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VRで「見えているもの」と「見せているもの」

今日は、「VR(バーチャルリアリティ)」について、少し考えたことを書きます。

VRは、ゴーグルを着けると360度自由に見回せるアレです。ここ数週間は家に自分1人しかいないので、以前買ったVRのゲームを少しプレイしています。(人がいると恥ずかしいので。。)

こうしていろんなVRのゲームをプレイして面白いなと思う一方で、改めて考えると、VRの本当の力が、まだあまり表に出ていないことが気になったというお話。

現時点のVR

数年前から毎年「今年はVR元年だ!」と言われ続けていますが、現時点では一般層にはまだそこまで大きな盛り上がりを見せていません。僕の周りでもVRデバイスを持つ人はめったにいません。

Facebookのスタンドアロン型VRヘッドセット「Oculus Quest」の発売などで、やっと普及の兆しが見えてはいますが、今はまだゴーグルが大きくて高価であり、高品質なコンテンツが少ない状態と言わざるを得ません。キャズムを超えるには、もう少し時間がかかりそうです。

今までに感じたVRの凄さ

ですが、個人的にはVRは随分前から非常に興味があり、その可能性は凄まじいものだと感じています。最初に僕がVRを体験したデバイスは、Google Cardboardという、ダンボールにレンズをはめたオモチャのようなものでした。

自分の部屋でそのダンボールを着けるだけで、見たことのない景色が360°広がり、自由に見回すことができるという感動は、とんでもないものでした。

まだ解像度が粗いせいか、他の人に感想を聞くと大して感動してなかったりするんですが、僕にとっては、「これは世界が変わる」と確信するほどのインパクトがありました。

実際に今VRのゲームをプレイしていても、ファンタジーの世界に入り込んで動き回ったり、現実ではまず行けないような場所の景色を見渡せたり、今までディスプレイ越しでしか見れなかったキャラクターが本当に目の前にいるように感じたりと、その面白さは際限ありません。

まだ、過去のゲームの延長線上でしかない

でもよくよく考えると、上に挙げたような体験は素晴らしくはあるものの、まだ今までに体験したコンテンツの延長線上にある、とも言えてしまいます。

現実では見られないような世界、景色、キャラクターなどは、今までも、ディスプレイ越しであれば見えていたもの。空間や時空が変化したような仮想の世界であっても、元々ゲーム内で操作して見えていたような世界が、首を動かすことで見えるようになっただけ、とも考えられる。

もちろん情報量が増えたことで没入感や臨場感が跳ね上がることは革命的ですが、その先に、違う次元の面白さが待ち構えている気がする。それは、「自分の姿を自由に変えてコミュニケーションできること」です。

「見えているもの」より「見せている自分」の魅力

人は「他人からどう見られているか」を非常に気にします。毎朝時間をかけて髪を整え、化粧をし、服を選び、ときにはダイエットをし、写真を加工し、整形までして、とにかく自分を可愛く、かっこよく見られたいと考えます。

これまでもゲームキャラやSNSのアバターなどは自由に変えられましたが、それはあくまで自分が操作する別の存在でしかなく、それを「自分自身だ」と思い込むには無理がありました。

でもVRでは、視界による没入感の強さから、作成したアバターと自分を強く重ね合わせることができます。そして自分とコミュニケーションする相手は、現実世界の会話と同じ感覚で、そのアバターを見ながら会話することになる。

つまり、自分のビジュアルを自由に変えて、現実世界と同じように人とコミュニケーションできる。このインパクトは計り知れません。人類が今までずっと縛られ続けてきた生まれ持った肉体、つまり顔立ち、スタイル、性別などの全てを思いのままに変えて会話できる。その手軽さと高い自由度や開放感からは、中毒性を持つほどの力が生まれるはず。

最近読んだzenさんという方のnoteにも、それに近しいことがリアルな言葉で書かれていて、とても興味深く感じました。確かに、自身で選んだ姿には「その人の想い」が強く乗ってくるでしょうし、それは自身への愛情や自信にも繋がるでしょう。

こうしたコミュニケーションや、自身のキャラクターの捉え方の変化こそが、VRがもたらす最も大きな革命なのではないかと考えています。

VRが浸透したその先は

昨今の流れを見ていても、人は他人より自分を好きなことがよくわかります。見ている側ではなく、見られる側として、発信したい、目立ちたい、いいねが欲しい、褒められたい。そういう意味でも、「他人やモノがどう見えるか」より「自分がどう見られるか」に魅力を感じるのは自然な話です。

実は今でも既に一部のコミュニティ(VRChatなど)ではVRアバター同士によるコミュニケーションが生まれているのですが、まだコアな層しかおらず、世間一般には広まっていません。

ただ今後、デバイスが改善され、声の変換などのテクノロジーが一般化し、コミュニケーションがスムーズにできるVRコンテンツが浸透し始めるとき、人々がその虜になるのは間違いないでしょう。

そうしてVRが浸透し、仮想空間が自然に使われるようになると、「自分とは何か?」みたいなテーマが頻繁に語られるようになったり、逆に仮想空間では表現できないものの価値が上がったり、といったいろんな変化がありそう。

そんなことを昨日、仮想空間で海に潜りながら、ゆらゆらと考えてました。

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