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【ツイステ考察】籠城向けの立地をNRCと野ばら城から考える

マスターシェフでは、各寮で何の食材を調達できるかが明らかになっています。
面白いのはNRC内に自給自足できる環境が整えられている点です。
今回はNRCの構造が極めて籠城向けであること、逆に籠城向けではない構造の野ばら城を対比する形で、「籠城」について考えていきます。

尚、現実世界の城攻めの事例は中世に充実している事、野ばら城が登場した本編7章のリリアの夢の内容が約400年前(現実世界換算だと大体中世)である事から、今回は中世の事例を参考にしています。


前提

籠城時の食糧問題を解決する寮空間を用いた自給自足について

ヘンリク卿から見る「包囲」という城攻めの合理性に関して

籠城とは何か

攻城戦(敵の砦、城、城壁都市を奪取するための戦闘)を、守る側(防塞・塁塞)から見た戦闘を籠城戦といいます。
そして、籠城戦とは近世初期にいたるまで、野戦と並ぶ2大戦闘形態の片割れに当たるくらいポピュラーな代物なのです。

城とは何か

主要な城は、為政者や指揮官の住居であり、政治や情報の拠点でした。
純防衛用(軍事用)のものは山地に建築されることが多いです。
また、街道や河川などの交通の要衝を抑え利用することも多い代物でした。

ヨーロッパの中世の城は、多くが軍事拠点や君主の拠点としての城か城郭都市でした。(都市とは君主の直接支配を免れる特権があってこその代物です!)
また、都市と城は分離されていることが多く、複数の城を持つ王や諸侯は拠点として移動しながら生活していました。

城には、一般的に以下の機能があります。
①防衛機能
不意の攻撃や戦力に劣る場合、籠城します。この時、備蓄された装備や城壁などの施設が味方の居住性を高め、逆に敵の移動や視界、攻撃を妨害する効果が守備側に有利に働きます。

②居住性
城館は、多くの場合、領地を支配する支配者と結びつきました。領主の生活の場であり、政庁となって領地支配の象徴としたり、敵地への勢力拡大の前線基地となります。
時代が下ると単に領主の別荘として作られた城も存在します。

尚、城塞都市にみられる都市を囲む城壁という意味では、領民の住居になりました。このため生活に必要な施設が城内に全て揃えられました。
しかしこの場合農耕地は、城壁の外にある場合が多いのです。

ただし、規模によってはどちらか一方を欠く城塞も存在しました。

何故城を攻めるのか

・軍事的観点からの要衝の確保
交通の要衝など軍事的に重要な地点を確保すれば、その後、会戦をするのも持久戦に持ち込むにも有利になります。
しかし、城壁などを修復不能なまでに完全に破壊してしまえば再利用が不可能になる為、再利用できる程度にほどほどの破壊に留めるという側面もありました。
主な事例としてはアジアとヨーロッパの要衝にあたる東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)等があります。

・地域の支配
地域支配の中心である城を奪えば、その地域は自ずからそれに従うようになります。詳細は後述しますが、日本だと本城と支城に対する本城の支配を意味します。

・富や物資の略奪
主に城壁都市の場合、そこに蓄えられた財宝、食料、物資が直接的な目的となることもあります。

・君主の捕獲
中世までの戦争は君主を捕らえれば終結し、逆に捕獲できなければ抵抗がいつまでも続くことが多いです。野戦では逃げられる可能性もそれなりにありますが、城に追い込めば捕獲できる確率は一気に高くなります。

・兵を失いたくない
野戦だと相手側も含め、味方の兵もどうしても多くが戦死してしまいます。それに対し特に相手側(籠城側)を飢えさせる場合の攻城戦では城を取り囲み、食糧がつきるのを待つまで戦わなくていいため兵を失う可能性は低いです。
包囲期間を長くすればするほど籠城側は食事が取れずに弱っていくため勝利の確実性は増します。籠城側を攻める際も相手は空腹なので抵抗力が弱く、被害は最小限に抑えられます。

・時間を稼ぐ
援軍の到来や敵方の兵糧不足など、時間を経過させれば勝機が整う見込みがある場合には時間を稼ぐことが出来ます。
日本の戦国時代の城攻めにおいては、基本後詰を待つ時間稼ぎです。

・野戦での勝利が難しい
兵力不足・準備不足で野戦での勝利が見込めない場合も、籠城戦ならば兵力や準備が整えやすく、戦況を有利に持ち込みやすくなります。
包囲側の兵站が時間切れを待つ持久戦を目的として行うこともあります。

主な攻城戦術

・包囲
相手の数倍の戦力をもって、城を包囲し外界との接触を遮断します。これにより水や食料、その他の備蓄軍需物資の枯渇を図ると共に、情報を遮断することにより正確な状況判断を困難にさせ、絶望感を与え士気の低下を期待します。

下記の力攻めや水攻め、兵糧攻めも含まれます。

・力攻め
攻者三倍の法則という言葉が示す通り、戦闘において有効な攻撃を行うためには相手の三倍の兵力が必要となるという考え方があります。
何故なら、城に入るのは物凄く大変だからです。

よって、大量の兵力を搔き集める事が必用でした。
そして、主に兵力・火力による波状攻撃と攻城兵器による攻撃がメインとなります。
ヨーロッパなら並行してはしごを使って壁をよじ登ったり、破城槌で門を破壊する、衝角の利用による攻撃や、ツルハシや投石機等で城壁を崩すのが基本でした。
日本だと亀甲車で門を破壊したり、矢避け鉄砲除けの竹束、走り櫓などを活用していました。

最も早くてシンプルな戦い方ですが、反面犠牲が最も大きいのも特徴です。(後述の攻城戦術はどれも共通して時間がかかります)
ただ、時間がかからない事や、ある種真っ向から堂々と戦うことになる為、力攻めで勝つと周囲から評価を得やすいという側面もありました。

・水攻め
水の補給路を断ったり、水で交通路を破壊するのも水攻めです。
堀や石垣など、城を攻めにくくする設備がほとんど水で壊れます。火薬の類も水浸しで使えなくなります。

ただ、何分お金がかかることから大国でもないとできません。突貫工事になる関係上、人数も必要ですし、その人数を統率することも求められます。また、川がないとできません。

地理や地形上の問題から、具体的には堤防の長さによっては上手くいかないこともあります。忍城です。

忍城の水攻めが失敗したのは、周囲が湿地帯で水を吸収し本丸がダメージを受けなかったこと、堤防が大きすぎて防御に不向きで決壊しやすいことがあげられます。忍城の水攻めの堤防は28KMに渡った極めて長大なものになったからです。
逆に同じ湿地帯で水攻めに合い、水攻めが成功した事例である備中高松城の場合、堤防は3KM程でした。

・兵糧攻め
自軍が圧倒的な食料と兵力、そして士気があるのであれば、最も犠牲が少ない安全な方法です。
しかし、兵糧攻めは最悪で年単位の時間がかかります。大量の物量が必用なのでお金もかかります。特に城郭都市を攻める前に食料などを備蓄されていた場合は余計に時間がかかってしまいます。つまり、否応なく長期戦になります。
長期戦となってしまえば、逆に自軍が危うくなります。士気の維持や規律の維持が難しくなるからです。
いつ終わるかもわからない戦いが常に続いていく為、このような状態を兵士がいつまでも耐えられるとは限らないからです。

・もぐら攻め(坑道戦術)
坑道戦術は主に2つ存在します。
それは隠し通路を作るための坑道なのか、それとも城壁を破壊するための坑道なのかによって変化しました。

①隠し通路を作るための坑道
主に自軍陣地から掘り進めて、敵の都市下近くまで掘り進めていきます。そして、都市の内部まで坑道を貫通させれば、坑道経由で味方の兵力を都市内部に展開できるようになります。

これは自軍兵力を都市内部に展開できる反面、見つかったら敵に坑道を埋められてしまう問題点もありました。

②城壁を破壊するための坑道掘り戦術
中世ヨーロッパの攻城戦で最も多く使われる戦術です。敵の城壁真下まで坑道を掘った上で、坑道内に藁などを詰めて燃やし、坑道を支える木材を一気に燃やします。このことによって坑道の上にある城壁が一気にバランスを失い崩れることとなります。

問題点は、坑道を掘る最中はうるさいことが多かったのです。
そのため、作業音を誤魔化すために太鼓を叩いたり、敵軍に向かって挑発する言葉を叫んだり、太鼓など騒音を起こしたりといった行動がとられました。
また、坑道から土を敵軍に知られずに運ぶことができたのは夜だけであるため、坑道掘りは時間がかかる戦術でもありました。
また、見つかりやすいという問題もありました。

これは脱出しようとする場面ですが、考え方の原理は大体同じ。

・調略
要は内部工作や買収ですね。裏切り者を事前に都市内部へ侵入させることで都市内部から様々な工作を行い、外にいる自軍に有利な状況と作り出すのも一つです。

守城側の城の明け渡しを条件に、命の補償など寛大な処置を行うことを約束した上で降伏を催促すれば、お互いに兵の消耗を抑えたり、時間を取られるなんてことにはならずに済みます。

日本の主な籠城戦術

主に本城と支城があります。支城は主に家臣が詰めています。支城を落とす→本城を落とすという順番になります。
そして、支城ネットワークを生かした連携や情報収集、後詰めによる援軍が基本です。つまり、いかに後詰めに対処するかが鍵となります。

籠城側は援軍を待つための時間稼ぎをどうするかが大事になって来るのです。

また、ヨーロッパと比べると比較的期間が短いため短期決戦よりでした。
例えば、長期にわたる籠城戦のイメージがある豊臣秀吉の小田原征伐ですら、3か月程度だったのです。

ヨーロッパの主な籠城戦術

城郭都市が多い為、籠城による長期戦が主です。敵の坑道戦術に対して、対抗坑道を作り、音などから相手の位置を推測し掘り進めます。敵の坑道を見つけたら、そこに熱した硫黄や水を流し込んで撃退していました。

中世までは籠城側の防御力に攻撃力が追い付いていない時代の為、長期戦で耐えしのぎ、相手の軍隊維持のコストを嵩ませて相手に早期に戦を終わらせたいと思わせ、停戦交渉で相手の譲歩を引き出すことに繋がったのです。
また、戦いが長引けば、攻め手が本拠地を留守にしている隙を突き、第三勢力の侵入が起き撤退することもありました。
つまり守りを固めていれば時間切れで相手が負けになることも多々あったのです。

城壁を破壊する大砲の登場以降は、大砲対策で五稜郭で有名な星形の要塞といったユニークなものも生まれています。

ヨーロッパの籠城戦はとにかく長期戦になりやすいです。例えば、ジャンヌダルクでもお馴染みの百年戦争中のオルレアン包囲戦は、7ヶ月も続いています。

また、同じく百年戦争中のカレー包囲戦は11ヶ月にも及びます。

NRCの籠城適正

とても高いです。島の端の、それも崖の上にあることからも周囲を一望できますし、立地だけ見ると物凄く山城的です。
それこそ、当初の想定に山城に立て籠もってゲリラ戦を展開する、 という防御方法があったんじゃないかというくらい。
山城のデメリットは孤立しやすいこと。故に一旦孤立するといずれ食料と水が枯渇するという弱点の克服で、「自給自足」を可能としています。(詳細は前提参照)

NRCの立地

周囲は海に囲まれており、港が遠いです。崖の上にある為、曲がりくねった上り坂を登らねばなりません。空でも飛ばない限り攻城ルートも一本道の為、攻城兵器の運搬がしにくい地形です。
まさしく、守りやすく攻めにくい立地

また、空からの攻撃にもNRCには魔法結界なるものがあります。
魔法士の学校であるNRCで「飛行術」のカリキュラムがある以上、空からの魔法士による攻撃で爆撃まがいの事をされるのは当然想定できます。
よって結界の存在からその為の防護システムも最低限兼ね備えていることがわかります。

本編6章では、現代の技術の粋を集めた事例だろうステュークスのような特殊兵に突破されていますが、NRC設立当時は元の結界の強度で充分だったんじゃないかなあ。それこそ突破される前に相手の魔力が尽きる持久戦狙いの一環というか。

また、魔法の鏡の先にある空間で自給自足している為、魔法の鏡の先の寮の空間に侵入されない限り収穫前の食料を焼き払われるリスクも分散できます。
実際青田刈り(戦国時代などに使われた戦術で、敵国の青田(稲の実っていない田)を刈って相手の生産力を落とす狙いがある)は立派な戦術だからです。

本編の描写から魔法の鏡を閉じることも可能だとわかっています。つまり一時的な避難先の確保としても、食料や水の貯蔵の観点でも有用です。

籠城における課題の一つである食糧問題も、マスターシェフで調達する食材のラインナップや前提の記事を見るに、やはりある程度は可能だろうと考えられます。

300年の時を越えて近代戦で機能した熊本城

建てられたのは遥か昔でも、実戦で使われて機能した城の事例として、明治時代の西南戦争の熊本城があります。

何が凄いって当初は廃城令の対象だったのが、西南戦争をきっかけに一躍廃城を免れたことです。西南戦争前は、老朽化した櫓、多重櫓や西出丸の石垣の取り崩し、郭自体の破却をしています。つまり、天守・本丸御殿を中心とした本丸主要部のみしか残っていなかった状況でした。

西南戦争では、田原坂の戦いを含む激しい攻防が行われました。
「雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂」なんて言葉があるくらい、田原坂は西南戦争の最大の激戦区でした。
これは、高瀬(玉名)から熊本へ大砲を運ぶ唯一のルートだった為です。。薩軍は多数の塁を築き濠を巡らして、官軍を待ちました。しかも街道は丘陵の腹をえぐるように蛇行曲線を描いた凹道で、下から攻め登ろうとする官軍は前方の見通しが効かず、容易に進むことができなかったのです。実はここ田原坂も加藤清正が、熊本城の北の備えとして築いた拠点だったりします。

熊本城は司令官谷干城の指揮の下、4000人の籠城で、西郷軍14000人の攻撃に50日間耐え撃退に成功しています。
なお、この戦いでは急勾配の石垣である武者返しが大いに役立ち、西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったといいます。
加藤清正が心血を注いで築城した熊本城は、最初で最後の攻防戦でその防衛力の高さを存分に発揮することとなったのです。

加藤清正が心血注いだ熊本城の防衛機能を高める工夫は武者返し以外にもあります。
籠城に対する備えです。例えば、城内に掘られた井戸の多さが挙げられます。120カ所もの井戸が掘られました。しかも、茶臼山の地下水脈を活用したこともありいずれの井戸も深くて大きく、水量も豊富でした。

また、万が一の際に備えて、天守と御殿の3千以上の畳に食用の白芋茎を編み込むという念の入れようでした。さらには、焚き付けに使用するための雑木(榎や椋など)も、数多く植えられています。

野ばら城の籠城適正

圧倒的に不向きです。恐らく、用途そのものは居住性ありきの城館の属性が強いです。
もっというと、城下の民草を守るようにして囲むような城壁の痕跡もありません。
よって、そもそも妖精側が戦う際に別の場所に移動するならいざ知らず、わざわざ野ばら城で敵を迎え撃つメリットは本来ないのです。

野ばら城の立地

湿地帯の平野の上に鎮座しており、加えて山も遠いです。
川は遠く天然の堀として使えません。また、堤防の痕跡もありません。
また、周辺に敵の行動を察知するための井楼櫓などの痕跡もありません。

お城を取り囲む城壁すらありません。つまり、丸裸です。
加えて、お城までまっすぐ一本道の石畳があります。
これが示すのは、「橋を落とせない」ことです。つまり、籠城すらできません。

本編7章で、銀の梟とマレノアが激突したのもこの野ばら城に向かって真っすぐ続く石畳の上です。
最も、マレノアがわざわざ城から出て迎え撃とうとせずとも、まっすぐのびる整備された石畳の関係上、輸送が通常の攻城戦よりは楽そうな為、攻城兵器により城門を突破される可能性が出てきます。

籠城戦にならなかった野ばら城

ただ、本編7章で描かれた野ばら城は、銀の梟に包囲された事で思考を強制的に狭められた状態で、ヘンリク卿の挑発にマレノアが乗ったことで力攻めで落とされています。(この辺の詳細は前提参照)

力攻めとは、すなわち短期決戦です。
前述の攻者三倍の法則が示す通り、力攻めの際にはやはり「数」が必要ですが、この数の問題は諸外国が銀の梟に人員を出していることから実現されています。

力攻めで落としたことからも銀の梟や夜明けの騎士の名声はさぞかし諸外国の間で高まったことでしょう。

ここで厄介なのは、ヘンリク卿の「籠城を選んでも、決闘を選んでも、俺たちの勝利は変わらない」という発言です。本編の描写にある通り、マレノアが選んだのは結果的に「決闘」でした。
ただ、籠城を選んだ場合も、上述の通り野ばら城は籠城に向かない城の為、ヘンリク卿の発言に一定の説得力はあるのです。

マレノアを倒す為に、入念に嵌め殺しを銀の梟が仕掛けてきているので(大群で包囲し思考を籠城と打って出るかに強制的に狭める・打って出させるための度重なる挑発等)正直、マレノアの死を回避するなら挑発に乗らず卵ごと逃げる時間を稼ぐ撤退戦をするしかなかったとは思います。

まあ、撤退戦が戦の中で一番被害出るし難しいんですけどね!!

つまり野ばら城を包囲された時点で冗談抜きでどっちにしろ詰んでいる。なんてこったい。

眠れる森の美女の城とモデルのユッセ城

シャルル・ペロー版のモデルである、ユッセ城が築城された当初の用途は城塞でした。つまり、軍事施設です。
しかし、時代が下るにつれて現代のユッセ城が建造され、その実態は軍事施設ではなく宮殿となっています。

ユッセ城はディズニーの眠れる森の美女に登場する城のモデルでもあります。
ただし、ディズニーの眠れる森の美女の城が全く軍事施設としての機能を度外視した実態が宮殿に過ぎない代物かというと、それがそうでもないのです。
例えば、ディズニーランドパリのお城は眠れる森の美女モチーフですが、野ばら城とは違って、ちゃんと周囲は水のお堀に囲まれていたりします。


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