大晦日に、AI時代の身の振り方を改めて考える
今年も最終日になってしまった。
無事仕事も納まったので、久々にまったりできる。明日までに何かをやる必要のない日々、サイコーですなぁ。
今日は最後なので、スタバでアメリカンワッフル(クリーム付き)を注文して、読書にふけこむ。
本を読んでいたら、なんか文章を書きたくなったので、今ブログを書いている次第。
サイコーですなぁ。
締め切りもノルマもなく、気の向いた時に、やりたいことをやって、他のことをやりたくなったら、また違うことをする。
この自由さは社会人になると実に貴重だ。
今年はAIが躍進した年で、お絵描きAIが幅を利かせ始めたりして、僕のいるいわゆる「クリエイティブ業界」も穏やかではなかった。
シンギュラリティなどと大層なことを言うまでもなく、人の仕事がAIにとられる世界へのカウントダウンは、思ったより早く、着々と進みつつある。今後は専門知識や技術を必要とされる仕事は、次々と機械に取って代わられることになるだろう。
思えばシンギュラリティの元祖レイ・カーツワイルの記事を読み、AIの存在を知ったのちょうど10年前くらいだった。これはもう自分の仕事は長くは続かないし、そもそも人の仕事はなくなると直感的に思った。
ならば仕事にしがみついていても仕方がないので、仕事がなくても、楽しめる人生にしよう思い、アート作品なんかを作り始め、今に至る。
そしてアーティスト活動をしていると、なんでアートをやっているのか人から聞かれたりインタビューされたりするんだけど、その度に「道楽のため」といい続けているのは、AIの存在がでかい。
AIは僕らの社会を根底からひっくり返す。しかしながら、僕らが遊んだり、楽しんだりする「幸福」は、どんなに社会が変わろうとも不変だ。そして人のエネルギーはそれらに最適化するようにできているし、僕らの文化や芸術は、そんなエネルギーの集積体といってもいいだろう。
いずれ、この年末のような自由な日々が、日常になるかもしれない。そうなったらなったでなかなか大変なので、道楽に人生をかけるくらいの覚悟は必要なのではないか思っている次第。人間に残された隙間はそのへんしか今のところ思い浮かばない。
今年は仕事をがんばったので、先日自分へのクリスマスプレゼントでミラーレス一眼とレンズを買ってしまった。
このカメラを持って来年はどこに行こうかと考えるのもまた一興。これで来年も道楽の日々は面白くなりそうで、今から楽しみにしている。
お疲れ様、混乱の2022年。さらに混乱する2023年もがんばろう。