さよならと抱擁 映画『秘密の森の、その向こう』について
クローズ・アップで捉えられた年配の女性が厳かに「アレクサンドリア」と呟くと、カメラは少し引いて、その単語をクロスワードパズルに書き込む少女の小さな手を映し出す。やがて「さよなら」を告げて部屋を出た少女は、各部屋を順にまわって住人たちに「さよなら」を告げた後、片付けのほぼ終わった最後の部屋に入る。部屋の隅に立てかけたステッキや天井からぶら下がっている吊り手に、その部屋の住人だった人の面影がまだ残っている。その部屋に住んでいたのは少女の祖母であり、部屋を片付けているのは少女の母親だ。少女の視線に合わせて終始低い位置にあるカメラから、母親の表情ははっきりと読み取れない。やがて母親はこちらに背を向けて窓辺に腰かけ戸外をみつめる。その後姿を収めた画面にタイトル「PETITE MAMAN」が現れる。ここまでワンカット。
少女は車の後部座席から母親の様子をこっそりうかがっている。少女が感じているのは、自分の母親がいま、自分と分かち合えない気持ちを抱えているということだ。やがて母親が運転席に座り車が動き出すと、カメラは進行方向を映し出すのだが、フォーカスはフロントガラスの向こうではなく、その手前のバックミラーに映る運転中の母親に合わせられる。それは母親の表情を探る少女の視線だ。スナック菓子を”うさぎ食べ“するうわべのあどけなさの奥に、少女は不安を押し隠す。やがて少女の手は車を運転している母親の口許にスナック菓子を運び、沈んだ表情の母親を抱擁しようとするが、幼い腕は母親の首にまわすのが精一杯で、抱擁するには短すぎるのである。
母娘という垂直な関係性は一方向になりがちで、互いを互いで満たすことが難しい。そこで森の魔法は、現在の祖母の家と20数年前の祖母の家とに通路を開き、ネリーとマリオンの関係を水平に変換する。はじめて森で出会ったネリーと少女のマリオンは、大きな木の枝を水平に抱えて森の小屋に運ぶ。最後の日にはゴムボートを漕いで湖を水平にすすんでいく。
車で病院に行く祖母に「さよなら」を告げたネリーが家に戻ると、片付けの終わったがらんとした部屋に母マリオンがいる。床の上に座って、ちょうどネリーと同じくらいの高さになった母親を彼女を抱擁する。祖母へ「さよなら」を言うことと、母を抱擁すること。ネリーは映画のはじめにきちんとできなかった2つのことを、2つとも果たすことができたのだった。
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