映画『MEMORIA メモリア』について 覚え書き
寝室とおぼしき薄暗い部屋。窓にはカーテンがかかり、外の景色はみえない(カーテンは、上映がはじまる前の映画のスクリーンのようにもみえる)。アピチャッポンの映画なのでこのシーンがしばらく続くことは予想できるのだが、突然鳴り響く爆発音に驚かされる。画面上でも、同じように音に飛び起きた人影がベッドから起き上がり、ふらふらと隣の部屋に移動していく。彼女(ジェシカ=ティルダ・スウィントン)が眠ることはもう二度とないだろう。
明け方の駐車場に眠る何台もの自動車の防犯アラームが次々鳴り出すのは、目に見えない何者かの存在を暗示しているのだろうか。あるいは、アラームを鳴らす自動車の存在を示すことで、音響には必ずその音のもとになるものが存在することを提示しているのだろうか?
ジェシカが聴いた爆発音は、この世界ではどうやら彼女だけに聴こえる音であるらしい。その音が単なる幻聴なら、彼女の聴いた音に起源は存在しない。しかしもし幻聴でないとするなら、その音のもととなる何者かが存在しなければならない。我々は当然、後者を期待する。だか、そんなものがどうしたら存在可能なのか?
ジェシカは音響技師のエルナンに、自分が聴いた爆発音の再現を依頼する。音の正体を明らかにするため? おそらくそうではない。事態はその逆で、爆発音が人工的に合成されることによって、その音のもととなる存在が遡って要請されるのではないか。あたかも、録音された音声に、後から撮影した映像を合わせるように。
爆発音の正体がリアライズされると、世界は少し歪む。アイアンマンの存在する世界が現実と異なるように。ジェシカはこの新たな世界に迷い込む。村上春樹の小説『1Q84』において、主人公が1984年から1Q84年の世界に迷い込んだように(故国を離れた映画作家が、南米で映画撮影を開始したように)。爆発音を捏造した音響技師のエルナンは、この世界では存在が許されない。ジェシカの冷蔵庫に投資しようとしたのは、この世界に何とか留まるための算段だったのかもしれない。
パラレルワールドもしくはマルチバース。輪廻転生。アピチャッポン映画において、この世界と別の時空の存在が示唆されることは決してめずらしくない。この世界の生とは、別の時空に生きる人間が眠っている間に見るつかの間の夢なのでは? 同様に、この世界で眠る人は、眠っている間に別の時空でつかの間の生を生きているのでは?
アピチャッポンの映画において、つかの間のはかない存在に過ぎない人間に比べ、土や石は時空を超越して存在するように思われる。銅像や石像はアピチャッポンの好みの被写体だ。彼らは過去の記憶が具象化されたものとして、土や石が人間の姿をしているのだ。
魚の鱗をはぐエルナンは「すべてを記憶している男」である。彼は魚から鱗をはがすように、物事から記憶をはぎとって蓄える。彼はまるで石像のように眠る。
ジェシカと鱗はぎのエルナンとの出会いは、古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」を連想させる。ギルガメシュは不老不死を求めて、長い旅の果てに長老ウトナピシュティムに出会った。長老はギルガメシュに大昔に起こった大洪水について語り、洪水を生き延びた末に神々から不死を与えられたと語る。
ジェシカは鱗はぎのエルナンの身体に触れて、過去に起こった大洪水をはじめ、さまざまな過去の出来事を聴く。彼女が探していた爆発音の正体もそのなかにある。もしくは、映画のスクリーンでもありうる窓から彼女はそれを眺める。
それが宇宙乗合バス(?)のバックファイヤーなのは、録音された音声に、後から撮影した映像を合わせだけのこと。我々はそこに各々の記憶をあてはめればよい。
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