有名クリエイターの仕事を見ながら「仕事」について考えた
12月19日(木)晴れ
六本木の21_21 DESIGN SIGHTのマル秘展を見に行った。
有名なデザイナーや建築家などの、仕事に関する資料やアイデアスケッチといった「制作過程」を展示するという、21_21 DESIGN SIGHTは毎回テーマが面白い。僕が学生時代に憧れていたデザイナーやディレクターの作品も多数あって、その制作過程を(懐かしさとともに)興味深く拝見させていただいた。
どの分野もそうだけど、後世に残るような仕事の裏には、作り手の過剰な熱量がある。合理的に考えれば「そこまでしなくてもいいだろう」という一線を軽く飛び越えるそのエネルギーは、「仕事とは何か」を考える上で、大きな示唆を与えてくれているように思う。
現代人にとっての仕事は、とても複雑なもののようで、収入や出世に熱心な人、自己実現したい人や、社会貢献したい人など、仕事に対する思いは様々だ。ただ仕事に対する捉え方が多様になったせいで、どのようなスタンスで仕事に取り組むべきなのか迷ってる人が多いように感じるし、そんな相談をたまに受けたりする。
そういう仕事を考える際にいつも思うのだけど、そもそも、プライベートと仕事を分けること自体に、矛盾があるのではないだろうか。
人は基本的に、「やりたいこと」と「やらざるを得ないこと」しかやっていない。
「やらざるを得ないこと」とは、それをやらないと、生きる上でまずいことになることだ。寝ること、食べること、風呂に入ったり、歯を磨くことも同様だろう。現代社会ではお金がないと食べていけないので、ほとんどの人にとって仕事とは「やらざるを得ないこと」カテゴリーに入っている。
ただごくまれに仕事が、「やりたいこと」カテゴリーに入ってしまっている人もいて、おそらく今回展示されている作品の作り手の方々は、そのカテゴリーで仕事をしているのだろう。
その仕事は、「やらざるを得ない」カテゴリーに属している仕事から見れば、明らかに過剰で、報酬や労働時間の面から見て非合理的に思われるかもしれない。しかしその過剰な熱量や労力からアウトプットされた作品は、必然的に質の高いものとなり、「仕事として」高く評価されることになる。作り手にとって、働くこと自体が生活の一部になっているので、もはや生きることと働くことが重なり合って区別できない。
現代人の仕事に対する迷いや葛藤は、「やりたいこと」と「やらざるを得ないこと」両者を、「仕事」という概念でひとくくりにしてしまうことと、仕事が人間にとって何か特別のものであるかのように分けて考えることから発生しているのではないかと思っている。そして「やりたいこと」カテゴリーのような働き方を、「やらざるを得ない」カテゴリーの仕事に適用してしまう一部の方々が、数々の労働問題を引き起こし、ますます仕事の意味合いは混迷する。
人は「やりたいこと」と「やらざるを得ないこと」しかやっていない。それはプライベートだろうがビジネスだろうが、オンだろうがオフだろうが関係ない。生きることを広義に見れば全部同じだ。僕は人の仕事とは本来「やりたいこと」であるべきだと思っているし、それによって発生するアウトプットは、数字的な尺度では測れない、もっと本質的な価値を持っていると思っている。
人は9〜17時に働くために生まれてきたわけではない。人にはそれぞれ役目があるはずだ。AIが人の仕事を奪うと言われて久しいが、僕はそうは思わない。やらざるを得ない仕事のほうが、多くの人の「やりたいこと」をやる時間と労力を奪っている。そう考えればAIはむしろ、人が本来の仕事をやるための重要な協力者となるだろう。
もうすぐ始まる2020年代は、仕事の概念のコペルニクス的転回が始まる時期だと思うので、今回の展示は人間の仕事とは何かを考える上で、とてもいい機会だったと思う。僕が学生時代に憧れていたのは、彼らの作品よりも、彼らの働き方のほうだったのだろう。「やりたいこと」に自分を捧げられることは、それがどんなに大変なことであっても、幸せなことだ。