
大学四年生で地方を創生中。
こんばんは、河谷です。
大学四年生ですが、就職活動もせずに農業に没頭しています。就職活動が全く大切じゃないと思っていますが、「就職活動もせずに」と書くあたり何かしらが引っかかっているのかもしれません。😅自分の行動が何かしらの結果を生んだ時、始めて引っ掛かりがなくなるかもしれません。
私は親が経営者だったこともあり、平日や休日に限らず何かしら仕事をして休んだり休憩したり家族サービスしたり、定時もなく働いたり、決まった時間に家に帰らなかったり、逆に一日中家にいたり、まあとにかく仕事とプライベートの裁量を自分で決めるのが普通くらいに思っていました。
しかしながら仕事で儲かっているかどうかは定かではなく、私と妹二人分の学費や生活費などはしっかり払ってくれてはいたものの、贅沢をしたような記憶はありません。子供の頃は「うーん、まあ俺が気にしてもしょうがないしなあ」と思いながらゲームしたり友達と遊びに行ったりしたのでした。
それが現在大学四年生になり、就職活動の年でもありながら全くせずに農家のもとで働きながら日々農作業に励んでいます。一応、朝の8時出勤で夕方6時退社ではあるのですが農繁期は定時があるかどうかも。。。😅
そんな中で私は自身で稼ぐことのできるように、勉強中です。私は自分で稼ぐことってアートだと思っていて、社会をキャンバスに見立てて、自分がどんな色でどんな存在感を与えることができるのか、それを表現することだと思っています。
別に生きていくだけだったらどうにでもできるので、わざわざ一日10時間働いて苦労することはありません。クーラーの効いた部屋で就職活動して、それ以外の時間はバイトや遊んだりすればいいのです。そういった人の方が大多数でしょう。
私は「飽き性」なのでそういった生活にはもう飽きたのです。基本的に何をやっても熱しやすく冷めやすかったりして、コツコツ長い時間をかけてやることに心的コストをかなり払うタイプです。逆に、これまでと違った環境や人間関係に入ることにはかなり魅力を感じ、心的コストもそんなに払わないので、刺激のある後者を選びがちです。そうやって大学生活を送ってきました。バイトも2年半続けたファミマとは別に家庭教師や家具の会社で働いたり、部活やゲームなど、自分にとって優先すべきものや必要なものにも常に変化を加えていました。それが常態でした。
仕事に関しても同じことになるのは分かりきっています。マーケティング職についたらある程度できるようになったら次はコンサルへ、次は、、、といろんな分野の職業を転々としたい、そんなタイプです。社内の人事異動が盛んなところに入ればいいじゃないかと言う人もいますが、環境自体を変えたいところも厄介なところです。人間関係とか、土地とか。
加えて就職にあんまり熱意もありません。別にスーツ着て決まった時間で働くのが嫌なわけじゃありません。仕事が楽しくてしょうがない人が世の中にはたくさんいることも知っていますし、普通の家庭を築くことの大変さも分かります。しかし私が唯一懸念しているのは「労働力に対する処分権」です。
マルクスは労働者には二重の自由があると言いました。
1.奴隷ではなく、好きな仕事につける「自由」
2.上記による生産手段からの「自由」
私はこの二つの自由両方を持っていたいと思っています。会社に勤めることが、どこか鳥籠の中にいるような、全体を考えられなくなるような、そんな推測から会社に入ることを拒んでいる自分がいるのです。それ以上に、どちらをとったほうが幸せになれるかを体験してみたいのです。会社に勤めたりプロジェクトに勤めたりするのか、自分の成長意欲のままに社会を捉えて表現するのか、自分で生きていくってどんなことなのか、あまり人がやらない方向でやりたいたいなと思っています。
そして最近よく思うのが「人間以外となんとかなる」です。今、佐賀で農業をしていますが、家も借りず、ご飯もほとんどお金はかけていませんが、毎日働いて勉強しています。パソコンとKindle、あと田舎なので車があれば文句なしです。去年の自分に今の生活を見せたらなんと言うでしょうか。笑
もちろん便利なところも不便なところもありますが、不便すら楽しむようになりたい、逆境に立っていたり環境を自分でコントロールして歪みを生むのではなく、自分の許容範囲や対応力・適応力・柔軟性を高めることで人生をもっと楽しみたい、今はそう考えています。
現在の社会でたまたまGDPでの経済成長測定をやめて「生きるに値する世界へと変えていく」ように社会が変容せねばならないと著作家の山口周さんが仰っていましたが、何気に全力で自身をそうした世界に順応させようとしていますね。と言うのも、現在の社会は基本的にはなんでもあります。物質的な充足は満ち満ちて、それを届ける物流もあり、人と会わなくてもコミュニティに入れて、手元にはスマホがあり暇つぶしには事欠かない。そんな世界で生きる意味を見出すことは至難であり、特に若い世代はニヒリズムの住人が多いように思えます。当然の流れです。
世界に課題は残っていれど、こと日本で生きる上で本当に困ることはほとんどないでしょう。しかし困ったことに私の場合、自分で「生きるに値する世界」を体験したい。何かしらに対して持ち得るエネルギーや時間を費やしたいと思ってしまいます。そして自分がどのように変容していくのか、変遷を辿るのか、最後にそのアートを見てどう思うのか、それを知りたいのです。ならばより困難な方へ。そう思っていますし、レバレッジをかけるなら楽しい方へ、と思っています。基本的には「楽したい」タイプの人間なのですが、どうしてこうなったのでしょうか。
物質的な充足が満たされ、今後は「生きるという体験価値へのシフト」が行われますが、生きることは「苦労すること」「不便すること」「考えること」「人とのつながり」こんなところだと思います。考え抜いて行動して表現する、これが人生のような気がします。私はそう思いますし、原動力となるのは「人はいつか死ぬ」という普遍の事実です。「人は平等にいつか死ぬ」なら楽しく生きた方がお得だし、私は凡人なのでどんな人たちよりも違った生き方を、違った価値観を、人ができないことを愚直にやり続けなければいけません。そうして成長することで今があり、ニヒリズムから脱却することができるように思えますし、「生きる価値のある社会へとのリフレーミング」を社会に対して行うことができると思っています。
私を含めて、人に必要なものは、「自分で価値判断を行い、実行する力」だと思っています。目の前のものが良いか悪いか、それ以外なのか自身で判断を行い、それに対してどのようなことでもアクションを起こす、それができれば良いなと思っています。おかげで私は幸福度は高いです。
そんな今の私が一段成長するには、やりたいことを実現するための情報と人の心をつかむことを無意識レベルで行うこと、そして社会構造を掴むこと、これだと思っています。それが農業を選んだ理由の一つでもあります。地方を活性化させるならまずは田んぼの草刈りから。この言葉に深みを感じられるようになってきたこの頃は少しは成長できたかもしれません。
もし、あなたがニヒリズムの住人あるなら、農家をやるのが良いかもしれません。
今日はこの辺で、では。
いいなと思ったら応援しよう!
