講演のための思考メモ(12)添乗員の難しさと心からの反省
2011年4月、都内の旅行会社に就職した。現在は国内ツアーも扱っているが、当時はまだ海外ツアー専門の会社で、60〜80代のシニア世代が主な顧客層だった。H.I.S.やJTBのツアーと比べると2倍近い価格の高級ツアーを販売していた。
ぼくは募集要項にあった「年間100日以上海外に行ける方」という言葉に惹かれて、「海外添乗員(ツアコン )」という職業を選んだ。
最初は営業のひとりとして、東欧や北アフリカのツアーを扱うチームに配属された。怖い上司と苦手な電話営業に苦しみ、5月から本格的に精神を病んだ。初めて心療内科のお世話になり、精神安定剤を飲みながら働くほろ苦い半年間だった。
8月、オーストリアのツアーで海外添乗員としてデビューした。最初だけ先輩に同行するが、2回目からはひとりきりで添乗する。成田空港で20名前後のお客様と対面し、そのまま一緒に飛行機に乗り、1週間〜10日前後をともに過ごすのである。それも、多くがぼくにとって初めて行く国や街だったから、事前の予習が大変で、入社3年目くらいまでは添乗準備のため多くの土日が潰れた。プロの添乗員として派遣される以上、「中村さん、この街は何回目なの?」「いやあ、ぼくも初めてなので全然わからないんですよ〜」などとは言えない。お客様を不安にさせてしまうから。「さすが詳しいね」と言われるくらい、街の歴史やバスのルート、観光スポットでのトイレの場所に至るまで、様々な知識を頭に入れておかないといけない。
添乗員になったものの、帰国後のアンケート評価では散々な結果だった。90点以上なら優秀添乗員として表彰される。80点以上でまずまず、最低でも70点以上は取らなきゃダメ、と言われていたそのアンケートで、42点という最悪な点数を取ってしまった。その後もチェコ・スロヴァキア・ハンガリーやバルト三国のツアーなどを添乗したが、なかなか70点を取れなかった。
自分が結果を出せなかった理由は、今から思えば明白である。ぼくは「自分は優秀な人間だ」と思い込んでいた。結果が出ないのは「運が悪かったから」とさえ思っていた。まだ緩い大学生活を終えたばかりで、社会の厳しさも、人様からお金をいただくことの意味も、何も知らなかったのに、自分は大した努力もしないまま、新入社員から「すぐに結果を出せる」と思っていた。その過信が、うまくいかない原因だった。添乗準備の途中でわからないことがあっても、「些細なことだしまあいいか」と確認を怠ってしまったり、「問題は起こらないだろう」と甘く考えてしまったりした部分があった。しかし現地では、ぼくの気付かないところで問題が起こっていた。お客様は、不満があってもなかなか直接は言ってこないものである。
「中村さん、今回はありがとうございました。楽しかったわ。お世話になりました」
と帰りの成田空港ではおっしゃる。ぼくはノーテンキに鵜呑みにする。「今回のツアーも皆さん喜んでくださった。大成功だった」と。上司にも「うまくいきました」と報告する。「そうか、了解。お疲れさまでした」とそのときは声をかけてくれる。
しかし、帰国後のアンケートが会社にポツポツと届き始めると、上司の顔色が変わる。
「おい中村ああああああ!!!!!」
オフィスに雷が落ちる。
「お前どういうことだ!! 全然うまくいってねえじゃねえか!!!!」
お客様はアンケートに、ツアー中の不満を細かく書いていた。そこには、ぼくのミスが原因で起きたことがたくさんあった。泣きそうになりながら怒られた。でも入社してしばらくは、内心ではあまり反省していなかったように思う。
心の底から反省して、変わるきっかけになったのは、2011年10月にバルト三国の添乗から帰ってきたときだった。このツアーのアンケート評価は、63点。前回の54点よりは少し上がったものの、まだ落第点。
だけど、ぼくは自分の何がいけなかったのか、全然わからなかった。90点以上を取る優秀な添乗員は、いったい自分と何が違うのか。研修で教えられた通りにやっているはずなのに。低評価の理由がわからないから、どう反省していいのかもわからなかった。
ある日、上司に呼び出された。
「中村とバルト三国に行った◯◯さんと、さっき電話で話したんだけどな。すごい残念がってたよ」
「え!? ツアー中お話ししましたけど、楽しそうにされていましたよ」
「お客さんもな、多少不満を持っていたとしても、やっぱりお世話してくれてる添乗員に対して、面と向かって言えない部分もあるんだよ」
「・・・。ぼくの何がいけなかったんでしょうか」
「◯◯さんが書いたツアー申込書の下に、『タリン(エストニアの首都)では旧市庁舎に入ってみたい』ってひと言書いてあったの、読んだか?」
「あ、読んだと思うんですが、、、流してしまっていました」
「なんでわざわざお客さんが、あそこにそう書いたかわかるか? 自分で勝手に行けるなら書かないよ。添乗員に手伝ってほしいから、書いたんだろう。『本当はタリンの自由行動時間で行きたかったのに、中村さんは何も案内してくれなかった。言葉も通じないし、不安だから諦めた』って残念そうに言ってたよ」
「え・・・」
「お前はさ、まだ若いんだからいいよ。これから先、バルト三国なんて行こうと思えば何回でも行けるよ。でも70を過ぎたお客さんにとっては、きっともう二度と行かない場所なんだよ。旧市庁舎のためにまたエストニアへ行くと思うか? 行かないだろう。あの人にとっては、最初で最後のバルト三国なんだよ。その大事な旅行を、お前は預かっていたんだよ。何としても楽しんでもらおう、悔いの残らないように希望を叶えてあげようという気持ちが、お前にはあったか?」
愕然とした。
それまでは、失敗しても、どこか他人事のように考えているところがあった。だけど今回は、(ちょっと遅過ぎるけど)社会人になってから初めて、偽りのない本心から、反省した。会社員としてではなく、ひとりの人間として、やってはいけないことをやってしまった。お客様の希望を叶えてあげられなかったのが、本当に悔しかった。
この失敗が、大きなターニングポイントになった。心の中で、自分に平手打ちをくらわせた。「優秀なはずの自分」を完全に捨てて、「ダメな自分」を認めた。ダメなんだから、イチから必死に努力して向上していくしかない。仕事と向き合う姿勢が変わり、至らない部分は素直に認め、反省と改善を繰り返すようになった。
それまでは、多少都合の悪いことがあっても、怒られたくないから「うまくいきました」「問題なかったです」などと報告していた。でもそのときを境に、自分にも人にも、嘘をつかないようになった。「申し訳ございません。本来はこうするべきだったのに、こうしてしまいました。次回から気をつけます」。嘘をついても自分のためにならない。余計なプライドを捨てたところから、自分が少しずつ成長していくのを感じた。
(つづく)
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