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「残された時間」で変わる価値

今日は、「時間の有限化による価値の変化」みたいなものについて。

一般的に、数が少ないものや期間が短いものは価値が上がります。「数量限定」「期間限定」と書かれているだけで、人はつい買ってしまいます。

それと近しいものとして、「残された時間が短い人の言葉」があります。例えば同じセリフでも、

一般男性「人生、楽しまなきゃ損だよ」

と、

余命宣告された男性「人生、楽しまなきゃ損だよ」

では、受ける印象が全然違います。後者の方が、より深い意味を持っているように感じます。

そんなことを改めて考えさせられたのは、最近Twitterで「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画が毎日流れてくるからです。

平凡なワニの日常をフォローする人々

もうすぐ100日に達するこの4コマ、1日1日の内容は、特に面白くありません。擬人化されたワニの平凡な日常です。なのに、「死まであと○日」と残り時間が有限になっているだけで、不思議と深く考えさせられます。

この漫画は色々なサイトで話題にされているだけでなく、漫画家さんのフォロワー数も150万近くになっています。これは凄いことです。単純にキャラクターの命を有限化したことで、非常に多くの人が興味を持っている。

僕は、人や動物が死ぬことで感動を誘うコンテンツは苦手なのですが、今回のワニは、少し違って面白いなと思って見ています。

ワニの人生、人の人生

というのも、話題になったからと言って盛り上げるわけでもなく、淡々と日常が流れ、ただ最期の時だけが決まっている。これって、僕ら人間の人生と大して変わりません。その残された日数が、ワニの方が少し短くて明確なだけ。

例えば自分があと60年生きるとしたら、残り21900日。100日と比べれば、だいぶ長いようにも思えるし、大して変わらないようにも思えます。というかそもそも、そこまで平和や健康が続く保証もありません。

ウイルスは、致死率が高いものは感染者が死んでしまうから広まりにくいらしいですが、「感染しても無自覚な場合があったり、潜伏期間が長く、かつ致死率が高いウイルス」が生まれた日には恐ろしいことになる。

それに、ウイルスが30億年前から存在する一方で人類の歴史はせいぜい20万年程度らしいので、サクッと消されてもおかしくはない。

もちろんウイルス以外にも、人間同士の争いだって今後どうなるかわかりませんし、自然災害も制御できていません。

そういう意味では、見知らぬ平凡なワニの命が有限化されるだけでこれほど多くの人が価値を感じるのであれば、確実に有限かつ不確実な命を持つ自分や他人に感じる価値も、同じように高めることができるはず。なんて考え方もできるんだろうなーと。想像力次第のように思えます。

誰もがそうして人生の価値を高めて有意義に過ごすべき…とまでは思いませんが、そういう考え方が、悔いのない生き方に繋がるような気もします。なんてことを、さっきワニの日常を見ながら考えてました。

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