やっぱり僕らがしたいのは濃厚接触 - ZOOM飲みのミッシングピースを探して
5月17日(日)曇り
緊急事態宣言が解除されて最初の週末の福岡、深夜にコンビニに行く途中、さっそく酔いつぶれて路上に寝ている人がいたりして、よくも悪くも福岡らしいなぁと思ったりした。
ここ数ヶ月、何回かオンラインで飲み会をやったけど、やっぱりリアルに店とかで話すのに比べると、もの足りない。リアルの満足度が100だとすれば、オンラインは60程度だろうか。
会議のような、情報だけをやり取りするだけなら、オンラインでほぼ事足りるというか、むしろオンラインのほうがいいかもしれない。
しかし飲み会のような、コミュニケーションを楽しむやり取りに関しては、例え楽しく話せたとしても、どうしても満たされない何かがある。
この緊急事態の2ヶ月は、そのミッシングピースとは何かを考える時間でもあった。
今後モニターが8Kになれば、肉眼で見ているのと変わらない解像度になるし、VRやARも発達して、あたかも目の前に相手がいるような環境を作れるようになるだろう。しかしそれで僕らは、リアルで会う満足度と肩を並べるレベルまで行けるのだろうか。
Twitterではこんなものが流れてきた。
飛沫防止のためのテーブル用透明プレート。デザインはよくできていると思うけど、これでもモチベーションの低下は否めない。目の前に透明のアクリル板一枚あるだけでも、やっぱり満足度は下がる。
そう考えていくと、コロナ禍のコミュニケーションのミッシングピースは、「濃厚接触」なのではないかと思わざるを得ない。
やはり僕らは、会話という情報交換だけではなく、お互い同じ空気を吸いたいし、同じ気温や匂い、湿度までも共有したい。動物がお互いを舐め合ったり、においを嗅ぎ合ったりするような、あの濃度での接触を、人間といえど無意識に求めているのではないか、と考えた。
さらにいえば、腸内細菌が人間の思考や感情に大きな影響を及ぼしていることを前提にすれば、コミュニケーションとは、根本では互いの菌同士で行われているのではないか。その場のあらゆる菌を共有し、互いの菌を交流させることに、コミュニケーションの真髄があるのではないか。
要するに今回のコロナ禍で普及した透明シートや、オンラインでのやりとりの一番の目的であった「ウイルスや菌を通さないこと」が、コミュニケーションの一番のミッシングピースなのではないかと、思い当たった次第。
今後コロナがどうなろうと、これからもオンラインでの遠隔コミュニケーションの技術は発達していくだろう。しかし僕らの「菌」まで満足させるようなレベルまでいけるかどうか…僕はまだわからない。
もちろんこの仮説が正しいかどうかは知らないが、こんなことを考えるようになったのはコロナのおかげだし、そんな時間があったのもコロナのおかげだろう。
皮肉にもコロナは教えてくれたのだ。
我々には「濃厚接触や密こそが大切」だと。
早くみんなと濃厚接触できる日が来ることを楽しみにしている。