ツーリング日和4(第34話)コウ
「コトリ、丸く収まったみたいだね」
「あんなもんでエエやろ」
ああいうアクシデントは楽しいし、ツーリングの隠し味みたいなもんやけど、毎回毎回よう起こるわ。そのたびにお土産代が鰻上りになるのが玉に瑕や。
「シノブちゃんも頑張ってくれたから仕方ないよ」
今回は色々あったけど、まずコウや。あいつはストリート・ピアノやってたんやけど、あの頃はヤンキー・ピアニストとも呼ばれとったわ。才能は感じたけど、とにかく雑やった。
「それでケチつけるのがいたら、喧嘩売ってたのよね」
「喧嘩するためにピアノ弾いてるかと思うたぐらいや」
それでも確実に才能はあった。コウと出会った時も力任せの粗いピアノを弾いてたんやけど、ユッキーが、
『ヘタクソ』
挑発したんや。コウは殴りかかったきたけど、ユッキーは例の怖い顔で金縛りにして、
『文句はこれぐらい弾けたら聞いてあげるよ』
ユッキーのピアノも上手いねん。三十階仮眠室のリビングに置いてあるグランド・ピアノは飾りやない。大聖歓喜天院家時代から何代も積み重ねた筋金入りの腕前や。ちなみにコトリの三味線も、
「兵庫津で芸者やってた時からだよね」
そうなる。兵庫津いうても今は見る影あらへんけど、江戸時代は大都市としてエエやろ。佐比江の遊郭は有名やったからな。さすがに遊女やなかったけど、芸者しとってん。芸者となれば三味線や。もう誰も覚えてへんけど、佐比江一の腕前って言われとってん。コトリの三味線はともかく、コウは呆然と聴いてたわ。
『これぐらいじゃ、まだ素人芸なのよ』
ちゃうやろ。ユッキーが弾いてみせたのはパガニーニによる超絶技巧練習曲第四番マゼッパや。これがどれだけ難しいかはコウも良く知ってたから、絶句して立ち尽くしてもたんや。ユッキーの腕前は人間業を越えた神の業やからな。
「コトリの三味線もでしょうが」
それから知り合いになり、コウのストリート・ピアノを時々聴きに行く関係になったぐらいや。千本桜の連弾や、三味線とのセッションもようやった。コトリのピアノもユッキーほどやないけど、そこそこぐらいなら弾けるからな。
連弾やセッションだけやのうてメシも食いに行ったし、飲みにも行った。そこでコウの身の上話みたいなんも聞かされた。コウの名前と苗字聞いたらだいたい事情はわかったけど、実情は笑うぐらいやった。
そやけどコウはヤンキー・ピアニストやって、家には反発しとるけど、家を本当に捨てる気があらへんのはわかってもた。根が真面目なんやろ、なんとか家にも認めて欲しい気持ちがモロバレやった。そしたらユッキーが、
「だったら認めてもらえば済むだけの話じゃないの」
ユッキーの考えはシンプルやった。コウの実家はあれこれウルサイのはそうやけど、音楽家は認めてるんや。これも認める幅が少々狭いがピアノやったっらクラシックならOKぐらいでエエやろ。
コウがピアノを始めたんも教養の一環で、当たり前やけどクラシックから入っとる。コウはピアノにのめり込んだけど、クラシック一直線の道は嫌ったぐらいや。この辺は家の教育方針との反発と連動してるとこもある。
「つべこべ言わずにクラシックをまず極めなさい。話はそれからよ」
ユッキーは渋るコウの尻を叩きまくってたで。知っとる人は知っとるけど、三十階の仮眠室まで引っ張り込んでレッスンしとったんよ。ユッキーが教える時はスパルタやけどコウもよう付いてったと思たで。
そこまでシバキ上げるように鍛え上げて、最終的にジュリアード音楽院に叩き込んでまいよった。あれもなんでバークリーやのうてジュリアードなんやって聞いたんやが、
「ジュリアードは正統派、バークリーは変則だから」
どっちも有名な音楽学校やが、バークリーはポピュラー音楽志向が強いらしい。コウに身に付けさせたいのは正統派クラシックやからジュリアードにしたと言うとったわ。そやけどジュリアードは難関や、裏口使わせるんかと思うとったぐらいやったが、
「バカ言わないの。正面から突破しないと意味ないじゃないの。遊ばせてるわけじゃないんだから」
どれぐらい難関かやけど、世界中から腕に覚えのある入学希望者が二千人以上集まってきて、百五十人ぐらいしか合格せえへんねん。国立音大も難関やけど、そんなもんじゃあらへんぐらいや。
コウは合格したで。あん時は祝ってやったし、ユッキーは渡航費用から学費、向こうでの生活費まで全部面倒みたんや。生活費や学費を稼ぐためにバイトする時間があるんやったら、ピアノに専念しろって言ってたかな。
コウも期待に応えて頑張ってくれたわ。主席卒業で、卒業式には卒業生を代表して挨拶したぐらいやねん。日本でもコウのジュリアード主席卒業はニュースになったし、凱旋帰国して一躍有名ピアニストの仲間入りや。
ユッキーはコウを可愛がっとったけど、あれは才能だけやなく男としても愛しとった気がする。そやなかったら、三十階までコウを引っ張り込むかいな。そやけど結ばれてないはずや。
「わたしにはジュシュルがいるって言ってるじゃない」
ハイハイ。それもないとは言わんけど、既に小山恵時代の晩年やったんよ。見た目はともかく年齢的には親子どころか婆ちゃんと孫ぐらいや。
「今のコトリみたいなものよ」
「うるさいわ」
そやからの気がするけど、コウがジュリアードに入学してから会わんようにしとった。なんやかんやと理由を付けて避けとったんや。そのうち小山恵から如月かすみに宿主代わりしてしまい、それっきりになったぐらいかな。
「それっきりじゃなかったでしょ」
さすが三十階に出入りしとっただけの事はあると思たもんな。濁河温泉で久しぶりに再会した時にコトリはともかくユッキーまで見抜きよった。
「あれで良かったんか」
「良かったよ」
見栄張りやがって。今やったら行けたやないか。
「しょうがないでしょ、コウはユリに釘付けになっちゃったんだもの」
そうやねん。エレギオンの首座の女神と次座の女神がおるのに、コウが惚れたんはユリやってんよ。あれかな、ジュリアード行ってる間に金髪美人が好みになってもたんやろか。
「それは問題発言よ。恋をするのに人種は関係ない」
こりゃ、一本取られた。いや、ユリはエエ娘や。それがわかったから、多賀大社の駐車場で声かけたし、旅の仲間と即座に認めたからな。あれだけの娘はそうはおらへん。
「ちょっと天然が入ってるけどね」
それがあったから、あんだけの事件に巻き込まれてもなんとかなったんやと思うで。一番エエとこは物怖じせんとこやろな。いわゆる本番に強いタイプや。芯はしっかりしとるし、それでいて愛嬌もある。人を惹きつけるもんがあるわ。
「コウは良い男だったけど、女神の男にするには少し足りなかったかな」
「負け惜しみか」
「かもね」
でもそうかもしれん。女神と結ばれるのが良いことか悪いことかは微妙や。まだ妊娠問題も解決したとは言えんから、結婚したって子どもができるかどうかも未知数や。子どもを作るために結婚するわけやないと強弁できんこともあらへんけど、
「コウはああ見えて、子ども好きだからね。カズ坊の不幸を味合わせたくなかったのもあるよ」
カズ君はシオリちゃんと結婚したけど、ホンマ運が悪いことにシオリちゃんが不妊症やってんよな。あんだけ子ども好きやったのに、子無し夫婦で一生を終えることになってもた。
「カズ坊は三女神を渡り歩いた男だけど、子どもだけは縁がなかったのよね」
シオリちゃんのたまたまの不妊症だけやのうて、あの頃のコトリもユッキーも呪いの不妊症やった。つまり誰と結婚しても子どもに恵まれへんかったって事になる。
「女神と言っても寄生虫だものね」
「ホンマにそうや」
人としては出来損ないの部分が多いから、そんな女神と結婚するより、普通の人と結婚する方が幸せな部分が多いわ。