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アナログは贅沢で、贅沢はアナログ

Xで素敵なポストを見つけてしまった。

終戦時に祖母が質屋に入れた蓄音機を、巡り巡って2023年に孫が偶然的に購入していたという話。そんな蓄音機で聴く音楽はなんと素敵なことだろう。

デジタル化が進み、CDすら見かけなくなった昨今にあっても、レコードの需要はなくならないらしい。いくら電子信号で本物と同じ音が再現できても、レコードが奏でるアナログな音には、僕らは特別な良さと豊かを感じてしまう。

蓄音機はでかいし、レコードはかさばるし、保管に手間もコストもかかる。それでも、いやそれだからこそ、レコードの奏でる音には価値がある。

手間や時間やコストをかけるゆえの贅沢さ・・・タップ一つで音だけ流れてくるデジタルなコンテンツに対して、手間とコストという体験が含まれたレコードの音は、さながら「リッチコンテンツ」といえるだろう。

デジタルで聞く鳥の声よりも、現地まで出向いて聞く鳥の声のほうが贅沢なように、AIで数秒で描かれた絵よりも、自分で1日かけて描く絵のほうが贅沢だ。さらに望み通りの答えを返してくれるAIよりも、不完全で気分屋な生身の人間と付き合うことが贅沢、とされる時代が来るのかもしれない。

今後、音楽から「話し相手」を含めた、あらゆるコミュニケーションやコンテンツが、デジタル化され、効率化され、無料化され、万人に届けられるようになるだろう。だからこそ、アナログという「非効率で手間のかかる体験をあえて行う」ことの価値が、個々人のアイデンティティになっていくような気がする。

なぜならアナログ体験は、選ばれた人間、または意志を持って選んだ人間しか享受できないからだ。レコードの音楽は、コストを負担できる人間しか聴くことができないし、鳥の声を聞きに現地まで出向くこと然り。友人や異性と付き合うこと然りだ。

アナログの非効率さをデジタルで解決する世界が今までだとすれば、これからはデジタルで面倒なことは極力まで自動化・省略化し、その分好きなアナログを楽しむことに費やす世界になるのではないだろうか。

AIで求める絵や写真がすぐに出てくるようになっても、僕は絵を描くことはやめないだろうし、カメラを持って旅に出るだろう。デザイナーという職業もおそらく持ってあと数年だろうが、お金をもらえなくてもデザインは続けるだろう。なぜならそれらの行為そのものが、自分にとって「贅沢」であり「豊かさ」だから。

てことで僕らは今後アナログな森の中へ宝を探しにいくのだ。アナログな肉体とシンクロするようなアナログとの出会いはまさに黄金。楽しい手間と時間と非効率性は、人生を豊かにする。

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