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【ツイステ考察】本編7章のデュースの夢から考える80~90年代の日本の不良文化

本編7章Chapter12のデュースの夢面白かったですね。
ただ、一見序盤からいきなり登場するモブのとっても世紀末な姿から、1980年代の名作漫画「北斗の拳」のモヒカン雑魚をパロディしただけに見えます。

北斗の拳より引用

ところが、デュースの不良描写自体が元々創作表現上の不良文化のオマージュが強い為、夢をよくよく読み進めると主に80~90年代の日本の不良文化やヤンキー漫画へのオマージュが練りこまれていることが読み取れて面白いのです。

また、ラビフェスエペルPSより、ツイステ世界にも不良文化があることはわかっています。
後述するラビフェスエペルPS内容を見るに、不良文化を愛好するエペルが語る不良文化は、概ね80~90年代の日本の不良文化がモデルといってもよさそうな内容でした。

今回は、デュースの夢の内容を中心に、ツイステ世界の不良文化の大元のモデルとして想定している80~90年代の日本の不良文化や、デュースの不良度合いを考えていきたいと思います。

注意:不良行為に代表される犯罪行為を賛美する目的はありません。
また、日本の法律では暴力行為や暴走行為(共同危険行為)、決闘行為は犯罪です。


日本の不良呼称区分

不良は時代により呼称やファッションや形態が変化していきます。

バンカラ

明治期に、ハイカラに対するアンチテーゼとして粗野や野蛮を主張するスタイルとして創出されました。
このスタイルは、少年ジャンプの「男一匹ガキ大将」等に代表される少年漫画の影響により、

1960年代の少年ジャンプの名作
男気のあるガキ大将・戸川万吉がケンカを通じて次々に子分を増やしていき、ついには日本中の不良を従える総番にまで登りつめ日本を動かす男となる物語

後に番長の意味に解釈され、「蛮」に対して「番」を用いた「番カラ」とされている場合もあります。

Wikipediaより引用

ツッパリ/スケバン

1970年代には、明治期に生まれたハイカラへのアンチテーゼとして生まれたバンカラに類似した服装をしたツッパリやヤンキーと呼ばれる不良少年が登場します。尚、不良少女はスケバン(女番、スケ番)と呼びます。
しかし、バンカラ本来の外見より内面を重視する思想は、不良少年たちがファッションで派手さを追求するようになり失われます。
ツッパリは、シンナーや覚醒剤の乱用事件や、喧嘩から発展した暴力事件を引き起こします。また、暴走族の流行とも呼応して特攻服などのツッパリファッションを生みました。

ヤンキー

1980年代中頃から1990年代初頭にかけて、不良少年少女全般を指してヤンキーと呼びました。なお、関西では1975年には既にヤンキーと呼ばれています。

当時のヤンキーの男性は、リーゼントヘア、制服では、「短ラン」「長ラン」など標準とは異なる丈の学生服や、「ドカン」「ボンタン」などの幅の広いズボンを着込むとともに、ぺちゃんこに潰した学生鞄を持ち、派手な色柄でオープンカラーのカッターシャツを好みました。靴は、派手なヘップサンダルや突っ掛け/便所サンダルもしくはビーチサンダルや雪駄などを好んで履くのが特徴的です。
ヤンキーの女性は、1970年代のスケバン時代からの傾向ではありますが、制服・私服を問わずロングスカートを好み、私服ではロング丈のタイトスカート、略して「ロンタイ」の流行が特徴的です。また、男性同様ぺちゃんこに潰した学生鞄を持っていました。

チーマー・カラーギャング

1980年代半ば以降の大都市においては、厳しい上下関係を嫌う者たちが、暴走族から、アメリカのストリートギャングを真似た「カラーギャング」や「チーマー」と呼ばれる集団へ流れる傾向が見られました。

特にチーマーは、ファッションもアメカジ=渋カジの流行の中だった為ストリートファッションを好むものが多く、ロン毛でヘアバンドをするのがトレンドでした。
カラーギャングは、チーマーからの派生です。日本のカラーギャングは各々のチームカラーを持ち、その構成員はチームカラーのバンダナや服、お揃いTシャツを着用していました。

暴走族

概ねツッパリ・スケバン期~チーマー・カラーギャング期まで幅広く重なります。
後述する走り屋と異なり、速く走ることよりも徒党を組んだり、目立つことを優先したり、喧嘩や縄張り意識に重きを置いた集団です。

1970年代になると、オートバイは低価格化とともに広く一般へも普及した為、不良少年達に浸透していきます。
不良少年達はやがて、暴力団などの反社会的勢力とも繋がり、暴行・恐喝事件を起こす傾向が強くなります。その為、一般市民への暴力事件や、グループ同士の抗争事件が社会問題として取り上げられるようになりました。
著名な抗争事件としては、東京・神奈川の暴走族計600人が衝突した鎌倉の七里ヶ浜事件、極悪とCRS連合という暴走族チームが衝突した大井ふ頭事件等があります。
やがて暴走族の呼び名が広まり警察当局もこの名称を公文書に用いるようになります。

東日本では、1972年ごろからグループ化が始まり、東京卍リベンジャーズの作中に登場する東京卍会のモデルともなった「関東連合」に代表される連合体を結成する動きも見られました

1975年になると、包丁、火炎瓶、ヌンチャク、角材や木刀などで武装するグループも現れます。グループ同士の対立の増加は、結果として「自衛を目的とした連合の結成」を促すこととなります。
大組織の台頭は小組織の小競り合いを減らした一方で、抗争の規模が肥大化します。その為、グループ同士の争いのみならず、暴徒化した一般の群衆を巻き込んだ暴動にまで発展することもありました。

この時代になると、暴走族は社会の安全を脅かす存在へと見方が変っていきます。
例えば、1978年の道路交通法改正がそうです。この法改正により「共同危険行為等禁止規定」が新設されています。

1980年前後に暴走族は最盛期を迎えます
後述するロックバンドの横浜銀蝿の登場や、ツッパリファッションを子猫に着せた「なめ猫グッズ」が発売されたのもこの時期です。

しかし暴走族文化の拡大とともに、暴走族は次第とOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持つようになります。
加えて、グループ内の制約遵守や規律を守らない構成員に対する制裁などの掟に、構成員はがんじがらめとなっていきます。
若者を取り巻く環境の変化に伴って、この暴走族的な厳しい伝統的拘束を嫌う傾向が青少年層に強く見られるようになります。

また、少子化による若者人口そのものの減少に加え、地縁で結ばれた先輩後輩関係の強力なリーダーシップの希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響も受け、大きな責任を背負って主従関係を維持し、組織を編成・運営していくスタイルは成り立ちにくくなっています。
また、厳しい規律を嫌い、上述のチーマーカラーギャングへと流れていく層が発生しました。

【番外編】走り屋

厳密に不良の呼称ではないのですが、カミナリ族や暴走族からの派生である事、やってること自体は不法行為には変わりのない事から記載します。

日本において公道レースを行う者は、1960年代まではカミナリ族と呼ばれたましたが、1970年代以降暴走族として扱われるようになります。
この頃からグループごとに特徴が表れ、暴力行為で制圧しようとするグループと、運転技術で勝負しようとするグループに大別されます。
後者が「街道レーサー」と呼ばれ、後に「走り屋」へと呼称が変遷していくのです。ただし、それでも喧嘩はあります。

公道をレース場のようにして1人、あるいは集団で暴走行為を行います。
集団で暴走行為を行う場合は、実際に公式な競技に参加していなくとも「チーム」を自称することもあります。
見物人(ギャラリー)が集まって行われる「レース」の種別は多岐にわたりますが、レース競技を模しているものの合法性に欠ける行為です。よって、あくまでも非公式な「集まり」として展開されます。

ドリフトキング土屋圭市や織戸学など、走り屋として腕を磨きプロにまで上り詰めたレーシングドライバーやバイクレーサーも存在します。

80~90年代の不良文化

大前提の特徴として、物事の解決は気合で行うなどといった事があります。その為には体罰などといった事柄も積極的に行っていくということが起きます。
加えて、集団で物事を行い、自身の家族や仲間などといった人間を大切にするといった側面も存在します。

漢字変換カルチャー

不良的な漢字変換は、愛羅武勇(アイラブユー)や夜露死苦(ヨロシク)等の当て字が著名です。

この漢字変換カルチャーのルーツは、一説によると80年代の神奈川県の横須賀の暴走族にたどり着きます。
当時、横須賀周辺には外国人の金髪の不良がたくさんいました。その多くは横須賀の米軍基地に配属されていた米兵の子どもです。そのなかには暴走族をやる人も少なくなかったようで、彼らは自分たちの使っている英語を漢字に当て込んで遊んでいたようでした。

また、これには喧嘩の効率化の側面もありました。
1980年代は暴走族同士の対立も珍しくない時代です。神奈川の暴走族と東京の暴走族は頻繁に抗争を繰り返していました。驚くことに、喧嘩に参加している暴走族も100人の規模で、まさに“抗争”と呼べるものでした。そんな大人数で一気に喧嘩をすると、興奮状態の中で敵も味方も区別がつかず、気がついたら味方を殴っていたなんてことも起きうる訳です。
神奈川と対立している当時の東京の暴走族のチーム名は英語のところが多かった為、神奈川のチームでは、英語のチーム名でも漢字変換して特攻服に刺繍し、敵と味方を区別しやすくしたという説もあります。

要は、神奈川のチームからすれば「特攻服の背中に英語のチーム名が書いてあれば敵なので、すぐに殴っていい」という理屈だったようです。

そして、この局地的な漢字変換カルチャーを全国的に流行させたのが、ロックバンドの横浜銀蠅(正式名称:THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL)です。

横浜銀蠅のメンバーはポンパドールの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカンというズボンといった独特の服装しています。

横浜銀蝿全曲集~ツッパリHigh School Rock'n Roll~ T.C.R.横浜銀蝿R.S. / 最新アーティスト全曲集より引用

これは「ツッパリ」や「暴走族」といった1980年代当時の不良文化の影響が大きいファッションです。
1980年代前半には一気に若者の人気を獲得しています。その独特な存在からデビュー以来、幅広いミュージシャン、バンドに影響を与えています。

横浜銀蠅が一つきっかけとなり、全国の暴走族が自分のチーム名を英語から漢字の表記に変換していきます。

例えば、
ブラックエンペラー→黒唯皇帝
スペクター→寿辺苦絶悪
といったように表記が変わるわけですね。

元々は『SPECTER』。CRS連合の一角

【補足】CRS連合とは、1971年に誕生した、川崎市を本拠地とした「アーリー・キャッツ」(ALLEY CAT'S)、調布市を本拠地とした「ルート20」(ROUTE20)、東京浅草を本拠地とした「スペクター」(SPECTER)、3つの暴走族の連合体。
名称はそれぞれのチーム名から一文字を取ってつなげたもの

なお、英語を使うチームを横文字と呼ぶのに対し、漢字を使うチーム名を縦文字と呼ぶこともあります。
ただ、それも横文字あっての縦文字であり、後のチームの大半が漢字を使うようになっていったため、この縦文字という呼び名も、次第に廃れていきました。

となると、恐らくデュースの夢で、寮という枠組みが暴走族のようなチームという一単位として落とし込まれて出力されているのも、なるほどと頷けるのです。

80~90年代の不良のファンタジー化

日本の1980~1990年代とは、時代でいえば70年代と比べれば少年犯罪は減少傾向にありましたし、暴走族もどんどん解散していった時期でもあります。
だからこそ、暴走族の世界が身近なものではなくて、ある種のファンタジーとして楽しめるようになったからこその不良漫画ブームという側面もあります。

80~90年代の主な不良漫画

ヤンキーマンガに型ができるのが80年代です。
具体的には「今日から俺は!!」「ろくでなしBLUES」等で、ギャグのなかにシリアスな抗争シーンが入るフォーマットができます。

ここで描かれる不良像は基本真っ直ぐなバカだけどやるときはやる男です。

90年代では、現実世界では昔ながらの熱い不良は古臭い存在であり、絶滅危惧種になりつつあるのですが、マンガではまだまだ人気です。
つまり完全にキャラクターの属性のフォーマットとしてとして根付いたわけです。
また、ギャグにシリアスが入るというフォーマットも継続して踏襲しています。

その筆頭がクローズです。

2000年代に入って続編のWORSTに引き継がれますが、高校同士の抗争を通してひたすら男が考えるダサくてかっこいい男とはについて深堀られているのです。
またROOKIESではスポーツ、熱血教師を通して不良が更生していく様を描いています。こうした「ヤンキー更生もの」も、一定のフォーマットとして確立しごくせん等に繋がっています。

走り屋漫画「疾風伝説 特攻の拓」

疾風伝説 特攻の拓(以下 特攻の拓)は、ネットミームにもなってる「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまった」でもお馴染み、独特のルビのセンスと内容から根強いファンがいる少年マガジン黄金期の名作です。

疾風伝説 特攻の拓より引用

特攻の拓に登場するバイクは全て実在しており、年式や車名、型式、俗称だけでなく改造パーツまで現実のものが描かれていました。
そのリアルさが当時の少年マガジンの特徴で、1997年に少年ジャンプから首位を奪取した要因と言われています。
(実際、1983年から2003年まで『週刊ヤングマガジン』で連載されていたビー・バップ・ハイスクールも、不良高校生の日常風景をリアルに伝える初期の描写が当時の中高生を中心に人気を博しています。)

その中で特攻の拓は少年マガジン黄金期を語る上で欠かせない人気作となっています。特攻の拓は、作中で抗争こそ起きますが、不良系漫画にしては珍しくほとんど校内で完結しています。
特攻の拓を、暴走族漫画と括る方もいますが、この作品はヤンキー漫画の体裁をとった走り屋の物語とも読めるのです。

(尚、走り屋ジャンルエンタメの金字塔である頭文字Dは今回語る不良文化の文脈からは大きく外れる作品の為割愛してます)

よって、あのデュースの夢で描かれた内容の度合いに近しいヤンキー漫画は?と真面目に詰めたときにに浮かびあがるのが、走り屋の物語の文脈を持つ「疾風伝説 特攻の拓」なのです。

ツイステ世界における不良文化

デュースの夢の中の不良漫画文脈的描写

そもそもイデアがデュースの夢を「徒党を組んだ不良同士の抗争を描いた作品かと思いましたわ」と評しています。
評していますが、ここで終わると面白くないので、具体的にどのあたりなのかに目を向けてピックアップしていきます。

①グループ内外の明確な序列

グループ外のグループ単位の序列
ハーツラビュルというグループ内の序列が、
ハーツラビュル外にも伝わっている
グループ内の序列もはっきりしてる

②縄張りやシマという概念

③寮(チーム)という単位の枠組み

④チーム名の漢字の羅列(のイメージ)と(特攻服の刺繍に入ってそうな)キャッチコピー

⑤抗争(殴り合い)が日常茶飯事

ツイステ世界における「現実の不良」

尚ツイステ世界で、デュースの地元の時計の街は不良は存在しますが、不良漫画に見られる不良的な抗争が日常茶飯事でない事はラビフェスのエペルPSでデュースの口から語られています。

よって、デュースの夢で描写された抗争が日常茶飯事というイマジネーションの元は、デュースの実体験というよりむしろファンタジー化した不良を描いた不良漫画やドラマ、映画由来と考えた方がしっくりくるのです。

想定するデュースの不良度合い

先に結論から言います。
NRC入学前のデュースの実態は、ラビフェスデュースPSを見るに恐らく最初こそは走り屋だったのが結果的に暴走族に変容してしまったと考えられます。
暴走族時代と推測する迷惑行為は、ラビフェスデュースPSや、

スケモンのデュースPSでみられます。
特にスケモンのデュースPSでは、想定する暴走族に変容した後の、地元であちこちめちゃくちゃにして大暴れしていた実態が垣間見える過去の迷惑行為を、過去を知る知人の不良の口から明かされています。

また、ミドルスクール時代は30人くらい舎弟を従えていたらしいことから、規模感含めてやはり暴走族だと思われます。

ただ、星願デュースPSを見るに、素行が元々悪かったのは大前提として、日ごろの行いの悪さから関係ないトラブルまでデュースのせいにされそうになった事例もあります。

その為、ラビフェスで時計の街の人が語る実体験(例:工房の親方)はともかく、伝聞による不良行為に関しては誇張も一部はあると思われます。
最も、あいつならやりかねないと思われるほど迷惑行為や不良行為を積み重ねていたのが問題の根幹なのですが。

さて、走り屋から暴走族に変容した理由は推測になりますが、走り屋行為が、「容量の悪さ」に起因するミドルスクール時代の鬱屈とフィクションの不良文化に触れたことをきっかけに暴力と接続してしまった。
暴力はある種手っ取り早く結果が出るからこそ、悪い方向に流れてしまった。また、舎弟がいるということや、一緒に不法行為を実行することによる連帯感から「大釜のデュース」として不良連中から疑似的に認められた感覚に陥った。
故に道がそれてしまった、といったところと推測します。

ただ、母のディラに泣かれて不良から足を洗った後も「マジホイで走ること」そのものはやめずに残ってることから、裏を返せば元々は好きで始めただろうスタートライン自体は走り屋だったと考えられるのです。

NRC入学後の現在のデュースは族上がりの走り屋といった印象です。

走り屋と暴走族との違いは前述した通り、公道レースを運転技術で勝負しようとするか否かです。

マジカルホイール

本編5章におけるデュースの描写で、イグニハイドがカスタムしたマジカルホイールに乗りこなすのに苦労しつつも交通事故は起こしていません。
ただ、初めて乗るカスタマイズされてたくさん機能があって慣れない乗り物でも、同乗者のエペルから「すごく気持ちよかった」という感想が出る位には運転に習熟しているとも読めそうです。

マジほい

また、ラビフェスのエペルPSを見るに、改造マジホイに関する見方が(どちらもカッコいいと感じているのは大前提として)エペルとデュースで異なります。

エペルは改造マジホイに対しても、どうやら見た目から入るタイプのようです。もし自分のマジホイを持つならで、機能性や効率よりもまず見た目を優先しています。
その改造の方向性や嗜好も暴走族的です。

エペルの愛好する不良文化が暴走族的なのはこの辺りの描写からも伺えます。

80~90年代の不良の正月といえばの「日の出暴走」のイメージか?

一方のデュースが提案する手の加え方は、改造といっても機能性が落ちる改造ではなく、ファイヤーパターンの絵を描いたりステッカーを貼るなどに留まっています。

決定的なのが本編7章のケイトの夢冒頭でも、シルバーのユニーク魔法による移動に対する感想で最後に「風を味方につけて、重力を黙らせる……シルバー先輩の走り、マジで最高だったぜ!」と言っています。
つまり、評価ポイントにテクニックと「走り」というフレーズが出てきています。
これこそが、彼が暴走族というよりは本来はむしろ走り屋の方なのでは?と判断した最大の根拠の描写となります。

また、彼が走り屋系の場合、不良への解像度が生々しい方面ではなく、「ヤンキー漫画」的なある種の希釈されたファンタジーであることに筋が通るのです。
(実際の不良は即殴り合いというよりは、恐喝とカツアゲが基本です)

また、デュースの夢がヤンキー漫画的な「ファンタジーな不良」描写なのは、裏を返せばヤンキー漫画的に希釈されてないファンタジーではないえぐい不良の陰湿な現実部分は別に担っている。
それが、ケイトの夢で語られた治安最悪時代(リドルが寮長になる前)のハーツラビュル寮という対比構造と考えるとえぐい筋の通り方をするなと考えられるのです。

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