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「天気の子」展と、いろいろ思ったこと

「天気の子」展の松屋銀座。

最終日間近の銀座には思うよりもずっとお客さんが来ていて
それこそ、そこだけ全然銀座じゃないような感じで若者があふれていた。

じっくり見たりワイワイ見たり、いろんな人がいたが
一つの映画からみればそれは何よりの祝福であったと思う。
あんなにたくさんの人が一つの映画について語る場。
それは映画にとってとても幸せな場所だ。

新海さんの作る映画にいつも多分に影響を受けているつもりだが
今回もまた、非常に刺激的な作品であったように思う。

彼は日本の、まさに今の状況や気分のことを描きたがっている。
今しか見れないもの、今しか聞けない事。
それを若い世代、そして自分自身に重ねて、誰しもみんなが
思っていて未だ言語化できていない共通の気分を探す、
そういう事をやっていると思っている。

「天気なんて狂ったままでいいんだ」

劇中のセリフからいろんなものを端折った上で引用すると、
僕は世の中の把握の仕方としては似たような認識をもっている。
つまりは全然世の中が正しいと思っていない。
いろんな仕組みがなんらか狂っていていつも歪だと思っている。

”地域と映像”をテーマにしている以上、
地域や社会をより良くしようする、そういう方達とお仕事を
させてもらう機会が多い。その思考に共感することもすごく良くある。

ただし僕自身はそこには入りきれずにいることも多い。
考え方が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。
だが自分のことだけを考えれば・・・
むしろある状況的な貧困のようなものに共感を覚えることがよくある。
それは孤立することや引きこもりに近しいようなこと。

別に今だって人から評価さえされなければ引きこもりに近いと思う。
唐突に評価が変わっただけで、自分が世の中に必要とされては
いないのではないかという不安は今だって常にある。
自分が無価値のように扱われた経験がいくらかあると、
誰しもそう思うんじゃないだろうかと思ったりすることもある。

そういう所に触れる表現を探している。

先日ある人ともそんな話になったのだが、
僕たちの世代はほんとうに沢山のことを抱えていて、
それこそ前の世代が経験していないことをたくさん背負っていかなくては
いけないし、また違った価値観を持っている。

つまりそういう未知数の状況の中で、自分が自分として何を描くか。
今までに見たことや経験したことのない状況の中で、
僕は僕の作るものを通して、社会を見たいし、提示したい。

新海誠は映画を通して、”大丈夫だ”といった。
僕は一体、何を語るのだろうか。

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