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#22「生きるということ」

生きるってなんだろうってよく考える。

僕にとって永遠のテーマ

答えの無い問いかけって好き

質問の中に身を置き続けることって

いろんな閃きがある。


今回は生きるということは

何者であるかの証明

だと定義してみる。

人は行動で語られるものだと思っていて

尾松陽太という個人の名前以上に存在し続けることは

どう生きたのか

一体何を成したのか

ということ。


時間は有限で平等に与えられている。

何もしなくても明日は来る。

人は皆、大きな流れの中で生かされている。

じゃあどう生きるのかって幼い頃からずーっと考えてた。

生かされている中を流されて生きるのがめちゃくちゃ嫌だった。

いちいち立ち止まり、疑問を投げかける

なんで?って

大人達はいつも納得出来ない理由を押し付けてきた。

理由のないルールを守れと僕に言ってきた。

欲しいって思っても欲しいものを与えてくれない世界を恨んだ。

いちいちうまくいかなかった。

なんで自分だけこんなふうなんだって苦しんだ。

苦悩の日々がずっと続いた。

何かの犠牲者になり続けることに疲れた

寝ても覚めても大嫌いな自分と大嫌いな世界が待っていて

それから逃げられなくて

絶望した。

でもこの絶望がもしかしたら自分が変わるしか無いのかもって思えた瞬間。

全ての源は自分だし、結局自分次第なんだって気付くまで本当に時間がかかった。

でも20歳くらいまでの悶々とした日々は今の僕のベースを創ってくれた。

だから僕は強い。(っていつも自分に言い聞かせてる)


で、何が言いたいかというと

この自分という素材を生かして何が出来るのかなっていうこと。

この自分の使い甲斐があるもってなんだ?

この命の燃やし甲斐があるものってなんだ?

僕は過去の経験を生かして生きづらさを抱えている人を勇気付けたいと思ってる。

何かしらのきっかけになりたい。

この自分を使い倒したい。

それでいつか自分の墓標には

尾松陽太ここに眠る

だけじゃなくて

誰もが愛する人生を生きれると

人を勇気付け続けた男ここに眠る

尾松陽太

って書かれたいんですよ。

かっけぇーーー!!!!!

、、、はい。永遠の厨二ですわ。笑


、、まぁとにかく

関わらせてもらった人達に喜んでもらいたいし

周りの大切な人達とこんな人生あると思わなかったー!!

って前向きな驚きを一緒に発見しながら生きてきたいな!!

僕の生きることは

何者であるかの証明
僕は誰であるかの表現

僕の行動の根拠!

仕事もなんでも全部ここからやってます!


みんなのブログ楽しみにしてます!!












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