「好きなこと」と「金儲け」について
僕が働いているクリエイティブ業界は、好きなことを仕事にしている人が多いからか、お金について話すことは避けられる傾向にある。おそらく「好きなこと」をビジネスという金儲けにリンクさせることは、心情的に受け付けないところがあるのだろう。
お金というのは面白いもので、お金を持つことが社会的なステータスになることもあれば、欲にくらんだ品のない行為のように取られてしまうこともある。みんなお金を通して自分がどう見られるか心配だから、お金の話をしないのは自己防衛なのかもしれない。
ただお金によって人々が右往左往させられてしまうのは、勝手にお金に色をつけて考えてしまっている人間が悪いわけで、お金そのものが悪いわけではない。お金はどこまでいっても単なるツールなのだから、それ以上の文脈をつけることは、悪いことはあっても良いことはないではないだろうか。
僕としては、お金はツールというより、「エネルギーの一種」に見える。
もちろんガソリンや電力のように、直接的なエネルギーではないけれども、商品やサービスなどを通して、自分以外のエネルギーを使う意味ではほぼ同じだ。そうやって僕らは、自己のエネルギーでできる範囲を、はるかに超えた生活や仕事を営んでいる。ものを動かそうとすれば、相応のエネルギーがいるのと同じように、何かをしようと思えば、相応のお金が必要となる。
したがって、「好きなこと」と「お金」は、車を走らせるにはガソリンがいるくらいに、当たり前で分けられないものだし、いちいち関係性を論じるべきものでもない。エネルギーなのだから、電力やガソリンと同じように、「どこから補給して、どう使うか」だけを意識的に考えればいいだけの話だ。
電気はコンセント、ガソリンはガソリンスタンドくらいからしか補給できないが、お金の補給の仕方はたくさんある。「好きなこと」だけから補給しなければならないことはないし、補給することが罪なわけでも、それで好きなことが汚されるわけでもない。
僕的には、「好きなこと一本で食っていく」ようなことを目指すのは、前時代的な発想で、さまざまなことを並行的に行えるようになった現代では、エネルギーの補給口は他から持ってきても全く問題ないと思っている。むしろ複数の補給口があったほうが、収入を気にせず好きなことに熱中できるのでよいのではないだろうか。
まあそのへんは個々人の戦略によるのだろうが、お金について考えるべきはそれだけで十分だろう。それ以上の意味合いをお金につけるのは蛇足であって、変な宗教信じてるのとあんま変らないんじゃないだろうか。
自分のバッグのポケットには、財布とモバイルバッテリーが入っているが、エネルギーをストックしている意味では、どちらも用途は同じだ。