すべての人から学べるものがある
大学時代、ぼくが経験した唯一のアルバイトが、個別指導の塾講師だった。
そこにひとり、明らかに他の生徒とは様子の異なる、ヤンキーのような高校1年生がいた。「親に言われて仕方なく塾に来ている」というダルそうな表情を全面に出しながら、いつも少し遅れて教室にやってくる。
サッカー部だがほとんど部活には出てなくて、もうすぐ辞めるつもりだという。よくバイクを乗り回して、パトカーに追いかけられても仲間と協力して逃げ切るのだとも話していた。ぼくに対して突然キレて殴ってきたりしないだろうかとか、ちょっと怖かったけど、「お前おもしろいな」「すごいな」とか言ってたらなんとか打ち解けることはできた。
1コマ50分の授業だっただろうか。その授業中、この生徒はノートに落書きばかりしていて、真面目に授業を聞こうとしない。他の生徒であれば、数学の公式を教え、例題を一緒に解き、その後問題演習をさせて解説をする、という流れなのだが、彼は全然真面目に取り組まない。最初に教えたときに、そういうことがわかった。
ぼくは、勉強を嫌がっている人間に勉強を教えることほど非生産的なものはないと思っている。
親は勉強させたいだろうが、本人にその気がない以上、授業をしても「形だけ」になり、本人には何も残らない。ぼくは本人にとって、せめて何かが残る、もっとマシな時間にしたかった。
彼のノートに描かれたデッサンのような落書きが、随分とうまいことに気がついた。
「お前、この絵すごいな。誰かに教わったの?先生に描き方教えてくれよ」
「今度はどんな絵を描いてきたんだ?」
「お前絵のセンスがあるよ。美大とか行って好きなだけ絵を描いたらどうだ?」
毎週のように言っていたら、表情が変わってきた。ぼくはさらに、勉強を教えようとするのではなく、ぼくの知らないことを、彼から教えてもらう時間にした。
「何をしたらパトカーに追われるの?」
「どうやったら逃げ切れるの?」
「誰かと殴り合ったことある?」
そんなことを興味津々で聞いてくる大人はいなかった、という感じで驚きながらも、嬉々として色々と話してくれた。それで随分心を開いてくれるようになった。
期末試験が近づいていたある日の授業で、彼は急に、真面目な表情でぼくに言ってきた。
「先生、頼みがあります。俺、数学はクラス最下位なんですけど、今度は良い点取りたいんです。数学だけでも」
ぼくはテスト範囲で最も重要な部分だけ、ひたすら基本問題を解けるようにたたき込んだ。
「応用問題は捨ててもいい。とにかくこれだけは絶対解けるようにしろ」
2週間ほど経って、彼は笑顔でやってきた。
「先生!俺、クラスで2番でした!」
「下から?」
「上からですよ!馬鹿にしないでくださいよ!笑」
いちばん驚いていたのは、塾の室長だった。
「中村先生、あいつに何をしたんですか?誰が教えても絶対勉強しなかったのに」
「落書きを褒めてただけなんですけど笑」
人の良さを見つけて、褒めて伸ばしてあげることには、それだけ大きな影響があるのだと、ぼくはこの経験から学んだ。
すべての人が「自分にはない経験」を持っている
また、すべての人は、自分の知らないことを知っている。そんなことも同時に学べた。
「今日もパトカーと鬼ごっこしてきました」と話す彼に、パトカーに追われたことのないぼくは「それはどういう体験だったのか」と興味津々で聞いた。その話が、おもしろかった。ぼくの知らない世界だった。
一般に、子どもよりも大人の方が、様々な面で経験は豊かだ。子どもにはわからない多くのことを、大人は知っている。
だが、人の境遇は千差万別だから、自分より遥かに年下の人であっても、自分にはない経験を持っている。たとえば、裕福な家庭でお金に困らずに育った大人は、家庭の事情などで中卒で働いている16歳の気持ちがわからないかもしれない。
すべての人が「自分にはない経験」を持っている以上、人はすべての人から学べるものがあるはずだ。ましてや、相手が年上の人なら、尚更のことだ。
人と会って話すときに、「この人は自分よりも遥かに経験値の高い方だ」と1つ2つの会話で瞬時に察知することと、そうとわかったら「質問をしまくって学びを得ること」が大切なのに、そこで自分の経験ばかり話して、相手に自分の凄さをわかってもらおうとする人がいる。
目の前の人から学ぶべきことがあるのに、学ぼうとしない。これはもったいない姿勢だと思う。
今どこで何をしているのかわからないが、ろくに勉強もしない高校生から、ぼくは一生役に立つ大切なことを教えてもらった気がしている。