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有川浩『阪急電車』の舞台にようやく行った話
先日、とあるライブに参戦するために神戸に行くことがあった。
前日の夜、経路を調べると京都からは阪急で行くのが便利だったので、京都河原町駅から特急で向かうことにした。
が、ふと気づく。
――阪急で神戸と言えば、あの『阪急電車』の舞台があるのでは?
即刻調べてみるとその通りで、最終降車駅である神戸三宮までの間でその路線――阪急今津線が分岐接続していることを知った。
これは行くしかあるまいて、何せ私は中1以来、おおよそ10年来の有川ひろ先生*¹のファンである。
予定出発時刻を大幅に前倒しし、本棚から抜き出した文庫版の『阪急電車』にこれまた本棚から引っ張り出したブックカバーを取り付けてリュックに仕込み――かくして『阪急電車』聖地巡礼(という言葉は合わない気がするが)決行と相成った。
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*¹旧筆名は有川”浩”。以下、本文では『阪急電車』及びその他の旧筆名時期に発表された作品に関する言及で記す際は勝手ながら当時の「有川浩」表記で行う。やはりこちらの方が馴染みがあり、書きたいので。
『阪急電車』とは
『阪急電車』(有川浩、2008年・幻冬舎)は、阪急今津線の西宮北口~宝塚間を舞台としたオムニバス形式の小説作品。
本区間にある8つの駅、それが折り返して計16の物語からなり、基本的にひと駅ごとに異なる主役たちが描かれる。それぞれの物語は少しづつ重なったり、重ならなかったり。主役たちも絡んだり、絡まなかったりしながら、阪急電車が運ぶ物語が紡がれている。
文庫版も電子版もあるし、1話5分もあれば読めてしまうので未読の方は通勤通学のお供にでも是非読んでみてほしい。甘さも酸っぱさも爽やかさも苦さも詰まっていておすすめです。
あと映画化もされていまs有村架純さん初出演作!? マルモ直後の芦田愛菜さん!?
実はまだ映画は観ていないのですが次観る映画はこれに決めました。
いよいよ『阪急電車』の舞台、阪急今津線へ
関西圏では大きな私鉄グループとなる阪急は、えんじ色の車体にレトロな内装が個性的な車両を各沿線に走らせており、鉄道マニアの人気が高いことはもちろん若い女性からも「かわいい」と好評を博している。
『阪急電車』の前書きにこのような一文がある。初読当時阪急のはの字もない地に住んでいた私には表紙のイラストだけがこの阪急の車両のビジュアルを脳裡に浮かべる頼りだった。そしていつか乗ってみたいものだと、読み返す度に考えていた。
なので今、京都に住んでいるが、偶の阪急に乗る機会があるとその度にこのえんじ色の阪急車両にちょっぴり心を躍らせている。京都に来てよかったと思うことのひとつだ。
そして今回、とうとうその阪急線の中でも『阪急電車』の舞台となった、前書きに曰く「阪急電車各線の中でも全国的知名度が低いであろう」、今津線に乗ることが叶うのだ。
仮に東京に出ていて新幹線で新神戸から向かったのでは想到しなかったやもしれぬし、そもそも神戸まで出向くこともない気がする。京都に来てよかった。
ところで今津線はその一端の宝塚駅から、もう一端である今津駅までを結ぶ路線なわけだが、『阪急電車』は今津駅から二駅の西宮北口駅を起終点としている。理由は文庫版のあとがきにあるので気になった方はそちらへ。
京都線からの接続もちょうど西宮北口からだったので、私の追体験も同様に西宮北口~宝塚間(今津北線)で行うことにした。
西宮北口
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と、鏡音レンくん。
十三で神戸本線特急に乗り換え(実は行先を確認した記憶が無く、途中不安になりながら)、西宮北口で降車。
これがあの「ニシキタ」かぁ、と感慨深くなりながら階段を上り、4つのホームへの案内が並ぶコンコースを目にしてまたこれがあの、と嘆息する。小説の文字だけで想像した、あるいは想像しきれなかった光景を実際に足を運んで目の当たりにするというのは何とも堪らない体験である。
そして宝塚方面の案内を見つけてホームに下り、ついにご対面。
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今更こんな写真を撮る乗客など周りにはおらず、どころか日曜昼前の今津線は乗客自体少なかったのだが、ともあれ満足して乗車。
圭一くんと美帆ちゃんや時枝おばあちゃんを思い浮かべ、彼ら彼女らと同じ路線に乗る、ごく短い旅が始まった。
門戸厄神
さてそれでは風流に阪急今津線の車内で『阪急電車』を読もうか、と開いたところで気づいたのだが、逆だ。というのも『阪急電車』の章立ては前半に宝塚→西宮北口、後半に折り返して西宮北口→宝塚と運ばれるので、西宮北口から乗ると逆の行程になってしまう。
しかしかといって1.5往復するには時間に余裕が無い(と考えたが、この後していたことを考えれば変わらなかった気もする。)ので、一つ目の停車駅である門戸厄神駅で早速降車し、前半+折り返しで門戸厄神回までをここで読んでから再び乗り込むことにした。そこから先は駅ごとに1話ずつ読もうとしたわけだ。
きっかり00分から10分おきの時刻表を見て、マイナーとはいえ都会の路線だなあと、昼間は1時間おきの地元の路線を思い出しながら、これなら次発に焦って読む必要も無いなと安心してホームのベンチに腰掛ける。
さて改めて『阪急電車』を読んでみたが、やはり面白い。とんでもなく面白く、そして何度も読み返した記憶が次々に掘り起こされて懐かしさに悶えそうになる。詳しい内容は繰り返すが読んでみてほしい。三本程列車を見送って、あっという間に西宮北口に到着し、折り返して門戸厄神の回まで追いついた。
さて、ようやく乗車再開だ。えんじ色の車両に再び乗り込む。
甲東園~仁川
往きのこの区間はまた『阪急電車』を読み進めていたのであまり書くことが無いのだが、代わりに帰りでは関西学院大学の野球部員たちが乗り込んできて、おっ、と思った。そういえばミサが甲東園には有名大学のキャンパスがあると言っていたっけ、なるほどあれは関学だったか、と思わぬ形で知ることができた。
小林
こばやしではなく、おばやし。立派な初見殺し駅名のひとつであろう。
先に紹介したように『阪急電車』の各話はごく短いのだが、それでも一駅1話ペースで読むのは少々無理があり、ここで再度降車して最後まで一気に読んでしまうことにした。
降車駅にこの小林を選んだのは、前半の小林回で翔子さんが時枝おばあちゃんに勧められて降り、後半で引っ越してきたことが明かされる駅だったから。「いい駅」と作中では紹介されるこの駅は、宝塚行きホームの背後には斜面に沿った住宅街がすぐそこから広がる生活感あふれる駅だった。
跨線橋を渡って反対側にある有人の方の改札口を見てみると、ああここに翔子が見た温かさの数々が置かれていたんだな、と察せられる、人情が介在できそうな改札があった。
ツバメの巣も七夕飾りも時期外れゆえ無かったが、もしかすると改札を出たところにはなにかあったかもしれない。そう思える雰囲気があった。
宝塚方面のホームに戻り、またベンチに腰掛ける。そういえばここは、かっこいい小学生のショウコちゃんが背筋を伸ばして座っていたベンチじゃなかろうか。
小さな駅のベンチ一つにさえ、そこで生まれた物語が想起される。何と楽しい、片道n分の旅だろう。
逆瀬川~宝塚南口
川を渡る度、あれ「生」の中州があるのはここだったか、と目を遣っていた。結局その中洲がある武庫川は最後の宝塚南口~宝塚間にあったし、その上座っていたのも逆側の席だったが。
宝塚
先述の通り件の中州は座っているのと反対側にあったために、往きでは見逃してしまった。
そのことに軽く落胆していたのも束の間、橋を渡った途端に向かい――進行方向左手の車窓が白壁に赤差す瀟洒な壁に覆われる。
宝塚大劇場だ。
後ろの窓からも同じ風合いの建物が見え、これは宝塚音楽学校。
一気に沿線の都市色が強くなった阪急今津線は、大劇場に沿うようにして路線唯一の90°のカーブを描く。
テレビで見覚えのある大劇場の正面入り口が見えたら、まもなく終点、宝塚駅だ。
そして、折り返し。
という名の締めのパート。
『阪急電車』を中学生で初めて読んで以来、一度は乗ってみたいと思っていた阪急今津線だったが、乗って良かった。乗りに来て本当に良かったと、西宮北口方面で再び揺られながら思った。
それはもちろん、聖地巡礼として「あの場面の場所だ!」と逐一感動するのが楽しかったというのもあるが。
それに加えてこの短い、旅とも言えないような移動は、現実そこに乗り合わせた人々にもそれぞれの物語があるのを思い出させてくれた。
昨日知ったというレモンの酸っぱさを演説していた保育園児くらいの女の子は、余程おでかけが楽しみだったのか。
ローカル色の強い路線にはやや不釣り合いにスタイリッシュに身なりを決めた青年は(そういう男子は一往復の間に散見された)、遊びに行くのかそれともデートか。そこには変わった経緯があるやもしれぬ。
向かいの席に座っていた品の有る仲睦まじい老夫婦は、宝塚歌劇の鑑賞帰りだったのだろうか。もしや出会いのきっかけでもあったり? 或いは念願の観劇だったのかも。
そして、そんな彼らの物語には多かれ少なかれ、この長閑な鉄道のえんじ色をした車両が通っているのだ。そう思うと、少し羨ましくなった。
“電車に一人で乗っている人は、大抵無表情でぼんやりしている。”
”そうでなければ車内の暇つぶし定番の本か音楽か携帯か。”
読んだ当時は本編のこの書き出しに、言い得て妙であるといきなり衝撃を受けたものだが、乗客の九割以上がスマホに目を向ける今となっては一昔前の感覚である。
だが、ひとたび車内で顔を上げてみればそこに乗客の数だけの物語がある、というのは変わらない。
久しく忘れていたこの感覚をまた抱え直して、無機質に感じていた電車移動を少し楽しみにしてみようか。
今度また乗る機会があったら、食べ損ねた花のみちのソフトクリームを食べに行こう。
(終)