「非現実」の重要性と価値/テオティワカン(メキシコ/メキシコシティ)
メキシコで紀元前2世紀頃から約900年に渡って栄えたと言われている、テオティワカン文明。その中心都市として機能していたテオティワカン遺跡に行ってきました。太陽と月、2つのピラミッドが大きくそびえ立ち、周りには小さなピラミッドが多数配置されています。用水路や住居跡もあり、20万人規模の文明があったと言われている、当時の活気が見えてくるようでした。
このような大都市で世界観の核となっていたのは、血の供儀でした。王子は陰部に、女王は舌に穴を開けて血を捧げます。生け贄の儀式では、ピラミッドの頂上で生きたまま胸を切り裂かれ、脈打つ心臓を取り出し、太陽に捧げます。生け贄には捕虜の中から最も若く美しく勇敢な者が、戦いの末に選ばれます。あるいは生け贄になることを条件に、1年間王様生活をした者も居たのだとか。固唾を飲んで儀式を見守る人々もまた自らを傷つけ、神に捧げる鮮血と共に踊り狂っていたそうです。
現代では考えられない壮絶な儀式ですが、そんな「非現実」が、ここでは人々の生活の中に当たり前のように溶け込んでいたことに驚かされました。「非現実」を通して改めてズシンと感じる「現実の手応え」。現実をより充実したものにするための「非現実」を、生活のすぐ側に置く都市設計とは、なんて粋な計らいをしたものだと思わされました。
日本でも毎月、お正月、節分、ひなまつり、お花見、鯉のぼり、衣替え、七夕、精霊流し、お月見…と、非現実イベントを行うことで精神の疲れを解し、現実を生き抜いていました。非現実を生活の中に取り入れることで心身のバランスを保つことができる。現実に疲れないための、先人たちの昔から続く知恵は今も生きています。「現実」を生き抜くために「非現実」を味わう。日常を楽しむために非日常を楽しむ。そうしてバランスを保ちながら、人生を味わっていきたいものです。
この絵はメキシコで描いたもので、「昔の現実」と「現代の現実」を合わせることで「非現実」を作る試みをしてみました。「非現実」という壮絶なドラマに命を捧げてきた人がいるからこそ今があるということを伝えています。