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あの日の米国同時多発テロ(9.11から20年目の振り返りと雑感)

9月11日(土)晴れ

あの日は朝からスカッと晴れた一日だった。

なんて感じであの日を思い出すのも20回目になってしまった。20年もたってしまえば、9.11同時多発テロといっても、実感がわかない若い人も増えていることだろう。

最近ニュースになっているアフガニスタン情勢も、思えばあの日が始まりだった。21世紀が始まった最初の夏、ニューヨークの象徴的な存在であったワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだあの日、僕はニュージャージーを挟んだ隣町フィラデルフィアのアートスクールで、朝のクラスに出席していた。

クラスが始まったとたんに、警備員が教室に入ってきて、突如授業は中止。学校も即臨時閉鎖。学校の隣にあった店のテレビには、黒煙を上げるワールドトレードセンターが映っており、近くの高層ビルからは、逃げるように人々が出てきた。

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ハイジャックされた飛行機はNYのワールドトレードセンターと、ワシントンのペンタゴンにも落ちたらしい。

当時は混乱を極めていて、ちょうどNYとワシントンの中間にあり、米国の歴史的建物が多いフィラデルフィアにも落ちてくると言われ、テロリストが陸路でこっちに向かっているという噂すらあった。(実際にペンシルベニア州郊外に墜落した1機は、フィラデルフィアが攻撃対象だったと言われている)

とりあえず家に戻って親に国際電話で無事を伝え、カメラを持って外に出た。街の様子をカメラに収めたかったのと、当時高層アパートに住んでいたので、本気で飛行機が来そうで怖かったのだ。そんな歴史的な惨事が起こったあの日の空気を、今も鮮明に思い出す。

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事件の映像があまりにも非現実的なので、その日の夜は実感があまりわかなかった。しかし後日、ハイジャックされた飛行機に日本人学生が乗っていたというニュースを知り、心が痛くなった。やはり自分に立場の近しい人が犠牲になったことを知ると、事件は一気に現実感を帯びて迫ってくる。

あれからアメリカでは、外国人のビザの規程が大変厳しくなり、僕ら留学生も間接的であれ大きな被害を受けた。あの事件がなければ、僕も、フィラデルフィアで出会った妻も、そのままアメリカで生活していたかもしれない。世界は常に流動的で、思い描いていた道も、一瞬の出来事で車線変更せざるを得なくなる。そんな現実を身をもって知った、最初のタイミングだったように思う。

朝一で洗った洗濯物を干し終わり、ベランダから空を眺めつつ、20年もたってしまったあの日のことを思い出すと、感慨の念が湧いてくる。ニュースやネットでは、9.11の様々な振り返りの記事が出ることだろう。ただ僕がまっさきに思い出すのは、あの日犠牲となった日本人学生のことだ。

僕は彼のことをまったく知らないけれど、彼も僕と同じように希望を持って米国に渡り、がんばっていたことだろう。この20年は、そんな彼が生きるはずだった20年でもあることを考えると、粗末に生きてはいけないなと思うし、今こうして何気なく空を眺めていられることも、特別なことのように思えてくる。なぜなら僕も彼と同じく、その飛行機に乗っていたかもしれないから。

あの日たまたま飛行機には乗っていなかった。あの日たまたま飛行機はフィラデルフィアに落ちてこなかった。身近で起きた理不尽な事件がもっとも強く残してくれたのは、テロへの憎しみや平和への願いのような、広義なものではなく、ただ「今、生きている」ことに対する偶然性と特別性という、ごく個人的な肌感覚だったりする。

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