新たな推しを探せるいま、マンネリライフだったむかし
オタクになって20年弱。
推しの作品やアーティストが居るのは幸せだ。
素晴らしい作品に触れたときの心の揺さぶりは他に代えがたい。
ただ、社会人になってからしばらくは「推し」が居なかった。
いや、正確にはしばらく「新たな推し」を探そうとしなかった。
コンテンツを貪っていた大学時代
私が大学生の頃、人前でも「アニメ好き」と言えるようになってきた。
おそらくきっかけは『けいおん!』やニコニコ動画。
それまでは「この人はアニメ好きかな」と互いに探りを入れていた。
けれど、そのころから初対面でも「深夜アニメを観る」と言う人が増えてきた。
身を潜めて生きてきた私にとって、この世の中の変化は願ったり叶ったり。
そんなわけでオタク友達と一緒に数多くの作品を貪っていた。
けいおん!、ハルヒ、物語シリーズ、まどマギ。
音楽ならfripSideやLiSAとか、個人的にずっと好きなKOTOKOとか。
自由な時間が多くて、語る相手もいたので新しい作品をどんどん摂取していた。
社会人となり、過去を懐かしむだけになっていた
社会人になった直後は使えるお金も増えて、活動範囲も広がった。
東京のイベントに行くようになったのもこの頃。
できることが広がり、このまま推し活が捗ると思っていた。
だけど周りの環境、そして自分の時間の使い方は変化していく。
忙しくなる会社の仕事。
休みもスキルアップのための自主勉強。
旧友は順番に関西を離れていく。
友人が減ってヤバいと思って社会人サークルに入る。
他にも合コンとか呼んでもらって新たな友だちはできた。
そして新たなオタク仲間も見つけ、再び推しの話をできるようになった。
推しの話は楽しい、学生のころに流行った作品を再び話すのは楽しかった。
ただ、気がつけば私は「昔、ハマってたもの」の話しかしなくなっていた。
日常に疲れていた私は感動恐怖症
振り返ると当時の私は「新たな刺激」を受けたくなかったのだと思う。
心を揺さぶる作品と向かい合うにはエネルギーが必要だ。
それなら昔ハマって、既に内容を知っている作品をもう一度観るほうが楽だ。
いまの私の推しであるナナヲアカリの曲で『マンネリライフ』という作品がある。
これは怠惰な世界で新たな刺激を避け続ける人の曲。
要するに私は日常生活に疲れていたのだ。
そんななか、新たな作品による刺激なんて受けたら更に疲れてしまう。
ましてや「世の中で流行っている作品」なんて押し付けられたくない。
この曲のことを『感動恐怖症怠惰ガールのノリノリアッパーチューン』とナナヲアカリ自身は呼んでいる。
ガールではないが、当時の私は感動恐怖症だった。
そうやって5年以上新たな作品、推しを観ることはなかった。
新たな推しを尊いと思える幸せ
感動恐怖症怠惰状態がずーーっと続いていた。
ただ、なんかこの2年位で「新しい作品観ないと!」と逆に思えてきた。
たぶん日常生活へのエネルギーのやりくりを出来るようになってきたんだと思う。
そして最近のアニメ、漫画、音楽に触れるとまぁ面白い。
歳と経験を重ねてきたからか、学生の頃とは違う面白さがある。
2022年は『ぼっち・ざ・ろっく!』にめちゃくちゃハマった。
コミュニケーション苦手だった私にとって、ぼっちちゃんの挙動は(一部)わかる。
2023年はナナヲアカリにハマった。
ライブに行き過ぎた、ただ本当に良かった(語彙力)。
新たな作品を楽しむ体力がなかった頃を経験しているからこそ、いま新たな作品に触れて感動できる自分で良かったと思う。
2024年はどんな推しに出会えるか楽しみだ。