#18「私がした発想の転換」どうせ〜なら
僕の発想の転換は「なんで〜なんだ」を「どうせ〜なら」にすること。
10代は特にやけど、なんで〜なんだの塊でした。
なんで僕はこうなんだ
なんで親はこうなんだ
なんで友達はこうなんだ
なんで学校はこうなんだ
なんで先生はこうなんだ
なんで僕だけ喘息なんだ
なんで思い通りにいかないんだ
なんで馬鹿にされるんだ
なんで人より劣っているんだ
なんで僕はダメなんだ
なんで全部うまくいかないんだ
とか
挙げるときりがないですね。
でもずっとずっとそうやって生きてきて
それでも現状は何も変わらなくて、、
17歳のときに自分を含め全てに本当にうんざりして
もうダメだー!!!ってなったときに
なんか
そっか、この世界は自分が変化していかなきゃ何も変わらないんだなって思い知った瞬間があって。
ハッとするってほんまにこういうこと。
そのときに「なんで〜なんだ」を「どうせ〜なら」に転換できるようになったんやと思います。
どうせ僕はこうなんだったら
どうせ親はこうなんだったら
どうせ友達はこうなんだったら
どうせ学校はこうなんだったら
どうせ先生はこうなんだったら
どうせ僕は喘息なんだったら
どうせ思い通りにいかないんだったら
どうせ馬鹿にされるんだったら
どうせ人より劣っているんだったら
どうせ僕はダメなんだったら
どうせ全部うまくいかないんだったら
どうせ現実がこんなふうなんだったら
どうせ生きるなら
って、どうせって諦めや皮肉っぽく聞こえるかもしれないけれど、僕にとっては
じゃあどうする俺?
に繋がる可能性の言葉。
今までなんでなんでって疑問を外の世界に投げかけてじっとして変わらない世界を見続けたからこそ身に染みて分かったこと。
自分がどうにかしなきゃ現実は動かない
何かのせいにせずに自分が変化していくこと、自分に何ができるかを模索し続けることがこの発想の転換で可能になりました。
外的要因が自分を決定づけてるんじゃなくて
主体的に生きることによって自分を自由に生み出していけることは、僕にとってはとてつもないギフトでした。
そして今日も思い通りにしたい僕は思い通りにならないことばかり笑
現状をこんなふうなんだなって笑えるようになった僕はちょっと大人になりました!
これが僕にとっての発想の転換です!