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洗濯機とケトルとカネコアヤノと

おとといは新しい冷蔵庫を買いに行った。
今フェアだかなんだかで2年間お試しだと提案されたウォーターサーバーを、店員のお兄さんの熱量とまあまあ効率は良さそうだとのポジティブ自己暗算にノって契約してみた。いい買い物をしたと自分に言い聞かせて。(実際にいい買い物だと思っている)

今日は月曜日、ひとり秋のはじめの夜に、湯船で吉本ばななの「キッチン」を読んで、おめおめと泣いて、鼻水のついた顔面を雑に洗って風呂を上がると、わりとすっきりしたのかおもむろに洗濯を始めていた。カネコアヤノの「よすが ひとりでに」をかけながら、めずらしく口ずさみもせずに無言でキッチンに向かい、昨日から溜めていた食器を洗う。

悲しいことを、悲しいままにしておきたい
とか
自分の思うことを他人に伝えたいけど、うまく言葉にできない、はがゆい、でもそれは悪いことなのか?それもありやん?(なんのアリナシなんだよ)星野源も先週のラジオで、自分の気持ちを伝えるのがずっと苦手だったって言ってた
とか

よく分からんことを考えてぐるぐるして、今なら久々に日記が書けるな、と床に座ってテーブルの引き出しから日記帳を取り出す。ケトルでお湯を沸かしてルイボスティーをいれよう。茶でも飲みながらぼんやりこの気持ちを書こう。

今夜は月曜日なのに、わりといい日だなあ。本を読んで感情でいっぱいになった風呂場から出たら、洗濯機の音とケトルのこぽこぽお湯を沸かす音とカネコアヤノがとてもよく似合う夜がきた。

ああ、来週にはウォーターサーバーが来るんだった。美味しい水も熱々のお湯もすぐに出る、効率的なやつ。そしたらしばらくケトルのこぽこぽは聴かなくなるのかなあ。残念だな。
とはいえ私は文明の利器を、効率を、時短を、日々享受するのだろう。忙しいもんね、気持ちが。
何言ってんだ、ケトルも十分文明の利器だ、どこまで人間は便利を求めるのだ、その先にしあわせはあるのか、とか私の中の誰かが言ってみたり。

でも、たまにはこういう夜も過ごそうね。たまにとはいわず、週一でも。ひとりの夜に茶をいれる時ぐらい、ゆっくりこぽこぽできたらいいなあ。

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