「日蓮」と「宇宙」 Part②
前回「Part①」の続き・・・
それと、コレはワタクシの「勝手な洞察」であるが・・・
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「日蓮」がもうひとつ伝えたかったこと・・・
それは・・・
【 宇宙は無限である 】・・・
ということが、最も伝えたいことだったのではないか?
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そんなことは「知ってるよ」と、なるかもしれないが・・・・
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「無限」といったって、何がどうなれば、「無限」となるのか・・・?
どういう状態になれば、「無限」となるのか・・・?
それを判断できないのではないか・・・?
(まあ、自分自身が「無限だ!」と思えば、その瞬間に「無限」を体現しているのだろうけど)
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何か「目安」があれば・・・
共通の判断基準があれば・・・
皆が「無限」を体現できるのではないか?
と、思ったのである・・・
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そのときに・・・
ネットで別の調べものをしているときに・・・
ふと・・・
「数字の桁の名称(命数)」を目にする。
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そうか!
これだ!
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その一部はこんな感じ↓↓↓
![](https://assets.st-note.com/img/1705720284343-yTYHj6VwNZ.jpg?width=1200)
まだまだ、桁は続くが・・・
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これを見たときに、「あっ!」となった。
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「日蓮」が唱えた(?)であろう、「題目」教本の中に・・・
・「阿僧祇」=あそうぎ
・「那由他」=なゆた
・「無量」=むりょう
・「無辺」=むへん
など(うろおぼえ・・・笑)
という言葉がでてくるのである!
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宇宙は「数」であらわされる、ことが多い。
エンジェル・ナンバーとか。
「数」は、最も「宇宙」であり、
最も人の生活に密接している、といえる。
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「数学」となると、学問であるから、
式が出てきたりして、なんだかなんだとなり、頭はこんがらがる、かも?
でも、ただ単に「数」となると、この世界にはそこら中に「存在」している。
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とすると、「数」は「宇宙」の指標となるのではないか・・・
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「数」の「単位」=「桁」を「知る」ことで、
「宇宙」の大きさ、「宇宙」は「無限」である、ということを
「知れる」=「感じれる」=「知覚」できるのではないか。
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その「宇宙」の「数」を「題目」の教本のなかに取り入れることで、
その「題目」を唱えることで、「宇宙」にアクセスできる。
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そして、それは、誰でも、年齢関係なく、状態、環境も関係なく、
どんなときでも、いつでも、アクセスできる。
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「日蓮」は、このことを、【 最も伝えたかった 】のかもしれない。
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では、なぜ、それを「取扱説明書」のように、やり方=答えを記さなかったのか?
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思うに・・・
後世のために・・・
自分自身で「考え」させるために・・・
記さなかったのではないか?と思う。
そして、その「過程」は・・・
各々の・・・
「知りたい」と思うタイミングで・・・
掴めばいい・・・
そんな【 投げかけ 】・・・
なのではないか・・・
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『答え』はどうでもいい、のではないか・・・
それを【 知りたい 】・・・
【 感じたい 】・・・
そこへ行き着く「動機」=「プロセス」・・・
が、大事なのではないか・・・
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「日蓮」に・・・
そんなことを・・・
想う・・・
今日このごろである・・・