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講演のための思考メモ(17)海外添乗員という職業から学んだこと
「早稲田の理工学部を出て、どうして添乗員なんかになったんだい」
「もったいない」
そのようなことを、入社前にも入社後にも、色々な方から言われた。お客様からもツアー中によく聞かれ、そのたびに、
「旅行が好きだからです」
と笑って答えていたが、本当はそれだけではなかった。
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ぼくは、この「添乗員」という職業に、光を当てたいと思っていた。決して「もったいない」仕事ではないことを、自らの体験を通して証明しようと試みた。
名だたる大企業やベンチャーで働く友人たち、好きなことを仕事にする友人たちの活躍を目にするたび、とても華々しく、輝いて見えた。焦りも感じた。けれども、ぼくは添乗員という仕事で勝負するしかなかったし、同時に誇りも持っていた。
退職するまでに、500名近いお客様を旅行にご案内してきた。全体の旅行者数を考えれば、ごくわずかな数字である。しかし、
「中村さん、私ブルガリアって、来るまではなんとなく暗いイメージがあったけど、今回行ってみて本当に良かった。季節を変えて、また訪ねたいわ」
添乗員としてツアーを成功させることができたら、自分と向き合ったお客様が、その国や、その国の人を好きになってくれる。地道な活動ではあるが、意義深いことだと思った。
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「中村さん、お休みのところごめんなさい。ちょっといいかしら」
「どうされました?」
社会人2年目の夏のこと。無事にオーストリアのツアーが終わり、成田へ向かう帰りの機内で、お客様がぼくの席にやってきた。
「駅のホームで、中村さんに言われたことが忘れられなくて。あのときの御礼を言いに来ました」
「駅のホームで? ・・・何を言いましたっけ?」
「イェンバッハで電車を乗り換えるとき、反対側のホームにおもちゃ屋さんがあったから、行きたいと思ったの。孫へのお土産が買いたくて、ずっと探していたから。だけど、ひとりでは言葉が不安だった。中村さんに付いてきてほしかったけど、他にもたくさんのお客さんがいたし、私だけわがまま言ったらご迷惑かけてしまうなと思ったのよ。だけど中村さん、『おお、行きましょう行きましょう!』って、私だけのためにわざわざ連れて行ってくれて。『ご迷惑じゃないかしら?』って聞いたら、あなたこう言ったのよ。
『何言ってるんですか。◯◯さんを連れて行くためにぼくがいるんじゃないですか』って。
私、今まで何回もツアーに参加しましたけど、あなたのような添乗員さんには初めて出会った。おかげさまで、孫に素敵なおもちゃを買えました。本当にありがとうございました」
6年弱にわたった海外添乗員という仕事を通して、自分が学んだことは、何だったのか。ひと言では言えないが、添乗員として経験した個々のエピソードのなかに、なんとなく、この仕事の本質が見えてくるような気がした。忘れられない出来事、忘れられない言葉が、いくつもある。同時に、「人間とは何か」とも考えさせられた。
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ジュリアード音楽院で学長を務めたジョセフ・ポリシの言葉を、よく思い出す。
「本校では若い芸術家への指導にあたって、常々彼らにコミュニケーターであれと伝えています。彼らは舞踏、演劇、あるいは音楽の専門分野を通して、人間の精神性を発信伝達しているのです。仮に伝えていないとしたら、私に言わせれば、芸術家ではありませんね。ただの技巧家にすぎません。
つまり、学生にとって何よりも大切なのは、コンサートホールのような伝統的な場であれ、病院や学校といった非伝統的な場で演奏することであれ、すべての活動の目的は自分の芸術を通して人を感動させるため、という理解です」
添乗員という仕事を通して、自分の芸術、美しさ、精神性を伝えていきたい。そういう気持ちで、仕事に取り組んでいた。どんな仕事においても、自らの精神性を投影させることが大切なのだと感じている。
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お客様を案内しながらも、ぼく自身も、長い時間をかけてどこかへ案内されていたのかもしれない。海外添乗員という仕事は、様々なことを教えてくれる職業だった。
2016年12月30日、ぼくはお世話になった旅行会社を退職した。同期、同僚、上司、そしてお客様。在職中に関わった皆様に、深く感謝している。
(つづく)
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