【ツイステ考察】産業革命期の児童教育から考える、スカリー・J・グレイブスが現世に未練が無い理由の一考
この文章は、2024/10/06に悪夢イベ1章で出た情報を基に書いたものとなります。
まず、大前提としてスカリーは「マジカルペンを知らないこと」からも監督生他ネームドキャラは異なる年代を生きたキャラクターであり、その年代はハロウィンがツイステ世界に普及する前と読めます。
前提①年代推測
(1)先駆者による年代推測
まず、ハロウィンや、ナイトメアー・ビフォア・クリスマスの元ネタに当たる作品「クリスマスのまえのばん」から19C(約200年前)ではないかという言及があります。
加えて魔法石に関する情報からも過去の人物である可能性が高いという推測も先駆者によりなされています。
(2)産業革命と魔法元年
さて、上記の年代推測を受けて現実世界における19Cに目を向けると、ディズニーの本国であるアメリカがイギリスに続いて工業化を推し進めた時代でもありました。
この工業化の観点での歴史的なキーワードが産業革命です。
産業革命とは、18Cから19Cにかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それに伴う社会構造の変革を指します。エネルギー源は木炭から石炭へと変化した事で、石炭業は急速に成長していきました。
さて、ツイステ作中では「魔法元年」という言葉が登場します。
魔法元年とは世紀の発見である魔法石がドワーフ鉱山で宝石の採掘中に発見された年であり、魔法石の発見から魔法エネルギーは広く知られるようになった、とあります。
こちらの世界でエネルギー源が石炭に変化したのが産業革命ならば、つまりツイステ世界におけるエネルギー革命でエネルギー源が魔法石に変化したのが、魔法元年と考えられそうです。
NRC生達のマジカルペンの魔法石が「全員揃い」である事は、後述する産業革命期の児童教育を考えると色々示唆的であるといえるでしょう。
前提②1章時点の作中のスカリーの描写
(1)外見的特徴
すきっ歯、枯れたしわしわの唇、細身
(2)魔法石に対する反応
1-7では以下のような描写があります。
上述の通りNRC生の魔法石についての反応から、逆算すると彼の持つ・あるいは学校から与えられた魔法石の質は生徒によってムラがあると考えるのが自然でしょう。
また(1)の外見から考える栄養状況から、裏を返せば食事に困ることがない富裕層とはいささか考えにくい為、学業に必要な質の良い魔法石の入手に苦労しているとも考えられます。
(3)現世への執着の無さ
まず、子供(学生)が生きる世界として大きな比重を占めるだろう学校についても1-7で以下のような描写があります。
早々に話題を打ち切ろうとしていること、学校という場所が好きでないことからも、学校への愛着やあるいは学校という居場所への執着が全く伺えません。
加えて、1-11ではツイステッドワンダーランドに帰る方法を探そうとするNRC生とは対象的に、本により転移した事を僥倖と捉えていることからも元の世界への未練が無いように見えます。
ここで考える上でヒントとしたいのが、現実世界の産業革命期の児童教育です。
産業革命期の児童教育について
(1)学校教育と識字率
日本の場合
さて、明治期の日本の識字率は全国平均で男子が50〜60%、女子が30%程でした。これが学制(1872年)や教育令(1879年)の交付により公的な義務教育制度が整備されていき高い識字率へと繋がっていきます。
更に時代を遡ると、江戸時代の識字率は定かではありません。
ただ、階層間、職業間、男女間でも大きな格差があったのは大前提とはなりますが、統治機構の構造、商業や通信の発達、文化や娯楽活動の普及などから、当時の読み書き能力普及範囲と程度を推測させうる資料は広く見られます。
①政治的統制の必要から公布されたもの
諸法度・お触書・ご高札・五人組帳前書き
②商業や取引活動に必要なもの
契約書・簿記・通信・両替
③農村の統治と経営で必要なもの
納税記録・質入れ証文・受取勘定・農書等
④庶民の娯楽
・貸本(当時のベストセラーに南総里見八犬伝や東海道中膝栗毛等)
・春画(今でいうエロ本の類だが文字量が圧倒的に多い)
・瓦版(新聞の元祖)
等上記を下支えしたのが庶民に読み書き算盤を教える寺子屋の普及です。
寺子屋は都市部のみならず、農村部でもかなりの普及が見られ、それを類推する記録として筆子塚(地域の寺子屋師匠の業績や人望を顕彰した碑)が見られます。
ロナルド・ドーアは1965年の「江戸時代の教育」という著作において、「疑う余地のないことは、1870(明治3年)における読み書きの普及率が、現代の大抵の発展途上国よりかなり高かったということである。恐らく、当時の一部のヨーロッパ諸国と較べてもひけをとらなかっただろう」と主張しています。
さて、明治政府が行なった最初の読み書き能力調査としては明治初期に文部省が行なった自署率調査があります。
この調査は、各県に対して、年齢6歳以上の住民を対象に調査を行い、「自己ノ姓名ヲ記シ得ルモノ」と「記シ得サルモノ」を男女別に報告する事を求めたものでした。最も、学校教育の早急な普及整備に忙殺されていた各県当局にあたって調査を実施した県とその期間は限られたものでした。
この調査の結果は『帝国文部省年報』に記載されていますが、資料としては問題もあり、この自署が漢字かひらがなかカタカナかは定かではないし、6歳という年齢から小学校低学年の子どもに自署能力を期待することは適切かという疑問を呈する研究者もいます。
ただ、帝国文部省年報を読むに地域差はあるが、自署率は平均して男子で50〜60%女子30%前後でした。
では産業革命期の海外はどうでしょうか。
イギリスの場合
今回は世界で最も早く産業革命を成し遂げたイギリスを例に挙げます。
自署率から識字率を類推する試みはR・S・スコフィールドが1960年代後半に自身の研究で、過去の識字率の測定で自署率を用いています。
これは西洋諸国では、古くから人々や商人や保証を意味するサインを求められ、その際に署名のできる者は自分の名前を書き、署名できない者は名前に代えて十字印をはじめとする何らかのマークを記す習慣が16Cから普及していた為です。
イギリスでは前工業化社会期に、このような機会が国民的規模で起きました。
カトリック教勢力への敵対と、国教会、国王、及び議会への忠誠とを国民に約させようとした1641年のプロテスタント宣誓では18歳以上の男性全員にペンを持つ機会を与え、1723年の審査宣誓では更に女性にまでペンを持つ機会を広げました。
更に1753年のハードウィック卿の結婚法では、一部の教徒と王族を除くすべての花嫁と花婿に、二人の証人とともに結婚登録簿にサインする事を要求しました。
最も、自署率から識字率を推定する事の問題点は上記で挙げた内容に比べて文書の保存状況や結婚法の適用を免れた人々が除外されること、対象者が20代の既婚に限定されること、下層階級出身者が排除されざるを得ない事等が指摘されています。
ただ、いずれにせよ自署率や結婚登録簿のサインに関する統計から、
・流暢に読む能力に等しく、極めて低いレベルの読む能力を有する人の数と比べた場合、それを備えた人の数はその約2/3
・書く能力との比較においては、署名能力はそれより広く普及していた
とスコフィールドは主張します。
また、R・K・ウェッブは、結婚登録簿から算定された自署率よりも、国会議事録・政府報告書・諸統計協会機関誌などに載録された証言を重視し、
・ごく初歩的な読み方を習得した人の数と、署名ができる程度の同じように低いレベルの書き方を習得した人との数の比を2対1〜3対2
と推量しています。
これらの見解は、細部こそ異なれど大筋においては当時の教育慣行との符号が見られます。当時の教育慣行に関しては後述しますが、これは日本語のひらがな・カタカナは表音文字の中でも音節文字であり、一方の英語のアルファベットは音素文字という違いがあるからです。
わかりやすく説明すると、ひらがな・カタカナは文字の羅列で大きく発音は異なりませんが、英語は単語ごとに異なる文字の羅列により、単語ごとに発音が異なるという違いがあります。
それ故の習熟難度とそれに伴う識字率は異なってしまうのです。
つまり、日本の識字率の感覚で判断しようとするとズレが発生します。
(2)産業革命期労働階級の教育
イギリスでは、1870年の初等教育法により、民衆児童を対象とする公的初等教育制度が、初めて設けられました。日本では初頭義務教育制の開設が1872年の為ほぼ同時期となります。
最も、イギリスで民衆教育が無視されてきたという訳ではありません。17C末以来、労働階級など民衆児童のための各種の教育機関が、民間の手で発達していました。
私塾学校、慈恵学校、職業学校等がそれです。ただ、これらの教育機関に加えて、産業革命により生み出された新しい経済的・社会的情勢の変化や都市への労働階級の児童を対象とする日曜学校、助教制学校、夜間学校などの初等教育機関が加わりました。
これらの学校は、それまでほとんど教育の機会に恵まれなかった児童の間に普及し、急速に発展しました。
最も、助教生学校をはじめとするこれらの週日制初等学校での教育は、日本の寺子屋教育とは異なり、読み書き算盤を同時並行的に行なった訳ではありませんでした。
まず、読み方が教えられ、次に読み方をマスターした人のみ書き方が教えられ、最後に読み書きをマスターした人のみに算術を教えられました。
一方の日曜学校では安息日遵守の主張と一体となった階級的差別観と時間の制約から読み書き算盤を全て教えるのではなく、読み方のみに限られていました。
日曜学校と近世イギリスの家族
上であげた日曜学校は、急激な経済的・社会的変化が親から子供を引き離した時代に成長し全国的に普及した学校でした。
裏を返せば、家族という関係が希薄になった時代でもあったのです。
当時のイギリスの労働者階級では、大体14歳前後から短くても7年、長ければ10年以上親元を離れて奉公に行くのが一般的でした。そして実家を離れて住み込み先の子供のようなものとして扱われました。相続権こそありませんが、10年程住み込んでいると実の家族との結びつきは希薄になります。
それでも奉公に出る前に父親は息子に職業技能を、母親は娘に家事を教える事が出来ましたが基礎的な識字力の伝承は可能だったにせよ印刷された言葉という非伝統的技能が伝達どきなかった時代です。
故に日曜学校の存在意義とはそのギャップを埋める為にあったこと、当時の子供達の短い就学期間と不規則な授業出席とに、こうした教育形態を重ね合わせて考えると、どうしても読む能力と書く能力とが乖離してしまい、その中間に署名能力が位置していたようでした。
一方で、日曜学校は読み方だけではなく、「怠惰、わがまま、不品行、不潔、神への冒涜、無法」に代わって「仕事熱心、秩序、従順、清潔、キリスト教倫理の浸透」といった宗教的・道徳的訓育を目標としたものという側面がありました。つまり、労働を妨げず、貧しい人々に教育の機会を与え、教会へ行く習慣と暇な時間を道徳的に過ごす習慣を早いうちから身につけさせること、貧民の道徳を高め、彼らに上の者に丁重な態度をとる事を教え込むことも意図されていたのです。
これは、この時代の教育には教育による社会統制的機能の重視という傾向があった事を指し示しています。
上記を踏まえたスカリー・J・グレイブスが陥った状況の推測
さて、上記を踏まえてスカリーに目を向けます。
1-5の描写にもある通り、スカリーは「吾輩だけが一人ぼっちのようだ……ここでも」と発言をしており、本の世界に来る前から孤独感を感じていたようです。
加えて、1-7でも孤独感を感じさせる発言があります。
そして1-9ハロウィンについて「知っている」というNRC生の反応に驚きを見せていました。
更に、1-10よりハロウィンだけでなくスカリーが崇拝してやまないジャック・スケリントンに対する認知は彼の故郷の村に留まっており、学校では理解を得られなかったことがわかります。
ハロウィンがある10月という時期は入学から一か月です。その一か月で学校を含む現世への執着が無いことの根幹には、
ハロウィンやジャック・スケリントンへの理解者がいないこと、
学校の授業内容についていけずちんぷんかんぷんで孤独で苦痛な時間・空間が続く日常であること
に起因するのではないでしょうか?
産業革命期の教育は、現代的な「勉強を受ける機会が平等」で「均質な勉学に必要な道具が配布」されるシステマチックな教育とは異なったものでした。そして、上述の通り読み書き算盤がそもそも不十分で、まず読みだけが優先される教育です。
彼は、レオナ・キングスカラーがいなかったラギー・ブッチやクルーウェルがいなかったデュース・スペードなのではないかと仮定します。
つまり、彼らと対比して学校という新しい環境で勉強についていくためのサポートがなかった生徒が今回のスカリーではないかという仮定です。
加えて、産業革命期とは血のつながった家族との関係が希薄になりやすい時代です。家族にも頼りづらく、入学後の居場所のなさによる孤独感が強まらざるを得ない環境だったのではないかと推測します。
であれば、ジャック・スケリントンへの強い執着や現世への未練の無さも説明が付きそうな気がしています。
よってスカリーが現世に未練が無い理由をまとめると以下の3点になると推測することで結びとさせていただきます。
・スカリーは、見た目だけではなく内面的にも19Cの影響が強そうなこと
・魔法石の質のせいだけではなく学校の勉強について行けて無さそうなこと
・家族との関係も希薄そうなこと
【2024/10/9追記】
普段はこちらで呟いています
@Y0sugarA_other