名前も知らない親子との会話で知った、ちょっと意外で素敵な常識
先日、SNS上でこんな言葉を見ました。
この言葉を聞いて、ふと思い出したことがあります。初めて、娘を公園に連れて行ったときのこと。
砂場で遊んでいた娘のオモチャを、見知らぬ子供が触ろうとしたところ、その子の母親がこう言ったのです。
全く見知らぬ人が、娘を「お友達」と呼んだことに、違和感を覚えました。赤の他人に使う言葉?と。
でも、それから何度か公園に行くと、初めて会う方々は、やはり口を揃えたように言うのです。「お友達」と。
そう、小さな子供の前では、見知らぬ子供のことを、「お友達」と呼ぶのが一般的なのです。衝撃。(地域差はあるかも?)
僕はこの、一見すると違和感のある常識が、すごく良いな…と思いました。
まさに、誰もが友達であることを、当たり前のように伝えている。今目の前にいるその子は、「他人」ではなく、「まだ出会っていなかった友達」なんだよ、と。
そして実際に娘は、公園で会った名前も知らない子と、楽しそうにおままごとをすることもあります。帰り道には「お友達と遊べて楽しかった〜」と呟いていました。
もちろん、本当の意味での友達になれないこともあるので、綺麗事な部分もあります。たまにSNSやテレビで、人の嫌なところが見えて、それを強く感じることもあります。
でも、大多数はそうではない、本当の意味で友達になれる可能性がある人たちです。だから、最初は「友達」という呼び方から入るのは、すごく素敵だなと思いました。
人間は、一人ひとりは弱い生き物です。でも友達になることで、社会を築くことで、繁栄してきました。価値観が違っても、年齢が違っても、友達になることはできます。
以前に糸井重里さんのブログに、こんな言葉がありました。
この長い宇宙の歴史の中で、ほんの100年程度しか生きられない僕らが今、「同じ時」に生きている。当たり前なようで、とんでもない偶然でもあります。
そう思うと、本来は誰もが「他人ではなく友達だ」と考えるのは、不自然なようで案外、自然なことなのかもしれません。
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