでやりとりしたが、今日のガイドは息子のジョーさんだった。お母さんが千葉県出身の日本人だそうで、彼も日本が大好き。日本語がとても上手で、問題なく話せる。同じグレートオーシャンロードの現地ツアーでも、英語ガイドでもよければ90ドルくらいのツアーも見つけられたのだが、やはり説明が理解できないとストレスになるし、道中いろんな質問もしたかったから、結果的にこのツアーに申し込んで良かった。ジョーさんの明るい性格で、ぼく含め11名の参加者をうまくまとめていた。
ツアーの行程は、まずメルボルン市街地から国道1号線を意味する「M1」で南西へまっすぐ進む。途中、ウェロビー、昨日降り立ったアバロン空港、ジーロングなどの街を通った。
1時間半ほど走り、ウィンチェルシーのガソリンスタンド(Ampol)で15分休憩。日本では全国どこへ行っても大きな道沿いには必ずコンビニがある。しかしオーストラリアではコンビニ的な店は市街地にしかなく、では道の途中で売店を探すとしたら、ガソリンスタンドになる。ヨーロッパや北米と同様、ガソリンスタンドには飲み物やお菓子が充実していて、その「コンビニ的要素」は日本よりも高い。カフェやイートインスペースも併設されていた。
休憩を終えて、再び「M1」を進む。このM1はオーストラリアを一周するこの国の最重要路線。だからもしぼくが自転車でオーストラリアを一周したければ、M1をひたすら走れば実現するのだろう。一周約1万5000kmあるというから、毎日100km走っても5ヶ月間かかる。土地的にハードだし、観光要素的にも退屈な時間が多そうだから流石にやりたくはないけど、想像だけなら楽しい。
コーラック湖で有名だというコーラックの街を通り過ぎ、そこから少し走ったところで横切っている「C163」という道路に左折して入り、今度は海に向かって南下する。シンプソンという街で「C163」は「C166」に切り替わる。さらにまっすぐ進むと海にぶつかる。この海沿いの道が「B100」で、全長241km(トーキーからアランスフォードまで)ある「グレートオーシャンロード」である。
海にぶつかったら右折して少し走ると、そこが目当ての「12使徒」。駐車場に停めて、展望台に歩いていくと、断崖絶壁と海からそそり立つ巨大な奇岩が織り成す、実にダイナミックな眺めが広がっていた。昔は実際に12個の岩があったのかもしれないが、侵食を受けて徐々に減っていき、現在では7つしかないという。50年後には3つくらいになっているかもしれない。とにかく強烈な風が吹いていたのも印象に残った。
その後に訪れた、すぐ近くのロックアードゴージ(Loch Ard Gorge)と呼ばれる場所も良かった。個人的には、こちらの方がより壮観で好きだった。ロックアードとは1837年に難破した船の名前で、当時イギリスからメルボルンまで乗客54人を乗せて航海中だったが、沈没し生存者はわずか2名のみだったという。
3つの遊歩道からこの複雑かつ波の激しい海岸線を眺めていると、「これは難破するよなあ」という気持ちにしかならない。実際、グレートオーシャンロードのこの辺りのセクションは「Shipwreck Coast」(難破海岸)と呼ばれ、約700隻の難破船が漂着したことで知られているそうだ。
この場所が、今日のツアーでメルボルンから最も離れた場所。ここからは、ところどころで立ち寄りながら、グレートオーシャンロードを海沿いに戻ってくる。雨が降ってきた。このしばらく雨が降り続くが、12使徒とロックアードゴージで降らなかったのは幸いだった。
途中、少し内陸に入った「グレートオトウェイ国立公園」を通り、巨樹の道を走る。酔いかけたので酔い止めを飲む。しばらく寝ていると、「ユーカリの木に野生のコアラがいる」という。ひとつの木の別々の場所に2匹のコアラがいて、両方ともこちらにお尻を向けて寝ていた。コアラは一日20時間も寝るそうだ。起きている時間はユーカリを食べている。食べて寝るだけ。愛くるしい。
1時半にアポロベイに到着し、昼食のため1時間のフリータイム。ぼくは「Apollo Bay Seafood Cafe」で「Lemon Pepper Calamari」(18ドル)を食べた。Calamariはイカのこと。フィッシュ&チップスもおいしそうだったけど、シドニーで一度食べたから、今日はイカにした。それに空港のイタリアンレストランでもCalamariのメニューを見かけたから、きっとイカ料理もオーストラリアの定番メニューのひとつなのだろう。ギリシャ風サラダ(7ドル)もつけたら、ワンプレートに全てを盛り付けてくれた。たっぷりのポテトフライ(Chips)付きだ。イカは柔らかく、とてもおいしかった。正解だ。
昼食後も、ぼくは疲れが溜まっていて、ほとんどの時間眠っていた。美しい海岸線だったが、どうせ起きていても雨で眺めはイマイチ。
やがて着いたのは、「Memorial Arch at Eastern View」というグレートオーシャンロードの始まりを告げるアーチと記念碑。この記念碑は、グレートオーシャンロードを建設した第一次世界大戦の帰還兵3000名に捧げられているそうだ。道は1919年から1932年にかけて、ほぼ手作業で造られた。すごい仕事をしたものだ。
「アングレシー・ゴルフ・クラブ」では、野生のカンガルーの群れを見ることができた。まるで時間が止まったかのように、集団で静止して草を食んでいた。やがて、ピョンピョンと飛び跳ねる個体も観察できた。
最後に立ち寄ったのは、「Great Ocean Road Chocolaterie & Ice Creamery」という有名なチョコレート工場兼販売所。試食したチョコは非常においしかったが、日本の暑さではすぐ溶けてしまうのではないかと懸念して、購入はしなかった。
その代わり、併設された売店でホットチョコレートを飲んだ。ドリンクの横には小さな紙カップにたっぷりチョコレートソースが入っていて、好みに応じて「追いチョコ」ができるスタイルだった。甘いけどおいしかった。
チョコのアイスも惹かれたが、寒いからやめておいて良かった。本当に寒い。「メルボルンは一日の中に四季がある」と言われてるくらい気温の変化が激しいそうだ。それを確かに実感する。こんなに気温差が大きいのも珍しい。
ひと通りのツアーを終え、18時過ぎにメルボルン市街地に戻ってきた。ジョーさん、楽しい一日をありがとう! 彼は今後九州に住みたいと話していた。Facebookで友達になったから、またどこかで会えたらいいな。
宿に戻ってきて、昨日の反省を生かし、先にシャワーを浴びた。そして早く原稿を書きたかったので、外食には出ず、宿のダイニングでカップ麺を食べた。ステーキも気になってきたから、滞在中にどこかで食べられたらいいな。
今日を逃すと時間がなさそうなので、洗濯もすることに。しかしこのゲストハウスのランドリーは現金しか使えず、1ドルも両替せずにここまできたぼくは「ついに現金が必要なときがきてしまった!」と思った。しかしフロントで相談するとあっさり解決した。
「いくら必要?」
「11ドル」
「じゃあここにクレジットカードを」
VISAでタッチすると、ホテルに11ドルが支払われ、代わりに11ドル分のコインを手渡してくれた。これができるなら、本当に両替しなくていい。ちなみに11ドルの内訳は、洗濯機4ドル、乾燥機5ドル、洗剤2ドル。しかし実際には乾燥機は1ドル10分方式だったため、3ドル分で済み、2ドル余った。ポストカード代にでもしよう。
明日もまた早朝から、メルボルンに住む友人と再会する。長い一日になりそうだ。