シックスの神話 映画『グレイマン』について
フィッツロイの姪クレアの警護を勤めていたとき、腕の刺青について尋ねられたシックス(ライアン・ゴズリング)は、それがギリシア神話に出てくる英雄の名前であると答えます。神々を欺いた罰として、大きな岩を山の頂上に運んでいるという説明から、その英雄の名がシーシュポスであることがわかります。
刺青について言及するためにわざわざ付け加えられたとしか思えないこのシーンが、シックスがシーシュポスであることの表明なのは明らかでしょう。“Six”という呼び名は数字の6というだけではなく、“Sisyphus”の略称でもあると考えるべきです。
シーシュポスは、死神タナトスがゼウスに命じられて彼を捕らえに来たとき、タナトスを閉じ込めて一度死を免れます。また、ついに捕らえられて冥府に連行されると、今度は冥府の王ハデスを欺いて地上に戻ってきてしまいます。このエピソードは、シーシュポスがしぶとく死に抗う男であることを表しています。そしてもちろん映画のシックスも、乗っている輸送機が墜落しようが、ベンチに手錠をかけられた状態で特殊部隊に攻撃されようが、しぶとく生き残ります。
さらに深読みすれば、ロイド(クリス・エヴァンス)を死神タナトス、CIA職員のカーマイケルとスザンヌを、それぞれ冥府の王ハデスと王妃ペルセポネになぞらえることもできそうです。
しかしシーシュポスに関する逸話でもっともよく知られているのは、彼が2度までも神々を欺いた罰として、巨大な岩を山の頂上に運び上げるよう命じられたことでしょう。岩はあと少しで山頂に届く寸前で転がり落ちてしまうため、シーシュポスの苦行は永久に終わることがありません。
アルベール・カミュは『シーシュポスの神話』というエッセイで、人間の生をこのシーシュポスの苦行になぞらえています。たとえ人生が生きるに値しないものであっても、死すべき運命に抗い、空しさに耐えて生きることは、それ自体が幸福である。と、カミュは説いています(まあ簡単に言えば)。
映画ではシックスが格闘や武器の扱いにおいて優秀な技量をもっていることが示されますが、類似の映画の主人公達と比較すると、彼の闘い方はとても「がまん強い」ことが特徴です。ナイフで刺されても、ただ痛みに耐えることによって反撃する。このがまん強さは、何度転げ落ちても再び岩を運ぶシーシュポスの不屈の精神に通じるものがあります。
また、ハーバード出身のCIA上層部のエリート達と異なり、シックスは現場の労働者、いわばエッセンシャルワーカーです。神々がシーシュポスに罰を下したように、彼はCIA上層部の不正の証拠を入手したために命を狙われます。しかし圧倒的な物量の差をがまん強さで埋めて、ついにはやつらの心胆を寒からしめる。彼は抵抗するプロレタリアート(無数のグレイマン=見えない人々)のヒーローであり、その姿が神々に反抗するシーシュポスに重ねられているのが超かっこいい、というお話でございました。
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