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台南紀行(2)歴史を知ると台南はもっとおもしろい!

東インド会社とオランダの台湾支配

台南滞在中、様々な場所で「400周年」という文字を見かけた。

これは台南郊外の安平の地に、オランダが「ゼーランディア城(安平古堡)」を建ててから今年で400年を迎えることを意味する。ゼーランディア城は、台湾で最初の城だった。

意外にも、16世紀頃になってようやく台湾は世界に認識されるようになったらしい。

それまでの台湾には、主に先住民が暮らしていた。中国本土との関係は少なく、漁民が立ち寄る程度だったという。しかし16世紀後半に入り、東アジア海域に大きな変化が現れる。

大航海時代の波に押され、ポルトガル、スペイン、オランダなど、欧州の列強が東アジアにやってきたのだ。

その中で、台湾が中継貿易の拠点として有用だと気付いたのは、オランダだった。

1602年に設立された東インド会社を有するオランダは、インドネシアのバタヴィア(現在のジャカルタ)を根拠地としていた。

しかし、日本や中国との貿易を考えると、バタヴィアとの間に中継地点が欲しい。当時のオランダは、長崎北部の平戸との貿易を始めていたから、その中継地点になる拠点が欲しかったようだ。

そこで先立ってマカオを攻めたものの、すでにこの地を支配していたポルトガル守備隊の前に敗退してしまう。

その後に目をつけたのが、台湾だった。そして1624年、オランダは台南に上陸し、安平(現在の台南市の海側)にゼーランディア城(安平古堡)の建設に取り掛かる。さらに1653年には、台南中心部にプロヴィンシャ城(赤崁楼)を築いた。この2カ所が台南の2大古跡となっていて、ぼくも前回の旅で訪れた。

ゼーランディア城(安平古堡)

1895年から1945年までの50年間、日本が台湾を統治していたことは多くの日本人が知っている。しかし、台湾にオランダ統治時代があったと知る人は少ないかもしれない。九州ほどの大きさの島ながら、実に複雑な歴史を有している。

だが、そのオランダ時代も長くは続かなかった。40年も経たないうちに、ひとりの英雄が現れるからである。

奇しくもその人物は、ゼーランディア城が建設されたのと同じ1624年、ある中国人商人の父と日本人の母との間に生まれた。

台湾の英雄、鄭成功ゆかりの地

台南の市街中心部に、1874年に建てられた「延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)」という場所がある。

延平郡王祠

この祠に、台湾の英雄、鄭成功(ていせいこう)が祀られている。彼こそが、1661年にオランダを駆逐した張本人である。その行動が、結果として台湾の基礎を築くことになった。まさに台南という土地を知るうえで、切っても切り離せない人物だ。

祭壇には鄭成功像が鎮座していた。

鄭成功像

長崎県の平戸を拠点とした中国人海商・鄭芝龍と、平戸の女性・田川マツとの間に生まれたため、日本ともゆかりがある。平戸市でも今年、「鄭成功生誕400周年記念事業」としてイベントや企画展などが開催されているようだ。

この延平郡王祠では、鄭成功にまつわる台南の歴史が詳しく紹介されている。日本語の解説文も充実しているのでありがたかった。

もう一カ所、「鹿耳門天后宮(ろくじもんてんこうぐう)」という場所も訪れた。

鹿耳門天后宮

こちらは、海の守護神である「媽祖(まそ)」を祀る廟だが、やはり鄭成功とも関係がある。

鄭成功率いる艦隊が上陸したとされる場所が、台南西部の海岸沿いにある「鹿耳門」だ。

1661年、鄭成功は400隻もの戦艦を率いて、当時オランダが支配していた台湾に上陸しようとした。しかし、鹿耳門は航路が狭く、水深も浅かったため、なかなか上陸できなかったという。

そこで、鄭成功は天上の媽祖様に祈りを捧げた。すると、みるみる水位が上昇し、無事に上陸できた。そんな伝説が残っている。

鄭成功は上陸した場所に媽祖を祀るための廟を建てた。

媽祖像

しかし、その媽祖宮は、台風や洪水などの被害に幾度となく見舞われた。その都度、修復を繰り返してきたが、1871年の大水害で完全に崩壊してしまう。

そして、第二次世界大戦が終結した1946年に元の場所から約800メートル南に再建され、さらに1977年、廟のスペースの不足により、再び元の場所に再建されたのが現在の「天后宮」である。

中国の伝統的な廟の建築様式を持ち、彫刻や装飾が美しく、一見の価値がある。人々の信仰心の篤さも感じられた。

極彩色の装飾が印象的だった

塩のテーマパーク、七股塩山

歴史といえば、台南における塩づくりの歴史にもふれた。

台南市街から約30km北にある「七股塩山」は、かつて台湾最大の製塩場だった場所だ。しかし、天候に左右される天日干しによる製塩法は時代とともに衰退し、2002年に台湾の塩田は全面的に閉鎖された。現在ここは塩の観光地として人気を集めている。

園内に入ると、雪山のような白い塩の山が目に飛び込んでくる。その高さは6階建てのビルほどもあるという。かつてはこのような塩の山が一帯のあちこちにあったという。

七股塩山

そもそも、なぜ台南に塩田ができたのか。伝統的な塩作りには、広大な土地と強い日差しが必要だった。海水を天日で何日もかけて干し、塩の結晶を得るためだ。台南の沿岸部には、海と陸の高低差が少ない干潟のような場所が広がり、また日照時間も長いことから、塩田に最適だったようだ。

伝統的な塩作りの工程を学べた

海水からどのような工程を経て塩が作られるのか、ぼくはほとんど見たことがなかったから、説明を受けてとても勉強になった。もしも途中で大雨が降った場合は、無惨にも初めから作り直しになる。そんなにシビアな仕事だとは知らなかった。でも現在は工場で、天候によらず生産されている。

七股塩山は小さな遊園地のようになっていて、子連れ客も多い。広々とした屋内施設では、遠足で訪れた小学生たちが、豆花作り体験をしていた。

豆花作り体験をする子どもたち

「塩と豆花にどんな関係があるのだろう?」と疑問に思ったが、ちゃんと関連性はあった。

豆花は豆乳を凝固剤で固めたデザートだが、その凝固剤として使われるのが、製塩過程で副産物として得られるにがりなのである。多くのミネラルを含む、海水のエッセンスだ。

食べ物を通して毎日必ず摂取している「塩」だが、意外と知らないことだらけであることに気付かされた。日本で塩や塩作りについて学ぶ機会なんてほとんどないから、良い訪問になった。

天日干しされた塩で文字を描いた

もし七股塩山を訪れるなら、塩味のアイスキャンディーは必食である。身体を冷やし、塩分補給にも最適だ。

台南の新しい観光スポット

歴史の話ばかりしてきたので、今度は反対に、近年人気の新スポットについても少し紹介したい。

新光三越の向かいにある「藍晒図文創園」は、雑貨やレストラン、カフェなどが集まるオシャレな複合施設。かつて司法宿舎だった区域をリノベーションしたそうだ。英語名は「Blueprint Culture & Creative Park」となっているので、その方が覚えやすい。

藍晒図文創園

この「ブループリント」というのが施設の目玉。入って正面の木造家屋は壁が青く塗られ、そこに白い線で立体的な絵が描かれている。これは台湾人アーティストの劉国滄氏が手がけた作品。夜はライトアップもされていて、写真映えする。

施設のシンボルである「ブループリント」

ほかの店にも個性的な絵が描かれる建物が多く、施設内を散歩するだけでも楽しめた。

かわいらしいショップが並ぶ

また、2022年にできた旬なスポットが「南埕衖事」だ。ナンチョンロンシーと読むそうだが、英語名は「Tainan Long Story」となっているので、Googleマップなどではそれで検索すればいい。

アイスクリームがおいしい「南埕衖事」

ここはアイスクリームを食べられるカフェでありながら、同時にアート空間でもあるという不思議な場所。しかもアートの題材は、「階段」。1階から8階までの階段が、「衖 Lòng Stairs」というアート作品になっていて、これは入り組んだ台南の路地を階段で表現したもの。日本人建築家の藤本壮介さんが設計を担当した。

階段アートの「衖 Lòng Stairs」

藤本さんのことを存じ上げなかったのだが、実は大阪万博の「会場デザインプロデューサー」を務める世界的建築家で、国内外で優れた建築を生み出し高い評価を受けている方だった。

ガイドさんの説明を聞いてから、まずエレベーターで8階まで行き、不思議な階段を体感しながらゆっくり降りてくる、という流れ。用途のない階段が紛れていたり、どうやっても辿り着けない空間があったりして、おもしろい。階段そのものがアートになるなんて、初めての体験だった。

緑の美しいカフェスペースも

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台南は台湾の歴史が始まった街だけあって、史跡や歴史的建造物、ノスタルジックな街並みが点在している。今回は紹介し切れなかったが、日本統治時代の名残りを感じさせる建築も随所に残っているので、それらを巡る旅のテーマもおもしろいだろう。

一方で、街には新しい観光スポットやリノベーション施設もどんどん生まれていて、若者たちの活気も感じる。ひとつの街で様々な時代の雰囲気を感じられることも、台南の大きな魅力と言えるだろう。


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中村洋太
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