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コロナによる変化と自分の思い

■2020/5/2

この数ヶ月で、世界が大きく変わった。これほど急な変化を経験することもなかなかないので、今この瞬間に考えていることを残しておこう。

死にはしないだろうけど

過去に本気で「死ぬかも」と思ったのは、東日本大震災のときと、原付で滑って転んだときぐらい。概ね平和な人生。どれも、恐怖を感じるのも過ぎ去るのも一瞬だった。

今は、つかず離れずの距離で、見えないウイルスがずっと漂っている。

自分は基礎疾患もなく、年齢的にも死亡や重症化のリスクはとても低い。でも家には幼い子供もいるし、感染は避けたい。

というか誰だってインフルエンザですら苦しくて嫌なんだから、集中治療室に入るのも絶対に嫌だろうし、苦しみながら病院をたらい回しにされるのも心から勘弁だろう。それが自分であっても、家族であっても。

広がる人との距離

その割には、世間ではあまり気にしていない人も多い。もちろん人の危機感にもグラデーションがあるので、そういう人がいるのは不思議じゃないし、気にしすぎるのも良くない。

でも、スーパーで無駄に大声で会話している人を見ると、微妙な気持ちにもなる。買い物客の中には、妊婦もいれば基礎疾患持ちの人や高齢者もいる。きっと彼らは不安な思いで買い物しているだろうし、人が少ないだけで、不安は小さくなる。

これから数年、あるいはもっと長い間、コミュニケーションにおける「非接触」の優先度は確実に高まる。ワクチンができても、安全と言い切れるわけではないだろう。

ニュースやSNSは、コロナの話ばかり。

薬局の店員に対してマスクが無いと文句を垂れる客、日々の感染者数を見出しにアクセス数を稼ぐメディア、転売やフェイクニュースや詐欺の増加など、人間の嫌な部分を目の当たりにすることも増えた。

こうして他人に対する意識が変わり、人と人の距離は広がる。本当は、物理的に遠ざかればいいだけなのに、精神的にも遠ざかっているのを感じる。

それは、良い言い方をすれば、人それぞれの生活や考え方が違うからであり、誰もが精一杯生きているからでもある。

余裕から生まれる未来

もちろん経済的に苦しんでいる人も多く、総じてしばらくは悲惨な状況。でも長く広い目で見れば悪い方向に変わるわけではない。

人と人が距離を取るため、あらゆるもののリモート化、デジタル化が検討される。これは多くの場合、効率化に繋がる。「わざわざ会って話す必要ある?」とか「本当にこれ使う必要ある?」と感じていた慣習がなくなる。

通勤時間や会議の移動時間もそうだし、ハンコや現金もそう。「なくした方がいいけど、できない」と思っていたことを、強制的に実行せざるを得なくなる。コロナが、変わる理由や言い訳になる。これは、長期的に見て大きな前進。

そして、それらがなくなるだけで、時間の余裕ができる。余裕ができると、本当に大切なものが見えてくる。「自分たちは今まで何をしていたんだ」と目が覚める。

その余裕を使って、家族との絆を深めたり、趣味に没頭したり、クリエイティブな創作をしたり、今ある仕組みを見直したりする人が増える。そうして、本来の幸せや、まだこの世にない新しいものが増えていく。

僕も、空いた時間で3Dモデリングをかじり始めた。すると、世の中にある3Dコンテンツへの感動が一気に増した。自分も素敵なコンテンツを作りたいと思うようになった。余裕がないと、この思いは生まれなかった。

感染が収まれば大半は警戒しつつも元の生活に戻るだろうけど、これをきっかけに一部が変わり、全体が少しずつ変わっていくのは間違いない。

ゆっくりでも、適応していける

急激な変化は大抵、後から調整が入る。今は変化の早さにまだ人が追いついていないから、他人に対して不満や怒りが生まれやすい状況。

国の対応も、個人的には遅く感じたし、未曾有の事態の割には初動が明らかに楽観的過ぎた。結果だけを見れば日本は悪くなかったかもしれないけど、データがなくリトライ不可の状況では本来、最悪の事態の回避を目指すべき。

とはいえ冷静に見れば、いろんな人がいろんな仕事をしてくれているから、世界が回っているのも強く感じる。政府の人も、医療現場の人も、インフラを支える人も、スーパーの店員さんも、いなかったら人間の社会は崩壊する。心から感謝だ。

今までは満たされていたのに、満たせなくなった欲求は、現時点ではたくさんある。でも人はこれからその1つ1つを見直して、テクノロジーや仕組みを使い、適応していくはず。今までもずっと、そうしてきたように。

2ヶ月前ぐらいにリモートワークが始まってから、毎朝散歩を習慣にしている。コーヒーを買うために寄るコンビニでは、店員と客の間に透明シートが設置された。イートインもなくなった。

でも、まだ誰も歩いていない早朝の風景は、緊急事態宣言が出る前と後で、何も変わっていない。変わったのは人だけだ。

どうせ変わるなら、良い方向に変わるといいなと、強く思う。



■2022/11/27追記

人類って凄い

上の内容を投稿して約2年半も経ち、あれよあれよと新型コロナに感染してしまったので追記。

コロナに関するデータが少なく、リスクMAXだった当時の状況とは違い、今はデータが可視化され、ワクチンも行き渡り、検査も簡単で、マスクも最低限。

そんな中、一家4人で感染した。感染元は恐らく娘の小学校。日常的に手洗いや消毒していても、防げないものなんだと実感した。

地獄の日々が続くのかと思いきや、それぞれが丸3~4日程度で概ね回復した。発熱や頭痛はつらかったけど、個人的には「インフルエンザの方が苦しかったな」というのが率直な感想。

この経験で自分が1番強く感じたのは、「人類って凄い」だ。

僕個人に対するワクチンの効果は明確にはわからないけど、間違いなくゼロではないだろう。それによる大きな安心感も生まれていた。

単純比較はできないけど、100年前のスペイン風邪ではワクチンも作れず数千万人が亡くなったのに対し、コロナウイルスに対しては早々にワクチンを生み出すだけでなく広く普及させ、一気に抑え込んだ。僕はこうして、コロナを恐れることなく、これからも生活できる。

改めてそう考えると、人類、凄すぎるでしょ?

もっというと、寝込んでいる間もお金に困らない有給休暇の仕組みも、外出禁止期間に買い物できるネットスーパーのサービスも凄い。

なんなら雨風を防いでくれる家屋も、常時使える水や電気やガスやネットのインフラも、(少なくとも今は)戦争の心配をせず生きていられるこの国も凄い。もう、全部凄い。カッコいいよ人類。

SNSやニュースを見ると、コロナの話題は、今でもネガティブな情報が多い。死者や後遺症のある方もいるので、それは仕方ない側面もある。症状の大きさは当然、人に依るところはある。

とはいえ、2年前と今では、リスクの大きさが全く違う。今の日本は、過剰に怯えている印象を感じる。交通事故が怖いから、車には乗らない、のような。

実際は、「ここまで対策を打てた人類、凄くない?」って称え合ってよい段階まで来た。

「凄いのは一部の人だけだ」とか「化学や科学が凄いんだ」とか考える人もいるかもしれない。それはそうなんだけど、そうではなくて。

僕らみたいな凡人がたくさんいる中で、たまに確率論的に恵まれた才能や環境を持つ人が生まれたりしながら、人と人が結びつき、相互作用し合いながら、その積み重ねで今があるので。

だから、人類って凄い。

コロナを経験して、改めてそう思った。

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