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なぜロングスローは論争となるのか①ースローインという行為を問い直す
なぜロングスローは論争のたねになるのであろうか。
例えば、極端な例をあげると「ロングスローはサッカーではない。」という人もいる。また、そこまで行かなくとも、「違和感を感じる」という人もいるであろう。
これに対して、「ルールに則っているのだから、いいではないか。」という反論が大方返ってくるであろう。
この論争は、不毛であり、そもそもかみ合うはずはない。なぜなら前者は、美学的な価値観から述べており、後者は法学的な価値観から述べているからだ。
この両者がぶつかったときに、当然ながら後者が勝つ。スポーツはルールに則って勝ち負けを争うのであり、美学的な優劣を競い合っているわけではないからだ。
しかしながら、私は美学的な価値観について一考しなければならない、と考えている。
そもそも他の球技とサッカーを截然と分かつルールは何であろうか。より分かりやすく問おう。ラグビーとの違いはなんであろうか。もちろん、「手を使ってはいけない。」ということであろう(もちろんキーパーを除く。)
それでは、スローインに戻ってみよう。スローインという行為を自明性の枠組みから、解き放ってみる。すると、スローインは、このサッカーをサッカーたらしめている、大原理「手を使ってはいけない」ということに、大きく違反しているのだ。
ご承知の通り、スローインのやり方は競技規則に細々と書かれている。「スローインは両手でボールを頭の後方から頭上を通す。」つまり、ルールに手を使えと命令されているのである。
なぜ、キックインではだめなのであろうか。あらゆるスポーツに通ずるが、スポーツが内輪のゲームから、顔も知らない他者と行う試合となると、ルールを成分化しなければならなくなる。
多くの取り決めがあるであろうが、サッカーフィールドの大きさを決めることも重要であろう。そこで、タッチラインを引くことになる。
もし、ラインを引かなければ、当事者が戻ろうかと言わない限り、遥か遠くまでプレーが行われるだろう。これは、公園でサッカーをしたことのある人は分かると思う。
例えば、公園でサッカーをする場合、遊具や道路の制限はあるが、公園の中では、タッチラインを引くことはないだろう(ゴールラインは、ゴールを決めると自動的に決まる。)
また、道路に出た場合でも、杓子定規にスローインをする人はいないだろう。大抵はキックインをするか。手を使うにしても、自陣に戻すであろう。前方に投げることは、暗黙の了解としてないだろう。
ここで自明性を取り払ってと、ルール上のスローインという行為を分析してみよう。すると、サッカーのプレーとしては不自然極まりないのである。競技規則を読むと、
・競技のフィールドに面して立つ。
・それぞれの足の一部が、タッチライン上またはタッチラインの外のグラウンドについている。
・ボールが競技のフィールドを出た地点から、両手でボールを頭の後方から頭上を通す。
と書かれている。確かに助走はできるが、投げる瞬間は両手、両足に手錠をかけたような状態で投げなければならない。
また、スポーツでここまで厳格にルールブックに書かれた行為を読んだことはない(体操、フィギアスケート等、難易度を争う競技を除く。)
サッカーという競技の魅力として、「自由」という価値観をあげる人も多いだろう。サッカーには「手を使わない」というルールを除けば、ほとんど身体を規制するルールはない(もちろん他者を傷つけてはならない。)
例えば、サッカーでハイライトされるドリブルで相手を抜くシーンなども、相手から解放され自由を得ている姿を美しく感じるのではないだろうか。例えば、マラドーナのドリブルが美しいというとき、このボールを自由に扱えるという魅力を人は感じているのだと思う。
それに対して、スローインは美しくない。ルールにがんじがらめにされている。また、見た目も美しくないだろう。
これが「ロングスローはサッカーではない」と美学的に主張する人が感じていることであると思う。しかしながら、上述したように、「ルールに則っているのだから、いいではないか。」という主張とかみ合わない。
それでは、どのような主張をすればいいだろうか。それは、そもそも「スローインはサッカーなのか」という主張であろう。ここで、法学的にルールについて争えばいいのである。
それでは、私が「ロングスローは、サッカーではない。」という人の代理人となって、FIFAのルール審議会でロングスローを実質的に不可能とするルール改正を主張して欲しいと頼まれたら、どのような主張をするだろうか。
皆様も考えて欲しいが、まずは「公平性」という価値に訴えることが重要である。スポーツ・ルールのほとんどは、「公平性」という価値から書かれている。そして、競技規則第15条スローインを良く読んで欲しい。
ルール改正に至るまでとは思わないが、かなり強い主張を展開できると、私は考えている。(次回につづく)