国内旅行にからっきし興味がなかった人間の、国内旅行のすすめ
11月5日(木)晴れ
10月の後半はよく動いた。
名古屋の展示に始まり、義弟くんの結婚式で東京に行き、名古屋に戻ってから、伊勢→京都→奈良をまわってきた。
コロナで当分海外には行けそうにないので、今年は日本を研究することにした。というのも、作品を作る時に、仏教や神道などの概念をよく入れるので、書籍等の情報だけでなく、いつか現地に行ってみようと思っていたのだ。
今まで欧米をよく旅行したり住んだりしていたので、それと比較する形で、日本人の自然感および美的感覚に関する自分なりの仮説を持っていた。今回はそれを検証するような形で、伊勢神宮など、古来の日本の史跡を歩いた。その結果は他の記事に書くとして、とりあえず今思うのは、日本を旅行することに関する自分の考えの変化だ。
今まで自分にとって旅行とは、「海外」しかなかった。
「自分探しの旅」ではないけれど、まだまだ自分が知らない世界がたくさんあること、世界が広いことを知ることは、多感だった頃の自分にとって、希望であり救いでもあった。
異国の空港に着いた時の、あの空気の違い、まだ見ぬ新しい世界への高揚感、言葉も文化も風習も違うエリアへの好奇心、そしてそこでの悪戦苦闘さえ、貴重な財産になる海外の楽しさは、まさに旅の醍醐味がつまっている。これを一度体験してしまうとやみつきになるものだ。
それに比べ、日本はどこも似たような景色で、似たような人々、文化も風習も大して変わらない。そんな最初から予想できるような旅なんて退屈だと思っていたし、温泉や魚介類も大して好きではない自分にとって、日本を旅行するメリットはほとんど見当たらなかった。百歩譲って温泉に入るのが気持ちいいとしても、わざわざ風呂に入りに新幹線乗るなんて頭おかしいんじゃないかなどと主張していたのは若気の至りだったと思う。
ところがここ数年、日本に非常に興味がわいてきており、日本の文化や宗教に関する本を読むことが増えてきた。海外で日本との違いを目の当たりにする中で、日本の独自性や特異性を多く発見し、「なぜ日本は、日本人はこうなのだろう?」と考えることがよくあったからなのかもしれない。20代の頃から抱いていたその手の考察の答え合わせをしたり、自分なりの仮説を立てたりするのが、最近は楽しくて仕方ない。
おそらく僕も年をとって、旅中での「すごい!面白い!」といった表面的な感動だけでは飽き足らなくなってきて、なぜこのような姿になったのか、歴史や文化的な側面から楽しみたくなってきたのだろう。「見る・体験する」のと同じくらい、「知る・理解する」ことが享楽になってきた。
そうなると今までは退屈だと思っていた日本の旅にも、急に好奇心がわいてくるから面白い。日本の良い部分も、至らない部分も、古来から続く流れの先に行き着いた結果だということを知れば、だいぶ見方も変わってくるし、その手の因果的ストラクチャーを理解することは、自分にとって享楽でもある。
思えば僕は東京という山も自然もない場所で生まれ育ち、日本をよく知らなかった。海外と出会い、比較することで、自分の中に日本という輪郭が形作られたように、日本を知れば、もっと世界を深く理解できるようになるだろう。逆にいえば自分の内面を知らなければ、これ以上外の世界を理解するのは難しいのかもしれない。
そんな時に巡ってきたコロナ禍による不意の国内旅行へのいざない。インバウンドの消滅で各地がすいている上に、Go toキャンペーンも相まって、まさに今年は絶好の国内旅行イヤーとなってしまった。コロナ禍はまだしばらく続きそうなので、その間は国内を研究しつつまわって、日本への理解を深めつつ作品へのコンセプト作りへ大いに活かしてやろうと思っている。