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「Black Lives Matter」と、本当の「ニューノーマル」について

6月13日(土)雨

薬のおかげで体調のほうは普通になった。しかし薬の影響で今月は療養の日々を送っており、緊急事態宣言が解除されても、僕は引き続きステイホーム。世間は新しい日常が始まったらしいが、僕は一刻も早く元の日常に戻りたい。

先週、高熱に苛まれつつも眺めていたスマホに、例のジョージ・フロイドさんの映像が流れてきた。またひどい人種差別による事件が起きてしまったようだ。こりゃ絶対アメリカ荒れるな…と思いつつも、自分のことで精一杯で、それ以上考える余裕がなかった。

本当のニューノーマルは2万年前から始まっている

案の定、怒りのマグマは全米にとどまらず世界各国を覆い、21世紀になっても人種差別の問題は、世界中に根深く残り続けている現状が浮き彫りになった。

最近はコロナで「新しい日常(ニューノーマル)」が始まるという。

ただ世界の混乱を見る限り、人類は未だに、およそ2万年前から始まった「文明社会」という名の「ニューノーマル」に適応できていないじゃないか、と思ってしまう。

人類は600万年以上、狩猟採集生活を続けてきたと言われている。そして農耕が始まり文明を築き始めてからは、まだたったの2万年しかたっていない。僕らはそんな「ニューノーマル」の新米プレーヤーであり、身体もシステムも全く適合できておらず、未だトライ&エラーの過程にいる。

現代で人々を悩ませる病気のほとんどは、未だ石器時代の体のまま、無理にニューノーマルに合わせたことによる不具合から発生しているし、王政から民主制、社会主義や資本主義など、我ら文明社会は様々な実験を繰り返しているが、未だに格差、そしてそこから生まれる差別は、文明が誕生してから変わることなく人々を苦しめ続けており、今回は警察官の暴力により悲劇が起きた。

Black Lives Matter」のスローガンの下、世界中で人種差別反対のデモが起こり、SNSでは漆黒の画像で埋め尽くされている。

もちろん声を上げることは必要だし、そこに異論はないが、僕はその手の瞬間的に燃え上がる、お祭り騒ぎ的な動きより、もっと静かに(騒ぎが終わっても)根本的な解決方法を模索し続けるほうに興味がある。なぜなら人々は騒ぐ割にはすぐに忘れ、数年後にはまた新しい「Black Lives Matter」で、同じようなことが繰り返される光景が目に浮かぶからだ。

ニューノーマルは本当のノーマルに近づくべき

そして仮に人種差別が解消されたとしても、社会が今のシステムで回り続ける限り、手を替え品を替え、差別は新しい象徴的な弱者に向かうだろう。自己責任の名の下に、社会的弱者が差別されている日本のように。

差別の源泉にあるのは「縄張り意識」だ。生物の持つ根源的な意識ゆえ、消すことは難しいにしても、緩和させることはできると思う。

格差が広がり、人々が不安とストレスを感じれば感じるほど、縄張り意識が強固になっていくのは、分断国家へ突き進む米国を見ればわかる。ならば、その逆をいくようなシステムを目指すべきで、これからコロナによってニューノーマルという生活様式の変化が起こるならば、僕は文明社会以前にあった、本当の「ノーマル」と、もっとシンクロさせるような変化であるべきだと思う。僕らは基本的にまだ石器時代仕様であることを前提に、今あるシステムとの接点を再構築するのだ。

毎日朝から晩まで都心のオフィスで働きづめの生活ではなく、もっと自然の多いところで働くとか、そもそも毎日働く必要性も再考したほうがいいだろう。食事も加工されていない自然に近いものを増やしたり、毎日よく寝る。

発展のためにある程度の競争は仕方ないにせよ、現代人のストレスの大半は、競争に負ける恐怖(食えなくなる)から来ているので、勝敗に関係なく生活保障をする、ベーシックインカムという「分け与え」の社会実験も、そろそろ世界的に始めてもいいかもしれない。

ストレスや恐怖は人の心身を蝕み、影響は必ず悪い形で表出する。行きすぎた利便性や合理性から距離を置き、いかに人々が健康で心穏やかに暮らせるか。それはおそらく石器時代の「ノーマル」から多いに学べることだろう。
世間や人の目よりも、個々人が自分の人生に集中できる環境を作ること。もっと人間的で健康的な社会システムを作ることが、最終的には差別反対のスローガンやデモよりも、差別問題に有効に作用するのではないかと思うのだ。

僕はアートを作っていたりするので、ここらでいっちょ「Black Lives Matter」を表現するような作品でも出せば、多少の注目や収入が集まるかもしれないが、やっぱりその手の「ノリ」には興味が出ない性格ゆえ、今年は地平線のミニマムな作品ばかりを作っている。ただこれこそ今、自分が世界に提示したい「答え」なのではないかと思わなくもない。

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おそらく、これから新しい格差が始まるだろう。「健康の格差」だ。それは当然体だけにとどまらず、心や精神といった内面も含まれる。それはお金では解決できないのである意味厄介だ。

今、弱者を(わざわざ)差別するような言動をしてしまう不健康な心身の持ち主は、いずれ自分が差別される側になっているかもしれない。自分的にはそんな格差が広がらないよう、または次のフロイドさんが生まれないよう、作品でも文章でも何でもいいので、概念のようなものを考え、発信していこうと思う次第。

といいつつ、自分が今盛大に体調を崩している不健康な身である矛盾で、モチベーションが下がってきたので、そろそろやめて寝る(トホホ)。早く健康になりたい…。

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