砂時計とジョブズ戦略
10月31日(木)晴れ
先日、行きつけの本屋で、本ではなく砂時計を買った。
銀色に光る砂つぶが流れ落ちる様子が美しく、見ていて飽きない。
それとともに、「僕の人生もこうやって終わっていくのだな〜」と妙な感傷に浸ったりする。
時間の流れとともに、すべてが変わっていく。消えていく。人生も終わっていく。そんな諸行無常感を砂の流れに感じて、切なくなってしまう。
毎日寝る前に、砂時計を眺めながら、そんなポエムな心情に浸っていたのだけれど、ポエム以上にある効用があることに気づいた。意識的に「時間」に向き合うことができるようになることだ。それを「ジョブズ戦略」と名付けることにした。
アップルの故スティーブ・ジョブズ氏は、自身が病気で死にかけた時の経験から、「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やることは本当にやりたいだろうか?」と毎朝自分に語りかけていたらしい。
人は有限性を感じた時に、初めてそのものの価値に気づく。それは人生も同様だろう。もしも人生の終わりがわかったら、それまで1秒も無駄にしたくないと思うのが人間である。ジョブズの燃えるような激しい生き方は、きっとそんな人生観から生まれたのだろう。
時間は人々に平等に与えられ、平等に消えてゆく。そして二度と戻ってこない。
とはいえ幸か不幸か、僕は死にかけた経験はないし、余命を宣告されたこともない。死ぬことに実感がないゆえ、有限性が頭でわかっていても、ダラダラと過ごしてしまったりする。日々の短期的な利益にとらわれ、長期的な展望に目がいかなくなる。
そこで砂時計だ。静かに流れ落ちる砂は、時間の流れを可視化してくれる。だんだんと積み上がる砂の山は、残り時間が減っていくことを連想させる。自分はちゃんと時間を使えているかを自問させる。
今日自分は、時間を望むことに使えただろうか。怠惰に浪費しなかっただろうか。
未来に繋がることに使えただろうか。過去に囚われることに浪費しなかっただろうか。
人を思いやることに使えただろうか。人を憎むことに浪費しなかっただろうか。
おそらく「ちゃんと生きる」というのは「ちゃんと時間を使う」とイコールなのだろう。
砂時計は、自分の人生もいつか終わりがくることを教えてくれる。ジョブズが病気で有限性を悟ったように、砂の流れに有限性を見出すジョブズ戦略はこれからも続けていきたい。
砂時計高かったけど、いい買い物だったと思う。