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家にいることをがんばる意味がわからない件(今日の内向型日記)

5月15日(金)雨

今日は午後から本格的な雨。

雨音が好きな自分にとって、今日は最高のステイホーム日和である。外の雑音を消すような雨音と、窓から漏れる薄光、モノトーンに染まる部屋。この心地よさを表せる言葉が見つからないほど心地いい。

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コロナで国民総ステイホームが始まって数ヶ月。メディアでは家から出られないことによる弊害が多く取り上げられ、みんなでがんばろう的な掛け声が毎日のように聞こえてくる。

しかしインドアで内向型の自分からすれば、家にいることにそこまで「がんばる」必要があるのかさっぱりわからないし、家にいることが「苦しい」という前提で話が進んでいることに違和感しか感じない。

Twitterでこんな記事が流れてきて、興味深く読んだ。

4月は自殺者数が減少したらしい。そしてその要因が、「職場や学校に行く機会が減り、悩むことが少なかった」からではないかと分析されていた。

この記事を読んで、おそらく自分のように、教室や職場のような人の集まるところが苦手な人はけっこういて、コロナによって楽になった人や、救われた人も少なからずいるんだろうなぁと思った次第。

ただこんな状況ゆえ、「在宅サイコー!」とか「休校になって毎日楽しい」みたいな声はあげにくいだろうし、あげてもスルーされるのだろう。

僕からすれば、どう考えたって毎員電車に揺られ、居心地もよくないオフィスで仕事するよりも、家で一人で仕事するほうが100万倍は楽だと思うのだが、どうなんだろう。みんな本当にコロナ以前の日常に戻りたいんだろうか。そんなに家にいるのが苦しいのだろうか。

自分個人の願望をいえば、せっかくここまで在宅やオンラインでの作業が普及したので、どうかこの流れはそのままで、「新しい日常」になってほしい。

全員が同じ時間・同じ場所に集まらないとできないという、かつてのシステムは、20世紀の工場労働型社会にはそこそこ妥当だったとは思うけど、21世紀で年号も変わった現在には、不健全かつ滑稽だということに、コロナ危機は気づかせてくれるのではないかと期待している。

仮にコロナが落ち着いても、希望者はこのままステイさせほしい、ホームに。


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