ツーリング日和4(第13話)濁河温泉
ここから宿に向かうはずだけど、温泉街をこのまま抜けて国道四十一号に戻り、二十分ぐらい走ったら、
「エッソのスタンドのとこの信号を左に入るで」
「らじゃ、やっと歓迎って出て来たよ」
小坂川を渡って突き当りには、
「まだ三十八キロもあるんだ」
ということは濁河温泉ってことになるけど、けっこう遠いな。どこにあるんだよ。さらに十分ほどで道の駅南飛騨小坂ももはな。
「最後のトイレになるで」
この道は飛騨御岳ももはな街道となってるけど、すぐに一車線になったんだよ。向うに見える山の方に行くんだろうけど、名前とは裏腹に厳しそう。
「コトリ、あの五重塔見て」
なにあれ、無理やりだよね。たまにお城風というか、天守閣風の店があったりするけど、五重塔風は初めて見た気がする。いや、たぶん五重塔のつもりだろうけど予算が足りなかったのかプレハブみたいだ。
喫茶・スナックとなってるけど、上の方は飾りだろろな。あの広さじゃ上がれるだけの気がする。それでもこんなところで、潰れずに営業できているのがエライとも言えそうかな。それはともかく、山の日暮れは早いよ。
「この辺で距離と時間を稼いどくで」
「らじゃ」
ひぇぇぇ、下呂に行く時もそうだったけど、小型なにのどうしてあんな加速力があるのよ。それに何キロ出してるの。250CCが追い駆けるのに懸命になるってなんなのよ。
「お蕎麦屋さんがあるよ」
「さすがにパスや」
へぇ、こんなところであまご釣りをやってのか。そんなこと言ってられないよ。本格的な登りじゃない。ワインディングもキツくなってきて勾配もパワーアップしてる。えっ、まだ二十八キロもある。こんな道が最後まで続くとかないよね。
でたぁ、急な登りの二連ヘアピンだ。タイヤの跡がすごいな。ここまでになると250CCでもヒーコラなのにあっさり登れる驚異の原付だ。改造してるんだろうけど、どれだけ改造したらああなるのやら。えっと、道路案内は右折みたいだけどまだ二十三キロか。
「あのいっぱい看板があるとこ右や」
「らじゃ」
ぎゃぁ、こっから本番とか。これは一車線半も怪しい山道じゃない。それも直線がなんか殆どないクネクネのワインデイングだよ。ブラインド・カーブもひっきりなしでペースなんて上げようがないもの。すぐに崖からダイビングになっちゃいそう。
だいぶ日も暮れて来てるし、言うまでもないけど街灯なんかない。それでもコトリさんたちのバイクは軽快にコーナーリングするよね。なにかヒラヒラ舞っている様に見えるぐらい。エエ加減ウンザリしたところで、
「あそこに歓迎 濁河温泉って出てるよ」
やっとかよ。
「左行くで」
しっかし歓迎看板があっても、見えるのは元温泉旅館の廃墟しかないじゃないの。
「ありゃ、ホテルも閉まってるね」
立派そうなホテルだけど、閉館になってて、荒れかけてるよ。ホントにだいじょうぶかな。それでも市営の露天風呂はあるのか。それにやっと営業してる宿も見つけた。さらに登って行くと、
「あれじゃない」
電気も付いてるから営業しているはず。助かった。ここから帰れと言われたら確実に谷底に突っ込むか、ガードレールと仲良くしなくちゃならなかったよ。
「ここはな、通年営業で日本一高いとこにある温泉街なんや」
なんか引っかかる言い方だけど日本一高いところにある温泉は他に、
・温泉宿がなく温泉だけがあるもの
・冬季は営業していない温泉宿
・通年営業だけど一軒宿の温泉宿
温泉街とは複数の温泉宿があるって意味で良さそう。それでもとにかく高いところにあるのは身を以て実感した。コトリさんが言うには温泉街の中でも一番高いとこにあるのにしたのだとか。
「目くそ、鼻くその差で、そやな十メートルも変らんけど、せっかく高いとこの温泉に来てるんやから、少しでも高いとこの宿にするのが気持ちや。そやな通年営業の温泉街で、日本一高いとこにある宿に泊まったは土産話になるやんか」
おかげで山道に苦戦させられた。でも宿もなかなか綺麗だよ。あれっ、他にもバイクで登ってきているお客さんがいるんだ。
「コトリ、あのバイクだけど」
「似てるな。こんなとこで会えるとか」
「楽しみね」
知り合いかな。玄関に入るとロビーだけど、思ったより広いし綺麗だもの。フロントでチェックインを済ませ、部屋で一服したらさっそくお風呂に行ったのだけど、
「このお風呂は、通年営業で、温泉街で、日本一高いところにあるお風呂と露天風呂になるね」
檜風呂だけど気持ちの良いお湯だよ。それとこの露天風呂、
「こんな贅沢な露天風呂は滅多に入れないかもね」
だってだよ、満天の星空なのよ。ここまでの星空は神戸だったら絶対に無理。この星空は、
「プラネタリウム並みね」
手が届きそうとはこの事かと思ったもの。あれだけ苦労して登ったけど報われた感じだ。さっぱりしたとこでお食事処で晩御飯。今日の宿泊客はユリたちともう一人だけみたい。さっきのバイクの人で良いはずだ。
銀髪に染めて、細く引き締まった体、甘いというよりシャープな顔立ち。絵に描いたようなイケメンだけど、どこかで見たことがあるような。するとこちらに気が付いたのが席を立ってやって来た。
「これは、しゃ・・・」
「今日はコトリや」
「間違わないでねユッキーよ。コウ、久しぶり。元気にしてた」
コトリさんたちの知り合いみたいだけど・・・思い出した。
「もしかしてライダー・ピアニストのコウさんですか!」
「御存じだったとは光栄です。お二人のお友だちですか」
コウさんはツーリングしながら各地のストリート・ピアノでパフォーマンスをしているので有名なんだ。そういうパフォーマンスはユーチューバーのジャンルとしてあるけど、コウさんは別格かな。
ユーチューバーとしてもトップを争う人気だけど、クラシック・ピアニストとしても超が付くぐらい有名なんだ。たしかジュリアード音楽院主席卒業とか。クラシックの方の演奏会のチケットの入手も難しいって話だもの。
コウさんのテクニックはまさに超人的。超難曲として有名なラ・カンパネラを弾かせたら世界でも指折りってなってるけど、リストの超絶技巧練習曲も有名。これは世界の有名ピアニストでも弾きこなせる者が数えるぐらいしかないウルトラ難曲。
超絶技巧練習曲は十二曲あるのだけど、その中でもとくに第六番、第七番、第八番は難曲中の難曲とされシューマンも、
『嵐の練習曲、恐怖の練習曲で、これを弾きこなせる者は世界中探してもせいぜい十人くらいしかあるまい。下手な演奏家が弾いたら、物笑いの種になる事だろう』
こうされてるぐらい。さらにさらに超絶技巧練習曲は第一稿から第三稿まであり、現在弾かれてるのは第三稿が殆どだけど、技術的にもっとも難度が高いとされるのが第二稿なんだ。これもシューマンの言葉だけど、
『たとえリストが弾いても、あらゆる限界を超えたところや、得られる効果が、犠牲にされた美しさに対して、充分の償いとなっていないようなところでは、耳障りな箇所がたくさんあるだろうと思う』
ここまで言われてるもの。それをコウさんは弾きこなしちゃうので有名なんだ。ここまでのピアニストが、ストリート・ピアノなんて弾いてるのが逆に人気を呼んでるのかもしれない。
「一緒にご飯にしようや」
「せっかくじゃない」
ユリもピアノを習っていた時期があったから、世界的ピアニストと同席するだけでドギマギする。でもそんな事を気にもしないのがあの二人。
「うどの酢味噌に里芋のずんだ和えか」
「カモの燻製もなかなかだしゴマ豆腐もいけるよ」
岩魚の骨酒も頼んでたみたいで
「これ香ばしいよ」
岩魚の骨酒を出す宿も多いけど、ほとんどのところは予め焼いておいた岩魚に日本酒を注ぐだけのとこが多いんだって。だけど、ここはちゃんと焼いた岩魚で沸騰させてダシを取ってるとかなんとか。
「お造りは刺身コンニャクと馬刺し、飛騨牛のたたきに紅鱒って嬉しいね」
「飛騨牛の陶板焼きもエエで」
山菜の天ぷらも山の幸って感じで嬉しいね。ここの地酒は天領って書いてあるけど、
「濁河温泉で氷雪貯蔵してたんだって」
笑ったらいけないけど、一升瓶でオーダーする客なんて初めて見た。
「陶板焼きお代わり」
「飛騨牛のたたきと刺身、岩魚の骨酒も」
やると思ったけど、
「一升瓶お代わり」
食べるのと飲むのは間違いなく化物だ。