『なんもない』を当たり前にしたいと思った出来事
『なんもない』を当たり前にしたいと思った出来事
昨年末のブログ投稿から年始を越えて、既に2か月以上が経ってしまいました。
この間、まぁアップダウンの激しい日々を過ごしていたな、と感じます。
1月は体調を大いに崩し、昨年末から「危ないなぁ~」と思っていた咳が、仕事はじめあたりから本格的にひどくなり、結局2月に入るまで苦しむ羽目に・・・
2月はしょうがないとしても、3月になっても一向に変わらないこの寒い日々。
この間、体調はもちろん、メンタルもひどく傷んでいました。特にこれといった理由はないのですが、寒さや曇天なども影響しているのかもしれません。やはり早く暖かくなって欲しい。
本当に今年も桜は咲いてくれるのであろうか・・・🌸
で、いまいちすっきりとしない日々を送っていたので、『がんばらない自分』を意図的に、本格的に、徹底的にやってきました。これを意図することで、自分で自分に招く焦りから解放された気がしています。
ひとつの例として、今までずぅっと見てきた好きなメルマガ(意識高い系)を読むことをスパッと辞めたり、またSNSデトックスのため、好きだったFacebook閲覧も辞めました(休止的な感じ)。
やってみて、やはり脳は疲れていた、と感じるとともに、それはなにからくるのかというと、他人や他の出来事と今の自分との比較からなのだ、ということがはっきりとわかりました。比較をしたくないという心の声を素直に聞いて実践したら、こんな今の自分になっていました。
ずばり、『なんもない』って感じです(笑)
具体的に表現することが難しいのですが、あれしなきゃ、これしなきゃ、って、考えなかったことがないのが今までの常で、未来に対して先を見越して(プロアクティブに!なんて言う方もいるけど・・・)考え、整理しておくことが、未来のスムーズな行動につながる、だからそのために準備する。こういった「今」を過ごすことが、良い「未来」につながるのだから、当たり前にやるべき行動なのだ、と。。。
それが正しいことだと自分はずっと思い込み、またこれができないと、焦りが生じ、焦りが自己嫌悪・自己肯定感の低下に結びつく、なんてことをただひたすら繰り返してきたと、生まれてはじめて気づいた日々でした。
では、『なんもない』という『今』とはなんなのだろう???
雰囲気で言うと「可もなく不可もなし」といった感じです。
これって、他を寄せ付けないなにかに突出した能力を身につけたスペシャリスト万能の時代、またはピラミッドの頂上目指して登ること・登っていることを是とする時代においては「ダメ人間」の烙印なのでは?と、ちょっと前の自分なら考えたかもしれません。
でも、今の感覚は、「可もなく不可もなし」が一番自分らしい(=ラク)ということで、しかし、この状態を維持・継続していくことこそが最も大変なことなのではないか、と・・・
つまり、この大変なことに対して努力をして乗り越える、というエネルギーを注ぐべきなのではないか、と感じているのです。
企業にとって、最も大事なことは、利益を上げ続けることではなく、また従業員の給料を他の業種・業態の中で最も高くすることでもなく、自社だけでなく社会全体に対して貢献することでもなく、ひとえに『存続すること』ではないかと自分は思います。なぜなら、利益を上げることも、給料を払う・もらうことも、社会貢献することも、存続しないとできないことだからです。
「諸行無常」とは言いますが、やはり昔から常≒存続することは極めて難しいことであり、人類は、どこのひとであっても、そこを目指して努力し、そのためにエネルギーを注ぐ、ということをやってきて、で、未だに実現し得ていない、そんな状況なのではないかと思うに至りました。
一方、維持・継続・存続という大命題の実現のために最も近道なのが「可もなく不可もなし」という状態なのではないかと思うに至ってます。それは、伸びきったゴムはいずれ切れる(切れやすくなる)ことや、その逆で、ゴムを存続させるためには伸びきらない状態にすることが必要だということからもなんとなくわかる気がします。
人間も同じで、存続するために伸びきらない状態にするには、自分の心身が自分の限界を越えないこと、だから「可もなく不可もなし」なのではないか、と。(本当に昭和時代とはまったく真逆な発想になってますね・・・汗)
逆説的に「可もなく不可もなし」な状態だと、向上心がうまれにくいから、やはり自分を高めるには他人や他の出来事という自分以外の指標を基準に比較して、「今」の状態を常に把握・分析し・・・という方が今の世の中では大多数を占めるのだと思います。少なくとも、自分もつい最近までは間違いなくこの部類に入っていたと思います。
でも、向上心がうまれないと、自分を高めることってできないのだろうか???
自分を高める、自分が高くなるってそもそもどんな状態なのか???
そんな疑問が自分の中には湧いてきます。
そもそも、人間にとっても『存続』が大命題なら、自分が存続するために、「他人や他の出来事と比較した結果」が必要なのだろうか?
今、自分の中にある答えは「否」です。
ゴムは他の作用が働くことで伸び、伸び続けると切れてしまいます。人間に例えるならば、(たとえ向上のためとはいえ)他の作用で心身が疲弊するのであれば、疲弊しない(=ゴムが伸びきらない)状態、をいかにしてつくるか。いや、自分にとっての疲弊しない(=ゴムが伸びきらない)状態とはどんなものかを個々で理解し、越えてしまわないようにするということなのではと思うのです。
その意味で、「可もなく不可もなし」という状態は、存続に最も近い状態なのではないか、と思うわけです。ちなみに、不可もなしとは負荷もなし、ということか・・・いや違いますよ・・・
試しに「なにもしない」という状態をやってみてください。まず、やれる状態になれるか、だと思います。。。
普段会社とかに勤めている中でこんなことできるわけがない、という声も聞こえてきそうですが、もちろん真正面に受け取ったらまずできるわけないと思います。程度であり、また自分の心の持ち方なんですよね。これはもっと長くなるので、今日は書きません。
で、、、、いつか自分をさらに高めたい、そういう欲求に応えるための出来事は勝手に生じるのではないか、、、ここはまだ実験段階なので自分でもわかりません。このまんまかもしれません。でも、これは予感としか今は言えないけど、必ず来ると思うのですよね、、、その時、というのが・・・
ここのところこんな状態で心身ともに元気なので、本当は今、ふつふつと顕在的な欲求として、、、
・副業のコンテンツをブラッシュアップするために、書籍を買って集中して読み込みファイルベースにアウトプットしたい・本業に活かすため、他人の経験値を新たな自分の知識とするために、動画コンテンツでインプット学習したい
・毎日予定を詰め込んで、新たな出会いや新たな経験を積みしたい
とか、湧いてきているんですよ・・・
でも、それを自分が自分に断っている・・・
こんな努力も新しい自分の努力の仕方なのかなと思っています。
どMっぽいけど、できなかったことをできるようにする、という意味では、なにもしないでいる努力をしているということなんだと思っています。
いつか、本当にやれる時がきたら、だだだだだーーーーーっといろんなことをやっちゃうのだろうな・・・
(好きこそものの上手なれ、ですからね・・・)
また書きます!!!💪