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3万7000円の傘を買って起きたこと
ぼくがまだサラリーマンだった7年前。梅雨を控えて、3万7000円の傘を買った。手取り20万円くらいの月収で働いていたぼくにとって、大きな勇気のいる買い物だった。
きっかけは、その2週間前に、大切にしていた傘を失くしたことだった。家を出るとき、傘立てになかった。どこに置いてきてしまったのか。最後に使ったのがいつだったのかさえ思い出せなかった。
「良い傘は、雨のしたたる音が違う」
社会人になったばかりの頃、何かの本で読んで、デパートに走った。ひと目で気に入った、鮮やかなオレンジ色の傘だった。
(なるほど、確かに雨音が違うかもしれない)
雨の日は気分が沈みがちだけど、この傘の出番だと思えば、前向きに過ごせた。
家に帰って傘立てに置くたび、どこかに置き忘れなくて良かった、と安堵していたのだが、ついにやってしまった。
悲しいことに、モノの価値は、失ったあとに気付くことが多い。このときもそうだった。仕方なくビニール傘を手にしたときに、「やっぱりあの傘、良かったな」と思った。最初は高い買い物だと思ったけど、4年以上使えたことを考えると、良い買い物だった。嵐の日も一緒に乗り越えてきた。丈夫で、壊れなかった。
ショックだけど、きっと失くしたことにも何か意味があるはずだ、と前向きに考えることにした。今度はもっと良い傘に巡り会えるかもしれない。
それでもう一度、長く使える傘を買おうと決意し、休日にいくつかデパートを見て回った。しかし、なかなか気に入った傘に出会わない。また、傘の値段に随分差があることにも気付いた。いったい、傘の値段って何で決まるのだろうか。傘って、雨が降ったら必ず差すものなんだけど、意外と意識が注がれていないように感じた。
服や靴や鞄にはお金をかけても、傘はビニール傘でいい、という人は少なくない。濡れない、という目的は最低限果たせる。でも、雨の日に街を見回したとき、やっぱり素敵だなと感じるのは、ビニール傘ではなく、個性的な傘だ。ぼくは、真心込めて傘を作っている人はいないかと、調べ始めた。
見つけたのが、皇室御用達の「前原光榮商店」という傘屋さんだった。
「傘を持つことは、装うことである」
「雨の日が待ち遠しくなるような傘作りを目指したい」
その理念に感動し、二子玉川のカフェでパソコンを開いていたぼくは即座にお店に電話をかけた。
「職人さんに取材をさせていただけませんか?」
あっさり断られた。今考えれば、フリーライターでもない、ただの旅行会社のサラリーマンなのだから、断られて当然だっただろう。
でも、当時のぼくは諦め切れなかった。
「今日は何時まで営業していますか?」
「ショーケースは17時までやっております」
「では傘を見に、今から伺わせていただきます」
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新御徒町駅から徒歩5分。「前原光榮商店」のショーケースがあった。傘の専門店なんて初めてで、お店に入るだけで少し緊張した。何人かお客さんがいて、スタッフの方と話していた。お店の脇には、付箋のついた雑誌がたくさん置かれていた。いずれも、これまでに紹介されたこのお店の記事だった。
ぼくは入店するなり椅子に腰かけ、目の前にズラリと並んだ傘も見ず、その雑誌の記事をすべて読み込んだ。『Pen』をはじめ、名立たる雑誌で紹介されていたので、もうぼくごときが個人ブログのために取材をするだなんて余計なお世話だったろう。でもぼくは傘について、専門的な見地からではなく、20代若者の等身大の文章を書いてみたいと思い、やっぱりお店の方に話を伺うことにした。
幸運にも、代表取締役専務の前原誠司さんがご対応してくださった。
「あ、先ほどお電話いただいた方ですか?」
「はい。もしよろしければ取材させていただきたいなと思い・・・」
「申し訳ないのですが、4月以降は取材をすべてお断りしているんです。梅雨前のいちばん忙しい時期ですので、生産が追いつかず」
「ですよね」
と言いつつも、前原さんは1時間半も熱を込めて話してくださったのだから、もはやこれは立派な取材と言えそうだった。
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ぼくはこのお店にやってきた経緯をすべて話した。大切な傘を2週間前に失くしてしまい、というところから。
「このお店の傘の特徴は、『16本の傘骨』ということですが、具体的に教えていただけますか?」
前原さんは、実際に傘を開いて教えてくれた。まず、一般的な傘は、8本の傘骨がほとんどである。
しかし、このお店の傘は、希少な16本骨なのだ(※現在では、カーボンやグラスファイバーなどの素材により傘骨の軽量化が進み、16本骨や24本骨の傘も増えてきているとのこと)。
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「16本骨の傘は、8本骨に比べて強度が増すのはもちろんですが、開くと面積が大きくなり、より雨をしのげます。そして、真円に近い形になるので、シルエットが美しいのです」
確かに、美しい。和傘のような印象を受けた。
「傘を閉じたときも、美しいんですよ。ほら」
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「本当だ」
8本骨だとふにゃっと生地がよれてしまうが、この傘は、閉じていてもきれいな形になる。機能美を追求したがゆえの16本骨なのだが、やはり作るのには手間と技術が求められ、それゆえ値段も高くなる。
「職人さんは、ここにはいないのですか?」
「ここにはいないんです。職人も、『生地』『傘骨』『手元』『加工』と4つのパートでそれぞれ異なり、別の場所で分業しているんです」
「傘」という漢字には、4つの「人」が含まれている。
「この4つの人の字は、まさに4つの職人を表していると私たちは提唱しています」
洗練された美しさと機能を持つ傘は、匠の技の粋が集まらなければ得られないのだという。
「デパートで買った傘を使ってみて、やっぱり愛着が増すし、そういう傘を大切に使いたいなと思ったんです。でも今って、多くの人がビニール傘を使うじゃないですか」
「今に始まったことじゃないんですけどね。戦後にビニール傘が生まれて、当初は高級品だったんですが、海外での大量生産が可能になって、爆発的に広まっていきました。戦後は、うちのように完全手作りで傘を作っている店はほかにもたくさんあったんですよ。でも時代の流れで、それではやっていけないからと、多くが安く作れる方にシフトしていきました。職人さんも減りましたね。でもうちは、このやり方しか知りませんでしたから。だから当時は全然売れませんでしたよ。それでも地道にやってきて、ようやくここ最近ですね、傘にこだわりを持つ方が増えてきました」
現在、日本の傘の年間消費本数は、およそ1億3000万本だという。全国民が毎年1本消費している計算になる。そしてその大半が、中国製のビニール傘だそうだ。
色々と傘を見せてもらいながら話を聞いているうちに、「ここで買いたい」という気持ちが湧いてきた。
最初は、見た目がパッと明るい傘がいいかなと思ったのだけど、「外は黒、内はイエロー」という独特の傘に強く惹かれた。内骨はカーボン製で、丈夫なうえ軽い。スチール製じゃない分値段は張るが、直感でこれがいいと思い、決断をした。税込み3万7000円の傘だった。覚悟のいる買い物だ。でも、残りの人生で500円のビニール傘を74本買うよりよっぽどいい。この傘を一生大切にしようと決めた。
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最後に、手元(傘を持つ部分)の材質を選んだ。木の種類がたくさんある。
「実は、うちの傘の値段の約半分は、手元の値段です」
「え」
「生地は、5年ほど使っていると、だんだんと痛んできます。ですが、手元はそれこそ一生使えるものです。だから数年経って、生地だけ交換しにいらっしゃるお客様も多いです」
よく使われているのは廉価なヒノキだそうだが、ぼくは10種類近くある手元の中から、「エゴチャ(エゴノキ茶)」を選んだ。エゴノキという木で、艶が出てくると美しくなるという。
完成した傘が到着するまでに、約1ヶ月かかった。しかし梅雨には間に合った。ぼくは新しい傘のおかげで、雨の日も気持ちが沈まずに過ごせるようになった。
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「今日は雨か」と暗い気持ちで家を出るよりも、「よっしゃ、この傘の出番だ」と家を出られたら、気分が明るくなる。もし、一人ひとりにお気に入りの傘があったら、雨の日でも日本が少し明るくなるんじゃないかな、そうなればいいなと思った。
***
この記事を、ここで終われたらハッピーエンドだった。しかしこの話には、まだ誰にも話したことがない、暗い続きがある。
それは、「前原光榮商店」の傘を買ってから1年と3ヶ月が過ぎたある日のことだった。ぼくは知人が勤めていたベンチャー企業のパーティーに誘われ、仕事を終えて、会場に向かった。まだ曇り空だったが、その日は夜から雨の予報だった。
100人以上が集まり、会場は熱気に包まれていた。2時間ほどで一旦お開きとなり、ぼくは知人に挨拶したあと、ひとりで帰ろうとした。
混雑する出口の先では、「あー、降ってるよ〜」という女性の声が聞こえた。予報通り、雨が降り始めていた。
しかし、傘立てに置いたはずのぼくの傘が、どこにもなかった。
ドキッとした。一瞬で、「どうして傘立てなんかに置いてしまったんだ」という思いが駆け巡った。中に持ち込んで、自分の鞄のそばに置いておけばよかった。
入り口付近をどれだけ探しても見つからず、念のため受付のスタッフに聞いてみた。
「すみません、自分の傘が見つからないんですが、何か心当たりありませんか?」
「えー、本当ですか。申し訳ないですが、こちらには届いていないですね〜」
「大切な傘なんです・・・」
そんなこと言っても無駄だとは思いつつも、言わずにはいられなかった。大切な傘なんですよ。
ぼくは雨に打たれながら地下鉄の駅へと歩いた。雨は冷たく、強く降っていた。
誰かに傘を取られてしまった。そのショックはあまりに大きく、ぼくは以後、良い傘を買おうと思えなくなってしまった。怖かった。だから今に至るまで長く、またビニール傘を使っていた。
ぼくは「高価だけど良い傘を買った」という、明るく前向きな話を書きたかった。だからこんな後味の悪いバッドエンドは書きたくなったし、今までずっと書けなかった。
だけど、ここ最近、少し心境が変わった。
ぼくはこれまで、あらゆる出来事を、「良いエピソード」に持っていきがちだった。嘘はついていない。しかし、「良いエピソード」にするうえで都合の悪い些末な出来事や事実は、曲げはしなくとも、あえて書かないこともあった。革新的な説を唱える学者が、自説にとって不都合な研究結果をわざわざ書かないように。でもそれは、書き手として「誠実」だろうか?と考えるようになってきた。
同時に、読者にとって、必ずしも「良いエピソード」でないといけないのだろうか、ということも思うようになった。テレビを観ていても、同じように感じることがある。都合の良い方向に編集してはいないだろうか、と。現実はもっと、入り組んでいることもある。
ぼくは自分の身に起きたことと、それによってもたらされた感情を、できる限り正直に、誠実に書いてみたいと思った。たとえきれいなストーリーじゃなくてもいいから。
***
先日、久しぶりに実家に帰ったとき、庭の木々は新緑で生い茂っていた。昨年あたりから、ぼくは植物に興味を持つようになった。車の横にあった木を見て、「これは何の木?」と母に聞くと、「エゴノキ」と言った。
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エゴノキ。その木の名前を、かつて聞いたことがあった気がした。でもすぐには思い出せなかった。エゴノキ? なんだったっけな。ぼくは無意識に、辛い記憶に、蓋をしてしまっていたのだった。
しかし、ついに「あの失くした傘の、手元の木だ!」と思い出せた。
なぜうちにエゴノキが植えられているのかわからない。少なくとも、どの家庭にも植えられているような木ではないことは確かだ。
「この木、いつからあった?」
「もう20年前かな」
なんということだ。傘を買うよりもはるか昔からここにあったのに、エゴノキだと知ったのは今だったのだ。
「珍しい木だよね?」
「自然の山にある木で、園芸用ではないから、珍しいと思う。この家ができたとき、ガーデニングデザイナーの井田洋介さんが植えてくれた」
こういう奇妙な偶然を大切にしたい。今となっては、傘の一件に対してもうそんなに暗い気持ちではなかった。時間の経過が、ショックを和らげてくれていた。
「今が、あの話を書くタイミングなのかもしれない」
ぼくは当時の日記を読み返して、この一連のエピソードを改めて、正直に書きたいと思った。誰の何の役にも立たないかもしれない。希望も与えられないかもしれないし、「なんでそんな大切な傘を」と怒られるかもしれないけど、ただ、自分のためにも、「良いエピソード」として仕上げるのではなく、良いことも悪いことも含めた、ありのままのエピソードとして書いておきたかった。
今、ここまで書いて、ぼくは幾分スッキリした気持ちでいる。一生大事にすると心に決めた傘をわずか1年強で失ってしまったことが辛くて、情けなくて、ずっと隠してきたのだけど、こうしてさらけ出して、心の整理ができた。
あの傘を、誰が持っていったのかはわからないし、どこにあるのかもこれから先、知ることはないだろう。でも願わくば、誰でもいいから、活用してくれていたら嬉しい。
そしてぼくはこの記事を書きながら、また良い傘を買ってもいいかなという気持ちになりつつある。これが今の、正直な気持ちである。
この記事に載せるため、「庭のエゴノキの写真を送ってほしい」と母に頼んだら、一緒に花の写真も送られてきた。どうやらエゴノキには、綺麗な白い花が咲くようだ。初めて知るその事実が、少なからずぼくを前向きな気持ちにさせてくれた。
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