全日本シニア〜種目編〜
そう。この時だ。
徳洲会の最終チェックの時に感じたこの感覚。
試合はいつ始まる?
いつ始まったと自分で感じる?
朝目覚めた時?
会場に着いた時?
はたまた1種目目の演技を行う瞬間?
選手によってその場面は違うだろう。
でも僕にとっては今この瞬間、1種目目の3分アップ開始のアナウンスが流れた時に、一気に緊張の波がやってくるのだ。始まったと感じてしまうのだ。
それは徳洲会で予習済み。そのために10分前には着替えて、ひたすら深呼吸をして、はやる気持ち、焦る気持ち、不安な気持ち全てを落ち着かせた。
またスタート種目のあん馬は4番目の演技なので前に3人アップを行う。1人約30秒だから1分半の休憩がある。その間にまた自分の気持ちをコントロールする練習をやって来た。
そんなことを、考えながらアップの順番待ちをしている。
1種目目あん馬
前の演技者の大翔がアップを終えるとゆったりとした動作であん馬のそばに着く。
体操選手によってあん馬や平行棒、跳馬の幅、鉄棒のワイヤーの硬さが違ったりする。その幅を変える時間もできるだけ短縮したいのが試合をやってる時に感じることだ。特に平行棒は50秒しかないアップ時間で幅を変えるだけで時間を取られてしまう。
今回僕は大翔と同じ幅であん馬を合わせてある。
僕はもともと一番狭い幅から右のポメルを指ひとつ分広げているのだが、大翔は逆で、左のポメルを少し広げているのだ。
試合の2ヶ月前くらいに班編成がでたすぐ後に大翔と同じ方のポメルを広げる幅で合わした。
だから幅を合わせる必要がないのもあって、ひとつ考えることが減る。
試合の時のアップや演技で気をつけてることの一つは焦らないこと。
時間に制限があるからと言って急いでやるといい試しがない。
特に自分の場合は。
あん馬の前に立って3秒ほど、止まる。意識を集中させる。
このアップで押さえておきたいことは何?
意識することは?
とその時間で自問自答する。
そうすることで、地に足がついた自分の動きを出すことができる。
よし、行くぞ。
まずはbシュテクリ足が正面に来た時にちゃんと両手の支持が入ってるか、膝つま先が伸びてるか。、、、よし、いい感じ。
次にフクガ。腰を曲げないように体のラインは真っ直ぐにできてるか、、、クリア
もう一度bシュテクリ。次はポメルからサイドへ、このあん馬はいつも通りやると肩が移動しすぎるから気持ち胸を前に向ける感じで上体を起こしてポメルの上に重心を乗せにくる、、、いい感じっっ!!
ラストはウゴニアン。お尻に力を入れて、曲げない。肩は下方向に押しておく、、、、いいねっっ!!
心の中で1人答え合わせをしていく。
何回も、何十回も、何百回もやったこの流れ。いつも通り!!(何千回はやってない)
自分の選手席に戻ってイヤホンをつける。
歌詞に集中しなくて済む洋楽を流す。(曲名も思い出せないくらい適当)
タオルを頭にかける。
一番手は大学時代から仲がいい同じ97年世代筑波大学院在籍の内田隼人。
隠れ97年世代同士頑張ろうぜ!って言い合って来たライバルみたいな仲だ。
そんな隼人の演技みたいに決まってる。
でも1種目目のあん馬は誰の演技も見ないと決めている。
タオルで目の前を隠して、頭を自分の指でほぐしていく。
親指、人差し指を使っていたるところを頭皮マッサージ。耳の後ろや表情筋もほぐす。
頭皮マッサージには副交感神経を優位にさせる効果があって、顔の筋肉もその辺と密接な関係がある。
だから緊張してる人の顔は「固い、強張ってる」とかいうのだ。
だから変顔とか、笑顔とかを無理やり作って緊張を和らげるのだ。
(恥ずかしいからタオルで誰にも見られないようにしてる)
隼人が演技を終えたみたい
顔を見ただけでわかる。
成功さして帰って来たんだなと。
イヤホンはしたままでグータッチをする。それだけで俺れは通じ合える。
2番手の演技中にイメージトレーニングと腹式呼吸でリラクゼーションを行う。
3番手の大翔が始まる前くらいにあん馬の近くに行く。
イヤホンを外し、大翔のあん馬が見えない方向を向き、演技後最後のルーティンを行う。
手を後ろで組む。前屈しながら脇を開いていき肩甲骨の柔軟をする。そのまま立ち上がり次は組んだまま下に伸ばす。首の付け根から僧帽筋にかけて固まった筋肉がしっかりと伸縮性が出るのがわかる。首とつま先の骨を鳴らして、屈伸を一度行う。タンマを脇にこれでもかってほど塗りたくり、あん馬の前へ立つ。
あとは審判がGOサインを出すのを待つだけだ。
あん馬の主審判は佐々木さん。採点のことでよく話をしてくださる優しい方だ。
佐々木さん俺がいい演技したらちゃんと点数出してくれよ、。
そうメッセージを伝えるが如く、気合のこもった挨拶をする。
(まぁD1審判はEスコア関係ないんだけどね)
右手左手と肘を曲げ伸ばし、1呼吸吐き前に一歩出る。両手をあげて、水平で一度止める、そのまま手を前に持って来てポメルの上に添える。
半歩右へ移動し、右ひざを軽く緩ませてたつ。
自分の心臓の鼓動を感じる。僧帽筋に力を思いっきり入れて、息を吐くと同時にストンと肩の力を抜く。
呼吸が整ったらボーとあん馬のポメルとポメルの間を見て最初のセアひねりのイメージをするために首を右、左、右と振る。まるで横断歩道のように。
急がないと30秒間に合わないからなー。
よし、いくか。
膝つま先力入れて大きく行こう。
最初のセアひねり。1技目で緊張するところ。、、クリア。良いでき。
あとはさっきアップでやった流れをなぞるようなにして体を動かす。
シュッ、フクガで少しあん馬に擦った。
旋回の勢いは落ちてない大丈夫。
フロップポメルの上に重心をっ! やばっ!重心前にかかりすぎた、
でもなんとかしのげた。
コンバイン入れ手早く、遅れないように、
いい感じ。
ここからは下向きの連続。
ウゴニアンビビるな!!、、よし。
クロル、勢いをつけすぎないように丁寧に両手であん馬を支える。
ロシアン1080° 綺麗に行った。
問題はここからの2技。失敗する確率は後半の体力がなくなったここが一番高い。
ロス、しっかり体を動かす。いけ!!!!、下半身のバランスが若干崩れた、
しかし力でねじ込む。
ラスト、ここで落ちてたまるか!!
ロシアン1080°おり。1周、2周、やばい手が棒になりかけてる、感覚が薄れてる、死んでも手を動かせ!3周、おり。
やった!通った!しかも足開きもなしで割といい出来!
佐々木さんに「どや」って気持ちで挨拶をする。
佐々木さんもよく通したねって言ってそうな顔だった。
手をパチンと両手で鳴らし、小さくガッツポーズ。やってやった。
ポイントの1種目目を乗り越えた!
練習の感じだとここを乗り切れば波に乗れる。
つり輪、跳馬と気を抜かずに、でも張り詰めずにやる感じで、平行棒、鉄棒、ゆかとこの3種目を倒すような感じで試合を回る。
体操の試合は一つ一つの種目というより、6種目という大きな流れで一つという感じだ。
だから気を極限に張り詰めたまま6種目やり切るなんて、不可能に近い。というかできてる人を見たことがない。
だから80%で行ける種目、60%で行ける種目などといったようにペース配分もする。
僕にとってはそれがつり輪と跳馬だ。
2種目目つり輪
種目移動をして3分アップ。
試合は大体1つ目の種目を乗り越えたら、だいぶ落ち着きが出てくるもの。
あん馬の時のような不安の波に押しつぶされないように必死で自分を保つ感じではなく、客観的に自分を見れてる感じがある。
ポイントはホンマ十字。出発1週間前くらいから左肩が痛くて、つり輪の練習量を落としていた。
会場練習の時に少しだけ高い位置で入ってきたのが脳裏に焼き付いている。
少し抑え目に行ったらちょうどいいはず。
つり輪は2番目の演技者なので、3分アップは軽めに行う。疲れが残るのが一番嫌なことだ。
軽く数回スイングをして肩が滑らかに動くようにしてから倒立。体の締まり度合いを確認。輪っかからつま先が一番遠いポジションで体をピンって引っ張って力を入れる感じ。
よぉ〜し。準備はオッケー。あん馬のように集中を作り直すためにイヤホンとかしてる時間がないので体を冷やさないようにダウンを羽織りながらイメージトレーニングを行う。
ただ自分の演技の内容だけにフォーカスする。
深く、深く、入り込んでいく。自分だけの世界へ。
大翔が演技を終えておりてきた。表情からして失敗はしてないけど、まぁこんなもんか。みたいな顔だった。大翔も俺もつり輪苦手だからな笑
採点を待ってる間肩をブンブン回して、広背筋に力をちょっと入れて反応を出す。
あとはゆっくり、ただゆっくり自分の集中を高い位置に保ったまま待つだけ。
審判の合図がきた。
「はい!お願いしますっ!!」つり輪は力が入った方がうまくいきやすい。
あん馬みたいに自分の緊張度合いをコントロールする必要が薄れるのだ。
だから返事も気合を入れて大きく、凛々しく行う。一番は自分に喝を入れるために。
「しっかりやれよ。」そういう気持ちを込めて。
斜め上に手を挙げてポーズを行い、その手を水平に下ろし、視線を前から上の2本のリングへ移す。
ジャンプをしてリングを掴むと即座にリングの上まで自分の力と補助者の直樹さんの力で上がる。リングとプロテの噛み合わせのいいポジションを素早く、的確に探す。
ここだって思ったポジションで小指からギュッ!って握ったら滑らないようにがっちり固めておく。決して脱力はしないで、倒立の意識とは真逆の体を小さく、小さくする意識でそっと下ろす。まるで硬いゴムを引っ張ってるような反発力を自分の体で感じながら下ろす。
試合1ヶ月ほど前から直樹さんと何回も何回も合わせてきた登り方だ。
試合は1人でやってるように見えるが、実際は違う。
信頼できるパートナーがいなければ、自分の持ってる力を十分に発揮できないのだ。
最初の技はアザリアン。去年のシニア大会で力が入らなくて技を認定してもらえなかったという苦い思い出のある技である。
今回は大丈夫。あれだけトレーニングをやってきたんだ。力が入らないなんてことあるわけがない。体が逆さまに向き、力を入れながらテコの原理を利用して下半身と上半身のポジションを入れ替え、輪と水平の位置で2秒とまる。
いい感じに力が入ってる。
問題はここ。ジョナサン〜ヤマワキ〜ホンマ十字懸垂。少しだけ抑えていく。
ケーブルがピンっと張った状態で輪から足先まで力が伝わりながら技を仕掛ける。
ジョナサンのようなスイング系は結構得意な方だ。
しかし、今回ヤマワキの時に嫌な感じがした。
慎重にいこういこうとして回転力が少しだけいつもより弱かった。
嫌な感じはそのあとのホンマ十字にしわ寄せがきた。
やばい、やばいっ!
上がりすぎないように注意を払ったのだが、勢いを少し殺しすぎていつもより低く入ってきてしまった。
十字懸垂は手首を巻いて力を入れるのだが、それをする空間がない。
こんなの0コンマ何秒の話だ。考えて動いてるというよりも、体が勝手に動いていた。
手首を巻かずに無理やり止めていた
練習でも滅多にやらないことだったがとっさに行っていた。
しかし演技とは10技で一つの演技なのだ。
それを痛感させられることになった。
そのあとの振り上がり倒立で肘を曲げてしまった。
普段なら出ないようなミスだ。
「あぁ、やっちまった。早くおりたい。」
そんな気持ちが頭の中を占拠していた。
集中が「今ここ」ではなく、2秒前ほどの細かいミスに気を取られた。
それがラストの伸身サルトの着地で前に一歩動いてしまうという結果を招いた。
いつも止まらなくていいから、後ろに一歩にしようと意識していたのにこの時は意識が薄れていたのを終わってから感じた。
たった1週間。肩の痛みで練習の量を少し落としたしわ寄せがここにきてしまった。これがいつも通りやることの難しさか。
ただでさえあまり失敗ができないギリギリなラインにいるはずだけど、これでもう後がなくなってしまった。
もう失敗できない。
3種目目 跳馬
跳馬はもう6年間使い続けているユルチェンコ2回ひねりだ。
最初の頃は生きるか死ぬかという覚悟でやっていたが、ここ何年かは特に心配もなくできるようになってきた。
またこの6年間でたくさんの試合で飛んできたが、ユルチェンコで失敗したことはたった一度もないのだ。
得意ではないが、自分の中では心配もない。そんな種目が跳馬である。
しかし、さっきのつり輪のせいでいつものような気楽な気持ちでは飛べなくなっていた。
前の種目は関係ない。
そうなのだが、いつもなら許せるような一歩も今は簡単には出せない。
最低でも後ろに小さく一歩。欲を言えば止めたい。
欲を出すとろくなことがねえ。
だからあくまでいつも通り。いい跳躍をして、止まればラッキー。
それくらいでいく。
跳馬は一番目に演技する。3分アップの最初の10秒くらいで準備を終わらし、あとは演技開始の合図を待つ。
早くやってしまいたいという気持ちともうちょっと待ってという気持ちが交差する。
審判の合図があり、手を挙げる。
冷静に。自分の気持ちを落ち着かせる。
25mまで使える助走路。左足のつま先が23m30cmに、右足を一歩後ろに引いて25mにかかとが来るように。
一歩一歩しっかりと地面を掴むように、押すように走り出す。
トンットンットンと軽くなるよなイメージで足を前に進める。
助走、ホップ、ロンダード、着手。
全てが自分の理想通り。
手をついてひねりをかけた瞬間になんとなくわかった。
あ、これ止まる
バチッッンっっっっ!
完璧な着地だった。
キタコレ!と思った。
審判にやってやったぞ!って気持ちで挨拶をし、選手席に戻る途中で宮地さんにグータッチ。
これで少しはつり輪のマイナスを返せるといいな。
跳馬のターゲットスコアはEスコア8.8の13.6。
着地止めたし、9.0〜9.2は欲しい。
そう思い、つい、跳馬の自分の得点を見てしまった。
「8.966」
ちょっと辛いな。まぁいいか。
そう思い他の選手の跳躍と点数を見ていた。
しかし、隼人のヨー2は横に一歩、ライン減点があってE9.133
大翔の後ろに少しよろめいたアカピアンでE8.7
いやおかしいだろ!
こっちは完璧に着地とめてそんだけなのに、どうなってんだよ!
ユルチェンコは入りの足われの減点がない分Eスコアは残りやすい傾向にある。
それなのにこれだ。
体操競技をしているとよくあることだ。
今回は多分着地や、空中姿勢よりも、高さや距離での減点配分が大きかったんだと思う。
ちっ。困難だったら見なきゃよかった。
4種目目 平行棒
ここで一回気持ちを全てリセットする。
3種目目の跳馬までは波を作りながら3つまとめて一つって感覚でやってくるのだが、ここからの3種目は1回1回気持ちをフラットに戻してから対決するようなイメージだ。
平行棒は前日にオーダー変更があり、一番手から最後に変更になった。
ずっと一番目の演技者の想定で練習してきたのもあってちょっと残念だったが、仕方ない。
たったの50秒でアップを全て完結させなければならない。
1秒でも早く飛びつきたい、平行棒はそういう思いでやる人も多いだろう。
しかし、僕は焦ってアップをやってよかった試しがないので、気持ちにゆとりを持って行う。
みんなよりもDスコアが低い分確認する技も少ないのだ。
他の選手の演技が始まる。長い待ち時間を経てやっと自分の出番が回ってきそうだ。
大翔が演技を行なっている間に雑巾に塩水を染み込ませる。
演技前の1分間でバーの幅を変え、ロイター版を用意し、平行棒を湿らせ、タンマをつけて、気持ちの整理をつける。ここまでが準備だ。
僕の場合はこの時に蜂蜜を使ってしまうとバーが湿りすぎて、タンマをつけるのに時間がかかって1分間をオーバーしてしまう。だから塩水だけにしてる。
大翔が演技を終え満足そうな顔で降りてきた。
さぁ1分間でテキパキと準備する。
最初にバーに塩水を軽く塗る。その間に直樹さんがロイター版を準備してくれる。
両手で塩水をバーになじませてる間に直樹さんが幅を合わせてくれる、
タンマを塗るタイミングで直樹さんがタンマケースを僕に差し出してくれる。
せわしなく、次々と準備を進める。
阿吽の呼吸で準備を進める。
見ていなくても今直樹さんが何をしているのか、どこにいるのかがわかる。
ここにタンマが欲しいと思った時にちょうどそこにある。
僕のリズムをわかってくれてるサポーターがいてくれてほんとよかった。
バーも仕上がってきた。ちょっと湿ってるくらいの平行棒が僕は好みだ。これは選手によって大きく異なる。
全ての準備を終えるのに40秒。残りの20秒を気持ちを落ち着かせるために使う。
スー、ハー、っと深呼吸を行う。
鞍馬の時ほど緊張していない。
これ以上失敗したらやばい。
でも気持ちはフラットだ。
人生がかかってるなんて感覚は少しもない。
審判からの合図で演技を始める。
合図から30秒で平行棒の演技を開始しなければならないから、手をあげたらすぐにロイターに乗る。ポーズをする前に平行棒についた余分なタンマを両手で擦りながら一度払って、ポーズをし、深くしっかりと平行棒をにぎる。
米田監督や村田先生、準平さんなどたくさんの人に棒下や車輪の時に深く握ると滑るから深く握らない方がいいと言われてきた。
しかし、それで練習したのだが、あまりうまくできなかった。
試合まで時間がないのもあり、「俺流でいいや」と吹っ切って深く握るスタイルでこの試合を迎えた。
ポイントは最初の棒下。
ロイターを強く勢いよく蹴り出し、後ろにジャンプする。ブランコの後ろから前に行く時の感じを5倍にしたような遠心力を感じて一気に倒立に上げる。
上げに行くタイミングもバッチリ。
棒下カットも難なくクリア。
次のホンマで腰を伸ばして実施を行いたい。
アームから前宙をしてバーを持つ。
(ちっ!)
回転が少し足りなかった。ちょっと、ほんの少しだけ重心が低い位置で受けてしまった。そのせいでスイング倒立を上げるときに真っ直ぐではなく、ほんの少し腰が湾曲する形になった。s
まぁいい。こういうことも練習でよくあった。
後しっかりやれば特に問題ない。
ホンマの後はヒーリーなのだが、その時に軸の方の手首が少し落ちているので、小さく握り返す。
試合で一度も失敗したことがないヒーリーもバッチリ決める。
植松さんによく注意しとけよと言われたツイスト。
いつも倒立のポジション、スイングの振り方、頭に強くイメージしながら行っていた技。だが、、
何も考えないで、そのまま行ってしまった。
気づいた時にはもう遅かった。
スイングが振り切れずに勢いが足りない。
やばいいい!
つり輪のホンマ十字懸垂の時と同じ危険信号が全身に駆け巡る。
ツイストは倒立にはまらなかったけど、そのまま次のディアミドフを無理矢理やった。
いつも通りじゃない、そんなスイング、なんとなくの感覚でこの辺だ!そう思い、心の中では「頼む!!」と思いながらやった。
結果はディアミドフで見事倒立に修正できて九死一生を得た。
しかし、心の中では
「あーやっちまった。」
そんな感情がほんの少し、モヤっと芽生えた。
その後の通称バクダンを成功さして、前ふり倒立を行う。
(あれっ、、)
ただのスイング倒立。
何回も毎日毎日行ってきた、基礎中の基礎。A難度。
そのスイング倒立で前に一歩動いてしまった。
一瞬お腹がペコって力が抜けた。さっきの小さなモヤっとした雑念が、今の自分の感覚を狂わせた。
その後のことは正直あまり覚えていない。
これ以上ミスを重ねてはいけないと、Dツイスト、横入り、おり。と無難に乗り越えた。
うわー、やっちゃったなー。
得点を見る。
D5.5 E7.5 total 13.0
平行棒のターゲットスコアは13.7。
これは結構痛い。
選手席に戻り、自分の点数を計算し直す。
普通に自分の実力を出せれば合計82.5〜83くらい。
つり輪がいつもより出ないとから普通にやれば81.5〜82くらい。
シニアでの目標点数は82点を下回らないようにすること。
平行棒のことを考えると、鉄棒、ゆかをいつも通り演技しても81点にちょっと届かないくらい。
(あー、もうきついかな)
(あと2つで終わりかな)
そんな絶望にも似た感情がじっとりと自分を支配していくのを感じる。
そんな僕の心情などお構いなしに試合は淡々と進んでいく。
まるであなたのことなんてどうでもいいんだよ、置いていくよとでも言われたみたいだ。
平行棒が最終演技者ですぐに移動なんて分かっていたのに、自分の気持ち1つで見える世界は全く違うように見える。
目の前のことが全部どうでもよくなるような、世界から色素が薄れていくような、そんな気がした。
後2種目、、満足して終われるようにしようかな、
そんな気持ちで種目移動していた。
試合前に意識していた、前後際断の今ここに集中するって考えはどこに行ったのだろうかというほど、過去のことや未来のことが一瞬で頭の中をかけめぐっった。
プロテクターも準備する時間もなく、鉄棒の整列のアナウンスがかかる。
(もうちょっと待ってくれてもいいじゃねか!優しくねぇなー!)
いくら心の中で悪態をついたところで現状は何も変わらない。
一矢さんがそんな僕を見て「アップ先に行こうか?」と気遣ってくれる。
めっちゃ助かる。お願いします!!
試合で余裕がないのは一緒なのに、そうやってあんたはいつも回りの気配りを欠かさない。
優しすぎる。でも、もっと自分をたくさん優先して、わがままになってもいいんですよって思う。
アップを終えて選手席に戻る。
ふと思う。
本当にここで終わっていいのか?
俺はここで終わるような人間か?
諦めてしまうのが俺らしいのか?
というか俺ならこれくらいの逆境跳ね返せるよな?
だってパリに向けて黙々とあの体育館で練習してる自分がありありとまだ想像できる。
多分1分にも満たない自問自答だったがさっきまでとは違う自分になっていた。
鉄棒とゆかを攻めて、どちらも14点台にのせて、81点前半をとって望みをつなぐ
最後まで自分らしく足掻いてやろうじゃねえか。
散々今までやってきたメンタルトレーニングの効果ってこういうところだったりするのかな。
自分らしくない、自分ならできる、自分のあり方について散々問うてきた。
それがこの絶望的な感情から自分を救ってくれたのかもしれない。
今まではリスクを減らして80%の出来を出すことに注力してきた。
でも、ここまできたら100%の演技を出すしかない。
俺の1番の苦手分野だ。
ここぞって時に最高の演技をする。
そうまるでヒーローのように。
たかあきはいつもそういう舞台でそういう演技をしてきた。
だから俺はあいつに憧れが強かったのかもしれないな。
苦手でもなんでもやるしかない。
そうしないと終わる。ただそれだけ。
続く、、、