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なぜロングスローは論争となるのか③ー競技規則を読み解き、「タオル論争」に答えを出す。
ロングスローを語る上で、本節の町田×広島戦を注目しないわけにはいかないだろう。そう、くだんの「タオル事件」があった対戦であるからだ(タオル事件については各自調べていただきたい。私は、リアルタイムでニュースを追わなかったので詳細は分からない。)
私の立場
今シーズン、町田がどのようなスローインを行うかは、蓋を開けてみるまで分からないが、現時点では昨シーズンの継続を志すようだ。いずれにしろ、「タオル」を使わないとしても、それは不作為であって、何らかの理由があろう。簡潔に言うと、「使わない理由がある。」
そこで、この記事では「タオル拭き」を、前の記事で私が解釈したスローインの立法趣旨から解きほぐしてみたい。
前々回の記事で述べたように、「みっともない」、「子供に見せられない」と言うような美学的視点から、「ロングスロー」問題を捉えると、必ず議論が噛み合わず不毛な言い争いになることに注意しなければならない。
また、Jリーグのように「遅延行為」という視点から、「タオル問題」を取り扱わない。それでは、スローインという行為の本質に迫れないからだ。
私の解釈
この連載を読んでいる方なら分かるだろうが、私の解釈では以下のようになるであろう。
タッチラインは、時間の制限上やむなく引かれた線である。本来ならば、タッチラインを超えてもプレーは続くはずである。スローインはそれを中断するための妥協的解決策である。ならば、ボールはそのタッチラインを割ったボールをありのまま使うべきである。
マルチボール制
しかし、ここで、厄介となるのが「マルチボール制」である
競技規則を見てみよう。第2条ボールである。第1項は、ボールの「品質と規格」が定義されている。第1項は定義なので良いとして、第3項「追加のボール」を見ると、マルチボール制について書かれている。条文は
「第2条の要件を満たしている追加のボールは、競技のフィールドの周囲に配置することができるが、その使用は、主審のコントロール下にある。」
この条文を下に「マルチボール制」が運用されているのである。具体的には、Jリーグでは、7個のボールを回して使うことになっている。もちろん、第1のボールはまさにフィールドでプレーされているボールである。
そして、6個の追加ボールは両ゴール裏に1個ずつ。両タッチライン沿いに2個づつ配置されることになっている。また、Jリーグではボールパーソンがそのボールを保持することになっている。
主審はコントロールしているのか
ここで問題となるのが、第2条3項の「その使用は、主審のコントロール下にある。」という文言である。ここで、私が取り上げたいのは、果たして主審は追加のボールをコントロールしているか、ということである。
スタジアムに行っても、主審がボールパーソンに対して、何か指示を出すというところをほとんど見たことがない。また、主審はボールパーソンの持つボールを逐一チェックしてはいない。ボールパーソンの行為も監督していない。
また、これはサッカー専用スタジアムに行けば、しばしば起こるが、クリアしたボールが観客席に入ることがある。このボールは、観客の手を伝ってボールパーソンの下に戻る。それでも、第三者の手に渡っているのに、主審はチェックすることなく、ボールは再びローテーションの中に戻る。
ここでは、性悪説に立つが、観客がボールに何かいたずらをするかもしれない。また、ボールパーソンについての規定が競技規則上ない。その中、ボールパーソンは何のルール的根拠もなく、ボールを保持し、管理している。そのようなボールが、主審を通すことなく選手に渡り、セットプレーが行われるのである。
ここで、私が主張したいのは、主審がボールをコントロールしろということではない。いちいちチェックしていたら、マルチボール制の趣旨である「試合の迅速化」に大きな支障が出るからである。
また、ボールの行方を追っていたら、ジャッジに集中することはできないだろう。そして、視野の問題を考えると、物理的に不可能である。追加のボールは、主審の立ち位置から見ると6個のボールが文字通り360度全ての位置に置かれるのだ。
マルチボール制は公正か
以上より、「マルチボール制」は、公正の観点から言えば、かなりいい加減に運用されていることが分かるであろう。つまり、「マルチボール制」を現在の運用で続ける限り、ボールの「同一性」、「同質性」に関しては、公正さを求めてはならないとうことだ。すなわち、ボールを拭くことが「正しいか」と問うても意味がないということだ。
選手はどう考えているか。
では、プレーをしている当事者である選手たちはどう考えているのであろうか。選手を観察していても、空気圧の問題を除いては、追加のボールを別のボールに変えてくれという場面を私は見たことはない。つまり、選手にとってはいずれのボールも同じか同質であるとみなしているのではないだろうか。
例えば、テニスは完全なるマルチボール制である。選手には、6個のボールが与えられ、サーブをする側がボールを選んでいいことになっている。そして、ボールを選ぶ際には手で感触を確かめ、ボールを選んでいる(もちろん、目を使うが。)
また、主審もコートがサッカーより遥に狭いため、ボールパーソンの動きを監督でき、今、ボールがどのような状況下にあるか。誰がボールを持っているかを把握している。
手を使うとボールの異質性に気づく
この対比を考えてみると、僅かだが何か気づくことはないだろうか。すなわち、選手はボールを蹴る分には、全てのボールを同じか同質であると感じている。しかし、スローインという手を使っていい場面になると、個々のボールの違いが意識され、濡れていると拭きたくなるのであろうし、汚れていると拭き取りたくなるのであろう。
これは、MLBとかプロ野球を観ていると感じる。例えば、ボールが打たれ、ゴロとなりアウトを取ったとしよう。ボールは内野手を回り、次の投球に備え、ピッチャーの方に戻ってくる。すると、そのリズムのままピッチングをするのか、と思いきや、ピッチャーはボールを変えてくれと主審に依頼をする。
これに対して、主審は躊躇なくこの依頼に応じる。手でボールをコントロールしようと思うと、やはりボールの品質に敏感になるのであろう(また、このボールは主審を経てピッチャーに渡るため、主審がコントロールしていると言えるだろう。)
私の結論
さて、これまで議論してきた通り、サッカーの大原則は手を使わないということであった。そして、唯一手を使えと命令されているのが、スローインである。
ここで、私が主張したいのは二点である。第1に、サッカーはやはり手を使わないスポーツであり、手以外で違和感を覚えなければ、与えられたままのボールを使わなければならないということである。
第2に、スローインの立法趣旨上、スローインは飛距離を出したり、速いボールを放るものではないということである(このことは②で立論した。)ロングスローを投げるためボールを拭いたりすることは、スローインの立法趣旨に反するということだ。
このような、理路を通ると、私は競技規則の趣旨から「ボールを拭く」という行為は、行われるべきではないとの結論に至った。
解決策は「ボール拭きを禁止すること」ではない。
もし、FIFAの聴聞委員会に呼ばれ、参考意見として実際何をやればいいのか、と聞かれれば、私はこう答えると思う。競技規則に決められたスローインの正しい進め方に、「助走をしてはならない」と付け加えることである。
スローインの正しい進め方を実際自分の体でやってみると、これは明らかに下半身の力を使ってボールを投げることを規制していることが分かる。助走も足の力をボールに伝える方法である。やり投げを思い浮かべてほしい。
プロサッカー選手の武器は、もちろんテクニック等あるであろうが、一番は強靭な下半身の力であろう。これがなければ、ピッチに立てない。スローインはこれを縛っているのである。
この規制ならば、規制目的は同じで、ボールを投げることを過度に制限しているわけではない。つまり、この規制をしても人によってボールを投げられたり、投げられなかったりするわけではない。それ故、私は妥当なルール改正だと思う。
もし、ロングスローができなくなれば、タオル問題も消滅するだろう。求められるのは1点の追加だけである。それは、競技規則に「助走をしてはならない」と付け加えるだけである。